2011年2月28日月曜日

正しい言葉、正しい想念



よく私が読ませて頂いているブログに
伊勢白山道さんのがあります。

本日の話しは、良寛さんについてで、とてもいい話しだなぁと思いました↓

伊勢白山道ブログ:見ているようで見ていません
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/388075ceeb453aeb12b225acdde36370


良寛さんは「良い言葉しか発しない」という誓いを立てていたそうで、

常日頃から良い言葉、思いやりのある優しい言葉を使っていたそうです。


ブッダは、悟りに至るための方法として、

八正道というのを説きました。

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定

の八つですが、

私が仏教を勉強をしていた頃は、

正しい見解、正しい思い、、、

ハイ、ハイ、正しい、正しい、そのトーリ、そのトーリ、

それゃそこまで正しいづくめで生活していたら悟れちゃうでしょうね、、

ってな感じで、自分の実生活とはあまり絡めて考えていませんでした。


しかし、いまではブッダの説いたこの八正道、かなりの重みをもって受け止めています。

まさにその通りだな、と。


正しい言葉についても、私は常に気をつけるようにしています。

人の批判をしたりしない、

普段からなるべくプラスの言葉を発するように心がけています。

当ブログでも、批判のような類のことは書かないように気をつけています。



そして当然この「正しい言葉」とも関係してくるのですが、

もっとも大切なのが正思惟(=正しい思い、正しい考え)だと私は常々感じます。

自分の思考なんて、自分の頭の中だけのことであって、

そんなの何を考えようが自由じゃん、、

と、若かりし日(?)は思っていましたが、実はそうではないのであります。


キリストは、

悪事をたとえ頭で思い浮かべた事であっても、それはやったことと同じである

ということを言ったそうですが、

まさにその通りなのであります。


思考というのは、実行しないまでも、ものスゴイ力をもって、他者、そして自分に影響を与えているのです。

そんなことをつゆ知らず生きていた若かりし日の私は、数々の失敗をしました。

(今でも失敗しているかもな、、、なんとも、、、)


現在の科学(のレベル)では、個人の思考が外界に影響を与えるなどという事は、一笑に付されるかもしれません。

しかし、この正思惟は、いくら強調してもしすぎることはありません。


ひとつ例を挙げるなら、、、

かつて宜保愛子さんという霊能者がいらっしゃいました。

彼女が述べていたエピソードなのですが、

宜保さんの友人だったか、男女関係でこじれ、分かれた相手を恨み、

相手の写真の足の所を毎日カッターで切りつけていたそうです。

宜保さんは、そんなことはよしなさい、と再三注意したそうなのですが、彼女は一向にやめなかったそうです。

しかしその彼女があるとき、電車に乗ろうとして、ふと前をみると、かつて分かれた相手が足に包帯を巻いて松葉づえをついて降りて来たのでした。

その足は、彼女が毎日カッターを当てていた方の足だったそうです。

それをみて彼女は、ハッとして、自分のしてきたことの重大さに気付いたというものでした。


これはとても極端な例ですが、大なり小なりこういうことは起こるのです。私も嫌というほど実感してきました。

本当に、正しい思考というのは大切です。


では、何をもって正しい思考とするのか?

それはそのひと、その人、それぞれによって違うと思います。

それぞれの良心の基準に従った正しい思考というものを心がけるべきだと思います。


何を考えようが自由なのではなく、思考というのはとてつもない力をもっているのです。

この自由意志こそ、大日如来をたたえる光明真言

オーム、アモーガ、ヴァイローチャナ、マハームドラ、

マニ、パドマ、ジュバラ、プラバリタヤ、フーン

またチベット人がよく唱える

オム マニ ペメ(パドマ) フーン

の中のマニ宝珠であり、誰でもが与えられている世界を創造する自由意志=力なのだと私は思います。

(パドマ=ハス・慈悲の象徴、ジュバラ=光)

先日ピーター・ドラッカーの言葉の中に自由に関するものがありましたが、

まさに彼が説くように

自由とは、選択の責任である

ということなのだと思います。重いですね。

しかし、逆に言うと、

想念を正しい方向で使った時には、自分や他者に対するその効果は絶大であるともいえるでしょう。

~に祝福がもたらされるように

というような、思いやりのある正しい祈りというのはその典型ではないかと思います。


自分のできる範囲内で、

正しい言葉、正しい思考に気をつけたいと思います。



余談ですが、お釈迦さん関連で、、、

私は最近、お釈迦さんが説法の途中、黙って手に持った華をくるっと回してみせると、

それを見ていた弟子がおーーっと気づきを得て笑ったというエピソードを思い浮かべます。

この話しが事実であったかどうかは別として、

もし仮にお釈迦さんが手にした華を示すことで何かを伝えようとしたとするなら、それは何だったのか?

おそらく、お釈迦さんはその一つの華に様々な意味を持たせてはいたのでしょうが、

最近思うのは、そのひとつは、ひっくり返る、見方が逆転するということではないか、ということです。


華が蕾の状態から、表と裏が逆になって、ばぁーーっと咲いている状態というのは、

即ち、悟りの状態というのが、自分というのがあって世界があるのではなく、

自分が世界になってしまうというか、今までの認識が裏返って、

世界から今までの体をもった自分をみるという感じなのではないかと想像するのです。

ザ・フライという映画で、物質転送装置でサルを送った所、

体の裏と表が逆になって送られてしまった、、という映像がありましたが、

それに近いものがあって、

とにかく認識が転倒してしまう、まったく逆転してしまう

ということを示そうとしたのではないか、

それが般若心経に書かれている

遠離一切転倒夢想(逆転して、夢見ている状態を離れた状態)

ということではないのか、、

となぜかそのようなイメージが時に頭の中に浮かんでくる今日この頃なのであります。


そしてそうやって、イッテしまった人というのは、おそらくもう元には戻れないだろうな、という気がします。

映画マトリックスで、シロップを舐めて真実を知ってしまった人が、もう元の虚構の世界にはもどれないように、、、。


なんだか、話しが色々と膨らんでしまいましたが、

正しい言葉、正しい思考に気をつけたい、ということであります。


おしまい





参考:

伊勢白山道ブログ:見ているようで見ていません
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/388075ceeb453aeb12b225acdde36370


ウィキペディア:

八正道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93


拈華微笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%88%E8%8F%AF%E5%BE%AE%E7%AC%91


2011年2月27日日曜日

ハッキリ言って、コーヒー党!



ハイ、ハッキリ言ってワタクシ、

コーヒー党


であります。



メキシコで買ったカップ↑。柄がかなり気に入っている。



昔は紅茶をよく飲んでいました。

紅茶のシャンパンと呼ばれるダージリンの、あの鼻腔をくすぐる花のような香り

俗にマスカテルフレーバーと表現されるテイストは最高ですが、

今は完全にコーヒーラバーと化してしまいました。


といっても悲しいかな、私はカフェインに極めて敏感なのであります。

昔はその自分の特性をよく知らなかったので、朝から紅茶をガブガブ、夜は緑茶がぶがぶ、と

カフェインを毎日のように摂っていました。


しかし朝カフェインをとると、精神が過敏になり過ぎ、

昼飲むと大好きなお昼寝(パワーナップが出来なくなり(笑)、

夜、日本茶などを飲むと、なかなか眠れなくなるのです。

よって、基本、カフェイン入りの物は普通の日は飲めないのであります。


ということで今は、コーヒーを飲めるのも週に1、2回

夜勤の入りの夕方とか、休みの日のお昼過ぎとかであります。

お昼も3時を過ぎて飲んでしまうと、夜はかなりおメメぱっちり状態になってしまいます。


いつの間にコーヒー党になってしまったのか、、、

おそらくそれは美味しいコーヒーと出逢ってしまってからだと思います。

私の友人、、、そう呼ばせて貰ってもいいのだろうか、、、

といっても私の友人(=気の合う人、波長の合う人)はなぜか自分より20歳ぐらい年上の人が多いのですが(笑)

彼に紹介して貰ったコーヒーがメチャクチャ美味しくて、

後にも先にも、それを超えるコーヒーにマミエタことがなく

人生の中で一番美味しいコーヒーだったのであります。

そのコーヒーに出会って以来、コーヒーはほぼそこで買っています↓

珈琲職人
http://members.jcom.home.ne.jp/coffeeshokunin/main.html


東京に出る用事があるときは、必ずこちらに寄るようにしています。

豆を200g買うと、一杯ただで飲めちゃうというお得なシステムなのであります!


先日もちょっと多めにここの珈琲をネット注文で買いました。

というのも、来月あたりから珈琲が値上がりするらしいからであります。


本日、届いた珈琲のうち、

インディア

をさっそく頂きました。

クセのある味がたまらん!


今はこの清玩ブルーのデミタスでちびちびやるのが楽しみ



私の一番好きなのはケニアですが、インドのあの独特の味はクセになりますね。

インドでは、北の人たちはもっぱらチャイ (=香辛料などがたくさん入った甘いミルクティー)を飲みますが、

南インドでは、これが甘いミルクコーヒーになるのです。

どちらも街角で1、2ルピー(およそ3円位)で飲めます。


チャイやコーヒーもスタンドや店によって味が違い、ピンキリなのですが

中にはかなりひどいものがあって、

それは味というより衛生面に関わることなのですが、

地球の歩き方のコラムには、

あの火葬場で有名なバーラナシー(ベナレス)のガンガー(ガンジス河)

の近くで売っているチャイは飲まない方がいいと書いてありました。

それによると、あるチャイ屋のおやじは、

あの糞尿、死体、排水などあらゆるものが漂うガンガーの水をそのまま汲んでチャイを作って売っていたりするのです。

それを飲んだある日本人は、強烈な腹痛を起こし、現地の医者に行くと、

おまえウ●コでも喰ったのか?

と聞かれたとの事(笑)。(食う訳ないでしょ!)

そんななんでもアリのインドがまたいいんですよね。


インドのコーヒーを飲むと、

バンガロールやマドラスなどの南インドを回っていた頃の風景や

南国独特の濃厚な花の香り漂う町の情景が頭に浮かんできます。


おっと、話しがずれた。

カフェインを飲むと、少しハイになるのか、私は妙にブログを書きたくなったり、

無性に運動をしたくなります。

本日も、リュック背負って5キロほど走ってきちゃいました(笑)。


コーヒーの保存方法は、私の場合、密封して冷凍庫で保存しているのですが

それでよかったんだっけぇ~

と本日検索してみたら、なかなかよくまとまったサイトがありました↓

珈琲豆の保存方法と保存容器
覚えておきたい6つのポイント
http://alt-coffee.com/ac-hozon.html

そういえば、淹れるときに、

粉がふっくらとしてくるのと、あまり膨らまないコーヒーがあったのですが、

あれは鮮度が関係しているのだという事を本日知りました。

日々、コレ勉強であります。



さて、まったく関係ありませんが、

来月から始まる番組でちょっと面白そうで期待しているのがあります↓

NHK こだわり人物伝~湯川秀樹~
http://www.nhk.or.jp/etv22/wen/

録画予約完了済みであります。


とりあえず、おしまい


参考:

彦兵衛のブログ:
Dr.新谷さん追加情報~パワーナップとカフェイン
http://mshiko.blogspot.com/2008/07/dr_30.html

アマゾン:
病気にならない生き方 3 若返り編 (3) サンマーク出版 (2007/12/26)

珈琲豆の保存方法と保存容器
覚えておきたい6つのポイント
http://alt-coffee.com/ac-hozon.html


珈琲職人
http://members.jcom.home.ne.jp/coffeeshokunin/main.html









2011年2月24日木曜日

ドラッカーの金言 その弐



ひきつづき、前回紹介した



ドラッカー 365の金言 ダイヤモンド社 (2005/12/2)



からのことばをご紹介いたします。


人はコストではなく資源である






このことに最初に反応したのが日本企業だった

というのは日本人としてちょっと嬉しい気がします。


もし人材人財と捉えているなら、

こういうことになろうかと思います↓


経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行なうことは、社会的にも道義的にも許されない





組織内の所得格差20倍以内とする

というのも具体的な数字が出ていて、

そんなものかぁ~と思いました。

(私は20倍でも多いんじゃないかと思ってしまいましたが、、、どんなものでしょう)



仕事が出来る人は、仕事を楽しむ





仕事が出来る組織は、仕事を楽しんでいる





やはり、何事においても、

楽しむ

ということが最大のポイントなんですね。

楽しいときは、関わっている人たちからエネルギーが湧いてきますからね。

仕事の効率というのは、やはり、そこに関わっている人たちの心理的な側面をも含めて考えるべきで、

ふつう仕事というとエネルギーを消耗するというイメージですが、

楽しい時は、エネルギーを生み出すジェネレーターとしての機能ももつので、

楽しいか否かというのは、とても大切なポイントだと思います。


最近、結局はすべてエネルギーの問題だよな~

と思います。

人の心の満足や幸せの問題、人のやる気、煩悩(負とされるエネルギー)、食糧や運動、日々使うエネルギー(太陽→石油、お金)などなど

これらをまとめて、エネルギー問題としていつかブログにまとめられたらと思ってますが、

総じて、エネルギーが淀むことなく、ほどよく流れている状態

自然に湧きあがってくるエネルギーを利用する

というのが理想で、

私達がどのようなエネルギーなよって動き、あるいは動かされているか

を普段からよく見極めておくのは大切なことだと感じています。

意外と日常の中で見過ごされているエネルギーの源泉というのがあるように思います。

エネルギーの源泉に気づけないと、様々な努力が必要になってきます。

本当は、勉強などもあまり努力することなくできるように思うのですが、世間では勉強=努力を要するものという公式が出来上がっているように思います。


さて、話しがだいぶずれてしまいました。


仕事のできるものは、まず時間に手をつける





時間を如何に使うかというのは、大事なんでしょうね。

誰にでも与えられている時間は同じですから。

でもあまり時間を気にしすぎるのもどうか、、という気がしないでもありません。


社会についての理念は、哲学あるいは形而上学の領域で見つけねばならない





やっぱ理念て大事ですよね。

まず、何を目標として、何をしたいのか、をはっきりさせないと、

日常の行動にハリが出て来ませんからね。


妥協に関して面白いたとえがあったので載せておきます

半切れのパンでもないよりましである

半分の赤ん坊は奪われるより悪い








私はこの最後のたとえに、

今、中東で怒涛のように起こっている民主化を求めるデモが重なりました。

今までは、半切れのパンでも・・・という心境で多くの民衆は抑圧された状況を我慢してきたのでしょう。

しかし今回のデモは、もうやるか、やられるか、

失敗に終わったら粛清される、やるなら最後まで!!

という必死さがビンビン伝わってきます。


しかしこのデモが、フェイスブックやユーチューブによって広まって行ったというのは驚きでした。

NHKスペシャル:
ネットが“革命”を起こした
~中東・若者たちの攻防~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110220.html


時代は確実に変わっているんですね。

これからは、驚くべきことが、あっという間に達成されるということが、

次々に起こってくるのかもしれません。

さて、どんな時代になって行くのやら、、。


まぁ少なくとも、個のレベルにおいては、

自らの良心に従って

毎日を楽しく感謝の気持ちをもって送っていけたらと思ってます。


生きているだけで、有難いことであります


おしまい



参考:

アマゾン:

ドラッカー 365の金言 ダイヤモンド社 (2005/12/2)





2011年2月22日火曜日

ドラッカーの金言



ピーター・ドラッカー関連で、

少し前に読んだこちらの本からのことばを載せておきます。





ドラッカー 365の金言 ダイヤモンド社 (2005/12/2)




価値観とあったことをする






自由とは選択の責任である




心に残った言葉がまだあるので、ぼちぼち話題の合間をみて載せていきたいと思います。


おしまい



参考:

アマゾン:
ドラッカー 365の金言ダイヤモンド社 (2005/12/2)


ドラッカーの人柄、何を貢献するか(推薦のことばより)



2011年2月17日木曜日

本当の幸せとは、、、by ピーター・ドラッカー (Peter Drucker)



最近ピーター・ドラッカーが流行りのようで、

図書館でもリクエストしてもなかなか借りられないのですが、

ようやく借りられた本のひとつがコチラ↓






彼の思想がイラスト入りで概観できてとても分かりやすかったです。


最初のページには彼の根本思想がひとことで述べられていました↓





人は自分の価値観に従い、

自分の強み社会に貢献する責任があり、

それが本当の幸せなのだ!


とてもシンプルで分かりやすく、また腑に落ちる言葉でした。



途中は省きますが、最後の著者のあとがきの中に、

ドラッカーの次のような言葉がありました。





人は教えるときにもっとも学ぶ


なるほどなぁ~と思います。

実は、私はこのブログを書いているのも、

自分が知ったこと、気づいたことを人に伝えられたらなぁ~

という思い+自分の考えの覚書という側面とともに、

書くことで、更に自分の考え発展する楽しさがあることです。


人に説明するには、それなりに更に調べる必要があり、

また一度書いて吐き出すことで、考えが次のステップに移行しやすくなるように感じています。

また、他の人からのコメントで更に知見が広がることもあって、とても自分の為になっています。


ちょぼちょぼではありますが、このブログを今後も出来る限り続けていきたいなぁと思っております。

読んで下さっている方、(たまに?)コメントして頂いている方々に感謝であります。



さて、この本には、ドラッカーを体系的に学ぶためのチャートが付されていました。

もしよかったら参考にしてください。







参考:

アマゾン:

『図解で学ぶ ドラッカー入門』 藤屋 伸二
日本能率協会マネジメントセンター (2009/5/30)


彦兵衛のブログ:

経営の神様 ピーター・ドラッカーの経営哲学
http://mshiko.blogspot.com/2010/03/blog-post_26.html


イトコの結婚式にいって思ったこと その2
http://mshiko.blogspot.com/2010/08/2.html




2011年2月12日土曜日

噛めば 噛むほど、、、



先日の試してガッテンはとても面白かったです↓

脳と身体を刺激せよ!やる気の源は〇の裏
http://cgi4.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20110209


要は、噛むことで脳が刺激、活性化され、やる気がもりもり出てくるというものでした。


導入部の動物園のロバの話しは印象的でした。

人間の年齢にすると90にもなろうかという動物園の人気者のロバ、

歯もボロボロで衰弱が激しく、もう寿命かと思われていたそうなのですが、

そのロバに入れ歯を入れてやることにしたのです。

そうしたところ、それまでお粥さえもろくに食べれなかったのが、入れ歯で草をもりもり食べ始め

急速に元気を回復し出したロバは、

やがてはふざけて羊に噛みつくなどのおちゃめな行動さえとるようになったそうなのです。

そのロバは、その後3年生きたそうです。


人間も歯がある、なしで(入れ歯を含む)、体の機能や、脳の活性などがまったく異なるそうです。

記憶力や瞬発力、バランス感覚など、すべてに影響を及ぼすのだそうです。

何より、人間の人間たるゆえんである好奇心(=やる気)が、

歯のあるなしで全っく異なってくるというのはとても興味深いことです。

噛むということは、すなわち食べることであり、それは人間が生きる事そのものと直結しているので、

噛むという刺激自体が脳を活性化させるというのです。



かく言う私は、もうだいぶ前から玄米を食べ、

歯磨きの後には貝原益軒の教え(養生訓)に従って歯をガチガチならしていたので、

他の人に比べてだいぶカミカミしていたように思います。


私は他の人に比べ、思いついたら色々と行動を起こし、

本なども興味に従って結構読む方なのですが、

なんで他の人はあまりやんないのかなぁ~、と常々感じていたのですが、

もしかしたら歯を昔からカミカミしていたことと関係しているのかなぁ~

などと今回見て感じました。


なにはともあれ、イイと思ったことは色々試してみてみるのがお得です。


前にここでも紹介したデーケンさんは、人間の年齢には3種類あると言っていました。

生活年齢生理年齢心理年齢です。









生活年齢は、実年齢。

生理年齢は、運動や食事などの習慣によって、人により異なってきます。たとえば、血管や骨の年齢などです。

心理年齢は、自分が何歳と感じているかです。


ふつう何歳ですか、、

と尋ねるとき生活年齢を問うている訳ですが、

実際に大事なのは、あとの二つであり、それによって見た目の生き生き感が変わってくるように思います。


最近読んだインド人の医者が書いた本↓





エイジレス革命―永遠の若さを生きるディーパック チョプラ(単行本 - 1997/1)






には、まさに心理年齢の大切さが説かれていました。


定年を過ぎたとたんに、様々な病気があらわれる↓






70代の人たちに、50代の頃の生活をさせる実験↓










食事や運動に気を配ること。

自らを実年齢によって縛らないこと。思いこみによって、自らを制限しないこと。

こう言った諸々のちょっとした心掛けだけで、年齢というのは色々と変わってくるようです。


でももっと大事なのは、


守りに入らない


ということかもしれません。

好奇心のおもむくまま、色々なことにチャレンジしていく、というのが生き生きと生きる鍵かなと思います。

最近読んだ、甲野さんと茂木さんの対話に以下のようなものがありました↓




そんなの知ったこっちゃない!

その位の勢いがある方がいいのかもしれませんね。


どうも、ものごとは一定でいることは稀で、

イイ循環悪循環のどちらかにはっきり分かれるようです。

そして生活のひとつの要素をたとえばイイ循環の方に傾けると、

将棋倒しのようにパタパタっと、流れがイイ循環の方に回って行くように感じます。


なにはともあれ、今回のガッテンは、"噛む"という単純な行為が、心身の様々な面に作用しているという

とても画期的かつ刺激的な報告でした。


再放送が

2月15日(火)午後4時05分~4時50分

にあるので、見逃した方は是非ご覧ください。


追加、、、

次回のたけしのニッポンのミカタ

でも同じような放送をするようです。

2011年2月25日(金):夜10時00分~10時54分

噛まないアナタは損してる!?

http://www.tv-tokyo.co.jp/mikata/



Check it Out !


参考:

NHKためしてガッテン:

脳と身体を刺激せよ!やる気の源は〇の裏
http://cgi4.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20110209

アマゾン:
貝原益軒 養生訓 (講談社学術文庫 (577))

よく生き よく笑い よき死と出会うアルフォンス・デーケン (単行本 - 2003/9/17)

エイジレス革命―永遠の若さを生きるディーパック チョプラ(単行本 - 1997/1)


響きあう脳と身体 甲野善紀 茂木健一郎 バジリコ (2008/10/3)





煌めく虹の陶器 ~そごう美術館、徳田八十吉展を見に行ってきました!!



先月、当ブログで紹介した

そごう美術館の徳田八十吉展

見に行って参りました!!






まずは横浜駅周辺の金券ショップを前もってネットで調べておいて、

そこに寄ってチケットを入手してから行きました。

200円お得!(笑)





作品は、初代、二代の徳田八十吉の九谷焼も展示されていたのですが、

やはり三代目の徳田八十吉さんの作品はずば抜けていました。









美しすぎて、胸がいっぱいになってしまいました。

ホント、この世のものとは思えない美しさに、ただ、ただ見ていてため息ばかりついていました。


ここでは、作品展示のほかに、18分の紹介ビデオも放映されていました。

三代目となる彼は、陶芸が嫌いで、家業を受け継ぐ気などなかったそうです。

しかし家に来ていたある画家に、

そんな嫌いだったらいっそやってみたらいい

と言われ、それがきっかけとなって、陶芸の世界にのめり込んでいったのだそうです。
面白いですね。


しかし彼がやり始めたころ、様々な色の出し方を極めた初代が亡くなり、

それを秘伝にしていたこともあって、

色の出し方を教わることが出来なかったそうです。


しかし初代が残した暗号のようなメモ書きが残されていました。

それを研究していくと、

数字を阿弥陀如来をあらわす漢字10字に置き換えてメモ書きしていることが判明し、

それ以降、独自の研鑽も加わり、出せる色が200色以上にのぼったのだそうです。

そうして生まれたのが、あのような美しいグラデーションだったのです。


彼の作品には、“始原”とか“創成”などの神秘的な名前がついているのですが、

確かにそれらの作品には宇宙の根源・深淵を思わせるようなものがあって、

見ていると、心がすーーっと引き込まれていくような感覚に襲われるのです。

それはグラデーションのようなものばかりでなく、濃紺一色のような作品でもそうなのです。

これに一番近いのは、マンダラやフラクタル図形でしょうか。

瞑想をしていると、マンダラに描かれる様な図形、光と色の戯れのようなもの見ることがありますが、

陶芸によるこういった表現手段もあるんだなぁ~といたく感激しました。


余談ですが、この日の夜にある集まりがあって、

その席で今日こんな展覧会に行って来たんだよ~

と興奮気味にパンフレットを見せたのですが、

なんかしーんとした感じで、あまり反響が帰ってきませんでした。(笑)


私が最初パンフの写真を見た時は、

なんじゃこれゃーーー!?

だったのですが、他の人はそうでもないんですね。

十人十色、それぞれの人が体験してきた風景というか心境は

自分と同じじゃないんだなぁ~ということを肌身を持って感じました。


しかし逆に、そのパンフの写真をみて、

キテマス、キテマス、ヤバいですね~

という人がいたら、類は友をよぶじゃないですが、

相当話しが弾むだろうなぁと思いました。


私は美術館などには、まあまあ行く方でありますが、

今回ほど心を揺さぶられ、圧倒されたことは今までにありませんでした。

ホント、素晴らしい、の一言に尽きます。

言葉を超えてます。

頭がクラクラして、心が酔って、正常な思考が出来なくなってしまいました。


2/13までやっているので、御都合の付く方は、どうぞご自分の目でご覧下さい。



ミュージアムショップには、彼の作品も売られていました。その値段に頭をクラクラさせられてしまうのも、またいいかもしれません。(笑)


参考:

横浜そごう美術館
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/

横浜駅周辺の金券ショップ(私はBのjマーケット横浜ポルタ店で買いました)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&q=%E9%87%91%E5%88%B8%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97&fb=1&gl=jp&brcurrent=3,0x60185c6e6db102ff:0x5db4e82b559fa853,0&sll=35.465843,139.620674&sspn=0.01087,0.019076&rq=1&ev=zo&radius=0.64&split=1&hq=%E9%87%91%E5%88%B8%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97&hnear=&ll=35.465598,139.622626&spn=0.01087,0.019076&z=16

徳田八十吉 画像検索↓
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&ie=UTF-8&hl=ja&rlz=1T4DAJP_jaJP265JP265&q=%e5%be%b3%e7%94%b0%e5%85%ab%e5%8d%81%e5%90%89&biw=1270&bih=770



2011年2月11日金曜日

「脳」を変える「心」 by ダライ・ラマ



いま私が読んでる本がコレです↓




「脳」を変える「心」
シャロン・ペグリー (著), 茂木健一郎 (翻訳) (2010/11/5)




これは、ダライ・ラマさんが世界の最先端を行く科学者たちを自邸に招き、

仏教と科学に関して対談してきたことの一部を本にまとめたものです。





本書の中で、ダライ・ラマさん自身、

たとえ経典に書かれていることであっても、科学によって間違いであると証明されれば、

それは捨て去られねばならない
と、楽しげに話している様子などが描かれていて、

ダライラマさんはさすがだなと思わされました。


仏教と科学について↓





仏教が目指すのは信ではなく、洞察↓






仏教と科学の交流の必要性↓






月の話し↓






利他の心をもって科学のもたらすものを導入する↓






当ブログに前にも書いたように、私はダラムサラに住んでいたことがありますが、

私がダラムサラにいた頃から、

この様な世界の一流の科学者との対話、

―≪ 智のサミット≫―

のようなものがダラムサラにある彼の自邸で定期的に行われていたんだ、

と思うと感慨深いものがあります。


しかし私自身は、チベット人や、その他の一部の人たちに見られるような

ダライ・ラマを無闇に崇拝する気持ちはまったくないし、

むしろそのようなあり方に疑問を感じます。


多くのチベット人は、家にダライ・ラマ氏の写真を飾って、

神の如く奉っていますが、どこかそれには違和感を感じるのです。


本来仏教は、一人ひとりの内にブッダが到ったのとと同じ境地(菩提心)があり、

そこに到るのが目標であるわけですが、

多くのチベット人がやっているのは、自分の内側に目をやるのではなく、

ダライラマにお祈りして、彼にすがって何がしかの御利益を得ようという感じを受けるのです。


また政治的、宗教的指導者であるダライラマ自身も、

多くのチベット人がそのようにしていることを容認しているように思え、

真の仏教者ならば、そのような偶像崇拝をするのではなく、

自らの心を見るにように注意を促し、

自分をアイドルとして奉っている風潮をたしなめ、

そのように己の注意が外側に向いてしまうことを、説法の方便として使うべきではないのか、、

などと私は思ってしまうのです。


これは私の未熟で浅い見解なのかもしれませんが、

チベット人社会の中に身を置いてみて感じた素直な意見でありました。


しかしそれとは別にして、

チベットという国は、中国人民"解放"軍によって1959年武力によって占領され、

チベット人が暴動を起こすと"内政干渉"として国際問題として扱われないというたいへんな状況の中、

インドに亡命して50年、非暴力を説き続けるダライ・ラマさんは、やはり偉いと思います。


話しが少し変わり、、、

私は最近中国に関するとても生々しい夢を見ました。

それは日本がちょうどチベットと同じような状況に置かれるようなものだったのですが、

それが普段見る夢と違ってあまりに生々しかったため、

目ざめたときにも、その嫌悪感が残っているほどでした。

そんなことが現実にならないといいなと思いつつ、

その夢を反芻していたのですが、

夢を思い返しつつ、私は前に読んだある臨死体験者の本を思い出していました。








彼、木内鶴彦氏立花隆氏の臨死体験の本にも取り上げられている人なのですが、





彼は、臨死体験時に未来の日本にいって、二つの世界を見たそうです。

一つはとても平和なもので、もう一つは、戦場で荒れ果てた光景だったそうです。

本を書いている時点で、今の世界は後者の世界に傾きつつあるのではないかと述べていた事を印象深く覚えてます。


そういうよくない世界が顕現しないように、

私達は普段の思考や会話、選挙など、

自分のできる身近な所から責任のある行動を心がけていきたいと思うのであります。

当ブログがそのための何がしかのヒントになれば幸いだなぁ~と常々思っているのであります。


おしまい




参考:

「脳」を変える「心」 もくじ↓








ダライ・ラマ 科学への旅―原子の中の宇宙 ダライラマ著 サンガ (2007/07)






ダライラマの著作

宇宙(そら)の記憶―彗星捜索家の臨死体験 木内 鶴彦 (単行本 - 1995/11)

生き方は星空が教えてくれる 木内 鶴彦 (単行本 - 2003/4)

証言・臨死体験 (文春文庫) 立花 隆 (文庫 - 2001/8)


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