2011年7月20日水曜日

ラム・ダスとその師匠ニーム・カロリ・ババ



それではラム・ダス著ビー・ヒア・ナウを紹介していきましょう。

(表紙からしてかなりイッチャッテます(笑))



聖人に会っても、スリには聖人のポケットしか見えない、、、




前回紹介したことばですね。

私達は、みな同じものを見ているつもりでいても、実はそれぞれの心の状態によって、

見え方がまったく違っているということです。


ナムカイ・ノルブ リンポチェは、六道の住人が"水"を見た場合、

カルマの違いによって、人間が飲料水として見るところを、

天の人たちはそれを甘露として、

修羅の人たちはそれを武器として見ると述べており、

とても含蓄がある表現だと思います。

虹と水晶―チベット密教の瞑想修行より


さて、以下『ビー・ヒア・ナウ』の中で印象に残った個所をピックアップしてみたいと思います。


あなたがすべてをあきらめたとたん、

すべてを手にすることが出来る。





ある人が他の人に伝えているメッセージというのは、

言葉や表情でなく、その人のヴァイブレーションである





ヒッピーが警察をつくり、

警察がヒッピーをつくる





サーフィン、、、

それをのしかかる重しとしてやるか

ダンスの一部としてやるか






変化するものにしがみつこうとすること(欲望)から苦が生まれる





牢獄から自由になるためには、

まず牢獄にいることに気づかなければならない、、、(グルジェフ)





足りない、足りない、、、

外的な刺激によって満足を得ようとしても、満たされることはない

外的なものは常に変化し、また欲望はさらなる刺激を求めるから、、、





いま、ここに穏やかさ、静寂をみつけること





日常のすべての行為を神にささげる=カルマ・ヨーガ

すべての結果を放棄する






以下、ラム・ダス著『覚醒への道』より




船に乗って対岸に着いたら、船を頭の上にのっけて運んでいく必要はない

方法に執着しない!






これはとても重要なポイントであるように思います。

世界の宗教対立をみても、自分の属する、自分が学んだ方法を唯一絶対なるものとしてあがめるところから、

様々な争いが生じているように思います。

それらは、一つの道、乗り物、ツールに過ぎないのに、

自分が使っている道具を""の延長として捉える所から対立が生じているように思います。

たとえば、"太陽"をさす言葉が、各民族、また時代によって異なっても、

自分の使っている言葉が唯一正しいということはないのに、信仰となると気色ばんでしまうようです。



クリシュナムルティのことば

恐怖と対立しない





山頂と谷間のかわりに高原を得た、、、




これはとてもいい表現だなと感じました。


さて、ここまでラム・ダスの本を見てきましたが、

コチラの本が、ラム・ダスの師匠、ニーム・カロリ・ババについてのエピソードをまとめた本です↓。(笑顔が素敵!)





この本は、700ページぐらいある分厚い本なのですが、

このババのあまりに型破りな言動が面白すぎて、引き込まれるようにどんどん読めてしまいます。





しかも読んでいると、とても不思議な感覚、

あたたかさと、笑いと、驚きの三つをミックスしたような、なんとも表現の仕様ない、得体のしれないふわふわした感覚につつまれるのです。

もう、この人、人間ではないな、、という気がしてしまいます。





インドにはこういう人がいるんですね。

そして歴史を通じて、こういう人が連綿と出現するインドという土地は、やはり魅惑の地としかいいようがありません。


本書中に写真がかなりあったので、それと一緒にここに載せようと思いましたが、

今回はかなり文書を紹介したので、残りは次回にしようかと思います。


いやー、しかし不思議な事ってホントあるものですね。。。




参考:

ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本 (mind books)

覚醒への旅―瞑想者のガイドブック (mind books)

愛という奇蹟―ニーム・カロリ・ババ物語



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