私は 毎朝 晩、色々な神様のお参りをしていますが、そのお参りをしながら 思ったのが、
全ての祈り方は正しい
というものでした。
例えば イスラム教においては、偶像崇拝を禁止していますが、
インドではあらゆる 形態の人間のような形をした 神様を崇拝しています 。
ではどちらが正しいかというと、 そのどちらも正しいのではないか、、ということです。
神様はあらゆる形態を生み出す元であるから形が無いとも言えますし、
あらゆる形を生み出すから、 そのイメージを喚起する様々な形態もありうると思います。
どちらにしろ 祈りを通じて、
自分が心安らかになったり、 積極的に明るい気持ちになったり 、また他者に対して優しい気持ちになったりすれば、それはその人にとって正しい祈りなのかな と思います 。
それはちょうど推し活のようなのもので、 人それぞれ推しは違っても、どの推しが正しいとか喧嘩する必要はないのと同じで、
それぞれが自分の推しを大切にしながら、他者の推しを尊重すればいいのだと思います。
私の場合は、先日、購入した ガネーシャさんをはじめ インドで以前買った2体の ガネーシャさんもありますし、
インドの神様でいえば、クリシュナ神さんの絵も何枚か飾っていますし、
真言密教の大本尊 大日如来さんもありますし 、龍神様も祀っていますし、
良かった神社の御札も家に様々飾っていて、七福神様もいらっしゃり、とあらゆる 神様をお祀りしています 。
例えば 行って良かった 神社などはそれをお参りすることで、一瞬にしてそこの雰囲気を思い出すことができて、とてもありがたく思っています。
という意味で 、私にとっては 形のあるものをよりところとした お祈り が自分にとても合っているような気もしますが、 形がないというもの またアリだなと思います。
私は、おそらくこの世で一番神様のイメージに近いのは太陽じゃないかと思うで、太陽が出ている時に
いつも 愛の光を送って届けてくれてありがとうございます、、
などと 感謝の気持ちを送るのも大変 いいことだと感じています。
話が少し飛びまして、ユングは晩年 臨死体験をしていて、地球を外から眺め、 あらゆる存在に対して無条件に イエスということができる、ということを、その回想録で述べていますが、
おそらく究極的にはそういうことなのだろうと思います。
ユングは自ら色々な 曼荼羅も描いてるし、まさに 密教が到達した全肯定の思想に至ったような気がします。あるがまま 全てよしということでしょうか。。
たまに、あるがまますべてよし、、と唱えてみると、今までとは違った角度からものを見れるような気がしています。
自分が幸せになり、他者に対して優しくなれ、人に迷惑をかけるようなものでなかったら 、あらゆる信仰のあり方は正しいのだと思います。
神様を拝むのも、 推し活のように、明るく 軽く陽気に楽しく、で行きたいと思います。
私の最近の推し、心の師匠は、斎藤一人さんかなと思っています♪
ということで タイトル、自分の推し活♪
でありました
m(_ _)m
おまけ、、
ギャラリー:和歌山に一之宮参拝に行って参りました、、 ③


