2011年11月30日水曜日

好きだったのになぁ~ ♪京急発車時のドレミファ音♪♪



少し前のニュースに次のようなものがありました。

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<京急電鉄>「歌う電車」近く姿消す 

音階刻む機器更新で 惜しむ声、数多く

毎日新聞 11月20日(日)23時16分配信


間もなく全車両が「歌わなくなる」2100形電車

 ◇京急2100形、新1000形 ファ、ソ、ラ、シ…音階刻む機器更新で

 東京と三浦半島を結ぶ京急電鉄沿線で98年から10年以上鳴り響いていた不思議な音が間もなく、聞こえなくなる。

発車時に「ファ、ソ、ラ、シ、ド、レ、ミ……」と音階を刻む通称「歌う電車」の車両改造工事が進み、近く姿を消すからだ。

沿線の名物になり、全国的な知名度を誇っていただけに、同社には惜しむ声が数多く寄せられている。【倉岡一樹】

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ユーチューブに動画があったので載せておきます。








こんなのもありました↓(笑)




でニュースの続き↓

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 「出発進行!」。

運転士の小気味いい声に応じるように音階を刻みながらスピードを上げていくのは、98年に登場した2100形と02年から営業を開始した新1000形の1、2次車の車両。

音はいずれもモーターを制御するシーメンス社(ドイツ)製のインバーター装置から発生する。

 「実はその音階、元は騒音なんですよ」。

そう話すのはシーメンス・ジャパン・レールシステムズの庄司不二雄さん(60)。

インバーターの起動音はうなるような機械音だが、シーメンス社がソフトのプログラムを変え、モーターに流れる電流の周波数を段階的に引き上げる独自の技術で音階をつけた。

庄司さんは「ノイズを逆手にとった遊び心」と話す。

 この工夫が話題を呼び、登場直後に沿線住民が注目し、全国の鉄道ファンも駆けつけた。さらにこの“歌”を人気ロックバンド「くるり」が楽曲「赤い電車」で使い、幅広い層が知ることになった。

 ただ、寿命には勝てなかった。

08年ごろから始まった機器の更新で、より進んだ技術を取り入れたインバーターへの置き換えが始まると、修理時の部品調達に手間取るなど保守面で課題が生じ、日本製のインバーターが採用された。

更新された車両は甲高い機械音を放つ。庄司さんは「残念だが、時の流れにはあらがえない」と寂しそうだ。

 現在、2100形と新1000形の歌う電車は残り13編成。順次、機器を更新し、数年後には歌わなくなる。

京急には利用客から「1編成くらい残したらどうか」「電車に乗るのが楽しかったので残念だ」などの声が寄せられる。

同社広報課の岩田幸子さん(29)は「沿線に愛されて幸せだが、安全優先が鉄道の義務なので仕方ない。ただ、もう少しの間は残るので楽しんでいただきたい」と話す。


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初めて京急のこの車両に乗った時は、

んん、なんだこれ!?

と思ったものです。モーターの音で音階をならすなんて、やるなぁ~と愉快な気持ちになったことを思い出します。

ニュースを読むと、モーターの騒音を逆手に取った遊び心から生まれたもののようです。

テクノロジーが進化していくのは分かりますが、こういう遊び心は是非とっておいて欲しいなぁ~と思うのです。


京急の車両に乗ると、壁にシーメンスと書いてあって、日本の会社が作ってるんじゃないんだぁ~と思っていたのですが、ドイツのメーカーなんですね。

京急はスピードは速いし、遊び心はあるし、なかなかやりよるわい、と思ってたのですが、

スピードが出ることの一因に、軌道の広さがあります。

実は線路の幅が新幹線と同じ1435mmなのです!

それゃスピードだせちゃいますよね!

しかしこれは世界的には標準軌であって、JR在来線(1065mm)などの方が狭軌と呼ばれます。


ユーチューブで京急のドレミファ音を探していたら、

さすがドイツ製のモーターということだけあって、ヨーロッパの電車が同じ音を響かせて走っていました。











こうして見ると、ヨーロッパの電車は、重厚で迫力があります。

そのイカツさ、重々しさはまるで装甲列車のようです。

いかにも大陸を走っているという感じが出てていいなぁ~と思います。

こういうところ一つとっても、文化がにじみ出ている気がします。

逆に日本の列車をみると、ちょっとせせこましい気がしないでもないです。

しかしながらヨーロッパでもやはりこの音なくなっていくんでしょうか。とても興味のある所です。


単に効率を求めて、遊び心人間にとって真の心地良さ幸福感というものを忘れないでほしいなぁ~

と思った一件でした。


おしまい





参考:

ウィキペディア

標準軌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%BB%8C


軌間
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8C%E9%96%93



プラレールも売っているようです↓



プラレールHP(京急サウンドプラレール)
http://www.takaratomy.co.jp/products/plarail/info/special.htm



くるり 赤い電車

2011年11月25日金曜日

古くて新しい!~宇宙戦艦ヤマト≪実写版≫



先日ツタヤで準新作・旧作半額セールをやっていたので、

何か日本映画で見落としていたのないかなぁ~と探していたら、

目に飛び込んできたのがコチラ↓

SPACE BATTLESHIP ヤマト



そういえば、観よう、観ようと思ってすっかり忘れていました。

で、そっそく観てみたのですが、感想をひとことで言うと、、

GREAT!

です。とても素晴らしい出来でした。

ストーリー、映像、キャスティング、どれをとっても素晴らしいものでした。

特に映像に関しては、日本のVFXもここまでできるんだぁ~といたく感心しました。

しかしそれもそのはず、監督があのリターナーを作った山崎貴氏だったのです。納得がいきました。


ストーリーに関しては、特に震災後のいま見ると、設定が設定だけに単なる作り話では終われない深刻さを感じました。

宇宙戦艦ヤマトの話しを知らない人のために軽く説明すると、

地球は地球外の正体不明の存在によって攻撃を受け、地表は放射能で汚染されてしまっているのです。






↑ちなみにこのiフォンみたいなのがアナライザー。実写版ではロボットじゃないんだ~、それもありかな、などと思っていたのですが、、、





この地表で鉄くず広いをしているのが主人公の古代進(木村拓哉)です。

この役はもう木村拓哉しかないだろう、というぐらいバッチリハマってました。かなりカッコいいです。






で、汚染された地球に宇宙からあるメッセージが届き、

どうやら放射能を除去する装置があるらしいことがわかるのです。

そしてその装置(コスモクリーナー)を求め、人類の最後の希望を託された宇宙戦艦ヤマトが、

宇宙のかなたイスカンダル星へと旅立つのです。






ドーーン!

ヤマトが地球から飛び立つシーン。カッコいい!






そしてこちらが沖田艦長↓






誰かわかりますか?

山崎努氏です。最近の映画では、当ブログでもとりあげた「おくりびと」で葬儀社の社長をしていた人です。

これがまたバッチリハマっていて、カッコいい!

艱難辛苦を乗り越えてきた艦長らしく、深みのある渋い役を完璧にこなされていました。





で、色々あってようやくイスカンダルに到着し、果たしてコスモクリーナーはあるのか、、、

ここら辺は書きませんので、興味のある方は是非観てみて下さい。


ちょっとおまけとして書くと、

あのiフォン型のアナライザー、戦闘機(コスモタイガー)に搭載させることが出来るようなのです↓






そしていざイスカンダルに向け発進!








最初は敵の探知網にひっかからないように自由落下していくのですが、




地表付近で逆噴射!!





そのとき、戦闘機の首の付け根のところに、あの懐かしいアナライザーの顔らしきものが覗いているのです↓






逆噴射をすると、敵に探知されてしまうのですが、そこにナントッ!








ヤマトがイスカンダルの地表めがけて主砲をぶっぱなしながら突進してくるのです!

え゛えっーー、どうなっちゃうの!!

(気になる人は映画みてね~)


で、、、地表に着くと、そこには宇宙人がウジャウジャ、





こんなの勝てるはずないでしょ、、、と思っていると、






木村拓哉が、アナライザー起動!などと言い出すのです。すると!!





戦闘機からあのアナライザーが飛びだし、戦闘員の頭の上をびゅびゅ~んと飛び越えて、





どし~ん、と着地。ナントアナライザーは巨大ロボだったのです!!

で、いきなり複数の敵をロックオンして、打ちまく、打ちまくる!





つえ~、これにはホント度肝を抜かれました。



おまけはこれぐらいにして、

この映画を見て感じたこと、特に震災以降の放射能汚染された国土というものが現実化した今感じたことは、

いま地上にあるすべてのもの、人間の体も、環境もあらゆるもの、すべてはかつてこの地上で暮していた人たちから託されたものであったはず、

先祖の幾多の苦労の上にプレゼントされたものだったはずなのに、

それを目先の利益によって現代に住む私たちがいとも簡単に荒廃させてしまったこと、

そしてその負の遺産を後の世代に遺してしまうという申し訳気持ちが沸き起こってくるのです。

映画のヤマトも、コスモクリーナーを得るために様々な犠牲を払って、払って、ようやくイスカンダルに到着し、、、

という設定になっているのですが、

それと同じで私達の暮らしというものも、同じような世代間のバトンの受け渡しによって成り立ってきたことを思い起こさせるのです。

私達の世代の心地良さ、快楽のためだけに、太古の昔より託されたこの環境を軽い気持ちで浪費してはいけないんだなぁ~、

と映画を見てつくづく感じるのです。


もう一つは、どんなたいへんな状況にあっても希望をもって生きるということです。

これは先日取り上げたアランの幸福論の最終回の中でも説かれていました。






何かの先に幸福があるのではなく、幸福になろうと希望するとき、それが既に幸福なのだ、

つまり希望をもって生きていること自体が幸福だとアランは結論づけているのです。

この言葉はとても深みある言葉です。


アランの説いた哲学は、知行合一、単なる言葉遊びではなく実行をともなうものだったようです。

アランは最後まで高校で教えていたそうですが、




ソルボンヌ大学の哲学科の生徒が、大学の授業はつならないからと抜け出してアランの授業を聞きに来ていたそうなので、

その授業はそうとう面白かったのでしょう。


少し話がそれましたが、

ヤマト実写版をみて私が感じたことは、、、

いま我々が託され、使わせて貰っているこの体、環境を無駄にしない、大切に使う、

希望をもって生きる

ということでしょうか。



以上、宇宙戦艦ヤマトを観ての感想でした。

興味のある方は、是非観てみて下さい。


おしまい




参考:



公式HP
http://www.toho.co.jp/lineup/space_battleship_yamato/

アマゾン:

SPACE BATTLESHIP ヤマト スタンダード・エディション 【DVD】

ヤフー映画:

リターナー
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id237363/



彦兵衛のブログ

今日は映画の日! ~おくりびと観てきました~ 〔2009年4月1日〕
http://mshiko.blogspot.com/2009/04/blog-post.html

2011年11月17日木曜日

微笑んでみよう ~アランの幸福論



今、NHK「100分 de 名著」という番組で、

アランの幸福論


をやっているのですが、これがナカナカ面白いです。

番組では、彼の残したことばを紹介しているのですが↓







もっとも興味を惹かれたのは、体を視野に入れた彼の思想でした。





精神のこわばりをほぐすために、




体操深呼吸をし、休息を取ることをすすめ、




あくび伸び、また笑ってみることをすすめているのです。






このように、人間の体、私達の存在の物質的なレベルをも視野に入れて幸せを考えるといのは、とてもバランスのとれた理にかなった考えだと思います。





私は西洋にこういった思想があることに意外さを覚えました。

西洋哲学といえば、やたら難解なことばをもてあそんでいるだけのほとんど役に立たないつまらないものというイメージがあったからです。


しかしアランの幸福論は少し違うなと感じます。




アランは、まず微笑んでみなさい

と語り、自身もまた"ほほ笑みの人"だったそうです。





私はあらゆる哲学・教えに、そこにユーモア笑いがあるかをひとつの指標にしてきましたが、

アランには笑いがあり、また心と同時に体を視野に入れているところに素晴らしさを感じます。


人間という存在には、

物質的な側面=体精神的な側面=心・魂

があり、幸せや満足というものを考えるときには、やはりこの両面から戦略的に攻めていかなければならないと思います。

逆に、どちらかを見ないようにして、どちらかだけを強調すれば、かならずその見ないようにしたレベルでつまずくことになるでしょう。

なぜならどちらのレベルも私達の"現実"であり、どちらかを見ないようにして進めば、当然そのレベルに頭をゴチンとぶつけるだろうからです。


たとえば、この世がすべて、目で見えるものだけがすべて、と信じている人は、

満足を得るために体・物質的なレベルで満足を得ようとするでしょう。

しかしそこで、心・魂のレベルをないがしろにしたら、ゆくゆく、たとえばあの世に行ってからもっとああしとくべきだった、

たとえばもっと他人の為にする事をすればよかった~

などと後悔する事になるかもしれません。



逆に精神的なこと、スピリチュアルなことに重きをおくひとは、意外と体・物質的側面を見ないようにする傾向があるように思います。

たとえば仏教僧は体を煩悩をもたらす不浄なものと見て、ないがしろにする傾向があるように思います。

前に当ブログでラム・ダスを紹介しました。最近また彼の別の著作を読んでいるのですが、







彼も体を軽視していたため、晩年は脳卒中を患い、後悔していることを綴っています。




スピリチュアルなことをやっていて脳卒中になったひととして、私は臨死体験の研究者であったキューブラー・ロス博士を思い出します。

彼女は死につつある人に寄り添い、どのように死を受容していくかを説いていた人ですが、

晩年脳卒中になって、半身不随となりました。

そこで彼女は神を呪うような発言を繰り返していました。

どうしてこんなに人に奉仕してきた私が脳卒中にならなければならないのか、、。

神はなんと無慈悲なのか、と。

また自分がそれまでに説いてきた、死の受容のプロセスについて話しを向けると、

受容!そんなのクソくらえだ!

と語っていました。


これはNHKで放映されたものですが、私はこれを見てなんでこんな考えになってしまうのか甚だ疑問でした。

人助けをすることと体の健康を保つことはまた別物だからです。

体の健康を無視して、体を酷使しすれば、それ相応の結果があらわれるは当然でしょう。

人助けをして、その恩寵をうけることと体の健康はまた別のことです。


体には体の法則があり、心には心の法則があり、魂には魂の法則があります。

ここら辺をごっちゃにして考え、魂に関して正しい行いをしていても、

物質的なレベルのことや体をないがしろにしていたら、その結果は自ら刈り取らねばならないのであって、

それこそ神の御心(自然の法則)というものではないかと思うのです。

私が当ブログでスピリチュアル的なことだけでなく、体の健康関連のことを多く書くのはそのためです。


私達は、粗大なレベル(体・物質のレベル)と微細なレベル(心・魂のレベル)の存在として生きています。

この両方のレベルで生きているのであり、もちろんお互いのレベルが影響を与えうことはありますが、

それぞれの階層にあるそれぞれの法則を視野に入れて生きていくべきたと思います。

どちらかを見ないようにすれば、当然そのレベルで失敗することになるでしょう。


最近試してガッテンでやっていたのですが、腰痛の原因もヘルニアが原因ではなく、

心の問題であることが脳科学の方から分かってきているそうです。(ここ50年来の大発見だそうです)


私たちは誰でも幸せや満足を求めて生きていますが、

アランが説くように、体と心の両方を視野に入れユーモアをもって楽しく生きていくのが正しいあり方ではないかと思うのです。








参考:

NHK 100分 de 名著:アランの幸福論
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/07_bonheur/index.html#box01

NHKで放映したキューブラー・ロス博士の晩年
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/1225.html

試してガッテン:驚異の回復!腰の痛み
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20111116.html



アマゾン:

アラン『幸福論』 2011年11月 (100分 de 名著)


ラム・ダス著
人生をやり直せるならわたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう

死の処方箋―人はなぜ苦しむのか?


キューブラー・ロス博士の著作



ウィキペディア:

幸福論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E8%AB%96


エリザベス・キューブラー=ロス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%82%B9


彦兵衛のブログ:

ラム・ダスとその師匠ニーム・カロリ・ババ 【2011年7月20日】
http://mshiko.blogspot.com/2011/07/blog-post_20.html