2008年8月30日土曜日

歯のお手入れ



インド人には虫歯が少ない


といわれますが、私はインドに行く折々にその原因を探るべく、それとなくインド人の行動を観察してきました。

私が見たところ、まず第一に彼らは

食べたあとすぐに口をゆすいでいる。


レストランなどでは必ずといっていいほど出口付近に手を洗う所があり、そこで食後手と一緒に口をゆすいでいる光景をよく目にしました。

インドでは手で食べる習慣があるので、手を洗う場は必須なのです。それで手を洗うついでに、口もゆすぐ、これはかなりいい習慣ではないかと思います。

というのも先日NHKためしてガッテンで「虫歯」について放送していたのですが、それによると

私たちの虫歯を予防しているのは「唾液」


だそうです。

食事をすると口内の細菌が糖分を分解して虫歯の原因たる

「酸」


を出すそうなのですが、食事が終わり唾液が口内にいきわたることによってそれが中和される。口内はこの繰り返しらしいのです。

したがって、なるべく

細菌が酸を出す時間を短くする


ということが虫歯予防のポイントらしいのです。初期の虫歯なら唾液によって治ってしまうそうです。

そういう意味では、インド人のように食後すぐ口をゆすぐことによって、細菌のエサを断つというのとても理に適った習慣だと思います。

私も彼らのまねをして食後すぐ口をゆすいでいますが、結構食べ物のカスが水といっしょにでてきます。

時間が経つに従って、ああいうカスがどんどん歯に付着して歯垢となり細菌の格好の温床になっていくんだなと思います。

私はこのように食後ただちに口をゆすいでから歯を磨くことを習慣にしています。


番組では虫歯予防の結論として以下の三点をあげていました。

1.間食の回数を減らす

2.夜寝る前に食べたり飲んだりしない


3.毎日歯みがき

しかし私としては物足りないものを感じました。

確かに間食を減らし、食後に歯磨きをするというのは大切ですが、虫歯予防に必須の唾液を常に口内に満たし歯を唾液に浸しておくためには、常に口を閉じている必要があります。

すなわち合わせて

「鼻呼吸」

が大切だということです。


このブログで「鼻呼吸」のメリットを紹介し、その中で虫歯の予防という点も取り上げましたが、口を常に閉じておくためにはこの「鼻呼吸」の習慣が欠かせないのです。

つまり鼻呼吸には、一石三鳥ぐらいのメリットがあるといえます。


さて話はまた戻りますが、インド人が口をゆすぐ時に、同時に歯茎をマッサージしている人を多く見かけました。

私はインドの寝台列車に乗った時に、せまい水飲み場で順番待ちをしつつよく観察していたのですが、歯磨きのあと指でマッサージをしていました。

それも歯茎をマッサージするといったら人差し指でやるのがふつうなのかなと私なんかは思い込んでいたのですが、彼らは「中指」でマッサージをしていました。

確かに手の指の中で一番長い「中指」でやった方が奥まで届き、また力も入るのです。私はナルホド!、と思い自分でも中指でのマッサージを実践するようになりました。


もう一点、インド人に虫歯が少ない理由は、彼らは歯ブラシの代わりにニームの木というのをカジカジするのですが、

その木は太古の昔から薬草(薬木?)として使われてきた植物なのです。ニームの木をかじることで、歯ブラシの効果プラスその薬効成分による虫歯予防になっているのかもしれません。


さてエドガー・ケイシーは歯の手入れに関して何と言っているのでしょうか。

重層と塩にまさる歯磨き粉はない。 1467-8

週に少なくとも三~四回、重層と塩を同量に混ぜたもので、歯を磨くようにすると、歯からこの邪魔者を洗い流すことができる。 457-11

よく注意して歯を大切に使いなさい。食塩と重曹を半々にまぜて、これで歯ぐきを指でマッサージしなさい。歯ブラシはマッサージに用いないようにしなさい。 3484-1

私は歯の手入れに関しては他に、歯間ブラシというか、歯医者で歯垢をとるときに使う金属で先が曲がっている器具を使ってます。

どんなに丁寧に歯ブラシで磨いても、歯と歯のすき間には歯垢が残ってしまうようで、これが虫歯の原因になってきたようです。

これを昔から知っていたら、虫歯ゼロで来たかもなぁ、と思うのです。


あとは日本の健康本の古典ともいうべき、貝原益軒著『養生訓』に書かれていることを歯磨き後の習慣として欠かさずやるようにしています。


歯は何度もかちかちいわせるがよい。歯をかたくし、虫歯を防ぐ。






参考:

NHKためしてガッテン「常識逆転!自宅で虫歯を治す法」
http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2008q3/20080827.html

彦兵衛のブログ「鼻呼吸」
http://mshiko.blogspot.com/2008/08/blog-post_13.html

ローレンス・M ステインハート著 
エドガー・ケイシーのインナー・ビューティー革命
たま出版 1992

福田高規
新版 エドガー・ケイシーの人生を変える健康法
たま出版1993

光田 秀 (著)
新版 エドガー・ケイシーの人生を変える健康法
総合法令出版; 新版版 (2007/03)



貝原益軒著 松田道雄訳 『養生訓 』 中公文庫 1977




2008年8月28日木曜日

あるがままということ

-
アフガニスタンでの日本人スタッフの誘拐は、たいへん残念な結果になりました。しかしどんな悲惨なことが起き、どんな悲しい事態になったとしても、常に悪い想念を抱かないようにすることは極めて大切なことだと思います。それは憎しみの連鎖を作らないということであるとともに、自らの為でもあるのです。

私はかつて僧侶であったときに師僧にこういわれたことがあります。

「どんなひどいと思われることがあっても、まず「あるがまますべてよし」と言ってみるんですよ。」

と。私が学んだ真言宗では森羅万象、すべてのものは「大日如来」のあらわれととらえます。したがって大局的にみると、日常的な身の回りに起こるすべてのこともまた大日如来のあらわれでなのであります。

確かに、悲惨な事件などをニュースで見た時などに、犯人に対して悪態をついたりする前に「あるがまますべてよし」と言ってみると、いままでとは違った視点があることに気づかされます。

つまり、ものごとには必ず両面があるということ。どんなに救いようのないと思われる出来事に関しても、必ずそこには社会やそれに関わった人たちが向上していくことのできるプラスの面があるということです。そういう意味ではすべてのことに無駄はなく、すべての出来事に意味があるのだと思います。

よくこの地球は魂が体験を通じて学ぶための学校であるといわれます。自らアクティヴに何かを体験することで、作用、反作用の影響を学び、我々は一歩一歩自らを向上させていくということです。

そういう意味では、加害者の人たちもまた同じく学ぶ生徒であり、被害者もただ無駄に亡くなってしまったのではないと思うのです。

ケイシーのリーディングには次のようなものがあります。

何もしないより、何か行動して失敗するほうがよい。262-126

自分の理想は何であるかを知りなさい。そしてそれを実行しなさい。何もしないよりは悪いことでもした方がましである。

かなり過激なことばではありますが、体験すること自体にこの地球に生まれてきた意味がある、ということなのだと思います。


またもうひとつ「あるがまますべてよし」と言ってみることのメリットは、自らの想念を落としこまないという点にあります。

魂には「波長の法則」というのがあるといわれます。類は類を呼ぶ、朱に交われば赤くなるというものです。怒りや憎しみなどを心に抱いていれば、そういうものを自らに引き寄せ、また自らの体も蝕み、そして何より自らの魂をそういう境地におとしめてしまうということです。

私はインドを旅しているときに、友達になったイスラムの人に次のように言われました。

「イスラム教では、いま生きているというのはテストなんだ。いつも神に試されているんだ。だから、それをちゃんと理解している人は悪いことなんてできないよ」

と。彼はイスラムの教義を自分たちの都合のいいように解釈し暴力に訴えるような事態を悲しんでいました。

私たちの前には常に選択枝が用意されているといえます。向上か、下降かの道です。自分たちの目にひどいと映る体験に対しても、それに対してどういう反応を示すか、私たちは常に選択を迫られているのだと思います。キリストのことばをかりるなら、一方が「天に富をつむ」こと、魂の向上であり、もう一方が「地に財を築く」こと、すなわち地上に縛られることにあたるのかもしれません。

今回の事件に関して、ペシャワール会代表の中村哲医師も、アフガニスタンの人たちに対して不満をいうことなく、自分たちの活動を続けていきたい、それが亡くなった伊藤くんの遺志を継ぐことになるという立派なコメントをされていました。

私もまた、亡くなったペシャワール会の伊藤氏、そして加害者である犯人にたいしても、魂に祝福がもたらされんことを祈りたいと思います。


参考:

福田高規
『エドガー・ケイシーの人生を変える健康法』
たま出版1993 (p.87)

光田秀 編
『賢者たちのメッセージ:エドガー・ケイシーに学んだこと』
PHP2006 (P.238-239)

2008年8月26日火曜日

サンマを食べつつ、、、



サンマのおいしい季節になりました。

ニュースでサンマの水揚げを見ていたら、新鮮なサンマの見分け方は、口先が黄色く、全体が銀色に輝いているのがポイントだといっていました。

映像に映っている水揚げされたばかりのサンマは確かに口先が鳥のように黄色くなっていてへぇーと思いました。

本日スーパーにサンマを買いに行ってみたところ、新鮮だったのだろう、ほんとうに口先が黄色くなっていて、少し感動。

意識してみないと見えてこないものってあるものですね。


ところでふつう秋のサンマというと塩焼きが定番だと思いますが、私は圧力釜で調理します。

水を反カップほどいれ、そこに二つに切ったサンマをいれるだけ。調味料なし。15分ほどで調理は終了。

サンマはもともと塩味がついているので、このままで充分おいしいのです。頭から身から骨まですべて食べられて、最高です。大根はちゃんとすりましたけどね。


さてサンマを食べつつ、7時のNHKニュースを見ていたところ、アフガニスタンで日本人が誘拐されたという。

まさかペシャワールの人じゃないよなぁ、と思って見ていたところ、なんとぺシャワールのスタッフだという。私はえーっ、といってのけぞってしまった。


かつてNHK教育の『知るを楽しむ』という番組で、ペシャワール会代表で医師の中村哲さんについてやっていたのをずっと見ていて知っており、

またその活動に感動、共感したことから会員になることで支援もしていたのでとても驚きました。


中村医師は最初単に医師としてアフガニスタンで活動していたのですが、医療の前に水や食料が不足していることに気づき、現地に数十キロにおよぶ水路を作ってしまったという人です。

米軍がアフガニスタンに侵攻し、力によって自らの政策、自らの価値を押しつけようとしているなか、

逆に草の根から現地の住民が何を欲しているのかを汲み取って真に住民のためになる活動を続けてきたのがペシャワール会でした。

派手さはないけど真の国際貢献というものはこういうものだな、おそらく平和とはこのような地道な努力の連続によってしか築かれないのだなと思っていたので、現地の活動には会報を通じて常に注目していました。

ペシャワール会の活動は現地住民からの信頼があつく、外国人が次々と誘拐され殺されるアフガンの情勢のなかにあって、ペシャワール会の人たちがそういう被害にあうことは皆無でした。


今回は武装集団に対して、住民、軍、警察などが取り囲んでいるという情報が入っています。この種の報道で住民が率先して解放のために動くということは聞いたことがなく、

いかにペシャワール会のこれまでの活動が現地の人に支持され、信頼されてきたかということだと思います。おそらく今回の場合は早期に解放されることだろうと思います。そう願いたい。


最後に「知るを楽しむ」のテキスト

アフガニスタン・命の水を求めて~ある日本人医師の苦闘

から中村哲医師のメッセージを引用を付しておきたいと思います。

------最終章「日本の若者たちへ」より-------------

アフガン情勢に限らず、私たちの世界観や常識が、しばしばフィクションの上に成り立っていることを私は述べてきた。人為の架空に欺かれる。そして、幻の不安の影に脅える。

<中略>

虚構は虚構を呼び、不安は観念で膨らんで現実化する。持てば持つほど、不安と防衛心が私たちを支配する。悪循環である。

<中略>

アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。武力によってこの身が守られたことはなかった

一九九二年、ダラエヌール診療所が襲撃されたとき、職員たちに「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。

現在私が力を傾ける用水路の建設現場は、外務省によって「危険地帯」に指定されている場所である。しかし、十数名の日本人ワーカーに護衛は要らない

対照的に、用水路に沿って走る道路工事は、外国人技師を守るため、ものものしい武装兵の一団が付いている。その事務所はまるで要塞のようで、人々に威圧感を与える。

<中略>

このことは、ぜひ伝えておく必要がある。

私たちが地元の人々に何を求められているのかを汲み取り、人々の心情を察し、信頼感を得て行動する限り、武器は無用である。

道路工事技師の場合、まるでゴミの山を除くように道路脇の田畑やバザールをつぶしたりして、権柄(けんぺい)ずくの態度が目に余っていた。

襲撃された国際医療団体の場合、外国人はほとんど現場に行くことがないばかりか、旱魃であえぐ人々を尻目に、娯楽用プールを作ったり、毎晩ワイン・パーティーをしたりで、反感を買っていたのである。


私たちPMS(ぺシャワール会医療サービス)の安全保障は、地域住民との固い信頼の絆である。こちらが本当の友人だと認識されれば、地元住民が守ってくれるのである。

もし、武装した護衛をつけ、人々の苦楽と別世界に暮らしていたら、同じ憂き目にあうことだろう。


そして、「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れるのである。

それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのである。


私たちは、いとも簡単に戦争と平和を語りすぎた。武力によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。


今、周囲を見渡せば、不安を忘れさせる享楽の手段や、大小の「権威ある声」に事欠かない。このことは洋の東西変わらない。

<中略>

人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。

少なくてとも私は「カネさえあれば幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身を守られる」という妄信からは自由である。

何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。


戦後六十年、自分はその時代の精神的気流の中で生きてきた。

しかし、変わらぬものは変わらない。江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。

いま大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。

だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。


これが二十二年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。

(p.131-135)---------------------

参考:

中村哲
アフガニスタン・命の水を求めて~ある日本人医師の苦闘
(NHK知るを楽しむ この人この世界 2006年6・7月 )』NHK出版 2006

NHK「知るを楽しむ」中村哲さんの放送分↓
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200606/monday.html
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200607/monday.html

ペシャワール会HP
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

中村哲さん著書(アマゾン)
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%92%86%91%BA%93N

2008年8月25日月曜日

肉を控えること ~ケイシーのリーディングから

-
下の写真は、ニューデリー駅から西に歩いて20分ほどのところにあるヴェジタリアン・レストラン「Bhaja Govindam」(バージャ・ゴヴィンダム)です。(地球の歩き方にも載ってます)
看板にちゃんと「Vegetarian Restaurant」と書いてあります。

ここにたどりつくまでが結構たいへん。車、バイク、オートリクシャ、自転車、人力車などがごったがえすなか、徒歩でいくのは結構しんどかった。

この料理は、確かスペシャル・ターリーだったと思う。肉は使ってないけど、メチャうまです。いったいどうやったらこんな味が出るのか。インド料理はほんとうに奥が深い。日本のインド料理屋さんも結構まわってますが、この味を出しているところはいまだ巡り合ったことがありません。

外の喧噪、排気ガスもくもくの不衛生状態とは対照的に店内は清潔で静か、高級レストランといった雰囲気ですが、この料理の値段は、100ルピー(300円)ほどでした。(ありえない、、、、)

私は今回のインド滞在中、計三度この店に足を運んびました。(またぜひ訪れたい)
以上、ヴェジタリアンつながりの余談でした。

前回の補足のようなかたちになりますが、

『エドガー・ケイシーのインナー・ビューティー革命』

という本の食べ物の章に、ちょうど肉食に関して同じようなことを述べたケイシーのリーディングが載っていたので引用しておきます。

--------------------

野生の動物は、その種類に応じて振動を形成しており、その肉を食べるということは、その波動を体内に取り込むことになる。 900-465


どんな種類の肉もたくさん食べるのは良くない。鳥か魚を食べ、血液を浄化する野菜を食べることだ。料理した玉ネギ、ビート、ニンジン、バラモンジン、生のキャベツ、セロリ、レタスなどのことだ。これがこの人の精神面と霊的な面に良い効果がある。 288-9


果物でも野菜でも肉でも、その地域に育ったものでなければ、多量に食べてはならない。これは、すべての人が従うべき重要なルールだ。自分の住んでいる地域の食べ物を食べることで、体がその地域になじむようになるのだ。 3542-1
p.156

---------------

最後のリーディングは日本では「地産地消」(ちさんちしょう)といわれ、マクロビオティックにおいても「医食同源」などのことばとともに食に対する原則としてよく用いられます。

似たようなことばに「土産土法」(どさんどほう)という表現がありますが、これはその土地でとれたものをその土地の調理法でいただくという意味です。

参考:
ローレンス・M ステインハート著 井本さと子訳 木下真理子訳 光田秀監修
『エドガー・ケイシーのインナー・ビューティー革命』 たま出版 1992
[Beauty Through Health, 1974]

2008年8月24日日曜日

バラモンの菜食主義 2

-
前回の引用のなかで、バラモンの歯が平たくなっていたというのは興味深い点です。玄米菜食を唱えるマクロビオティックでは、人間の歯の構成から私たちが本来何を食べるべきかを推定しています。すなわち、

全部32本中、臼歯が20本、切歯が8本、犬歯が4本

から臼歯は穀物、切歯は野菜、犬歯が動物性食品を食べるためと考え、日々の食事もこの歯の割合つまり

5/8が穀物、2/8が野菜、1/8を動物性食品

でとるのが理想であるとしています。
欲に任せて何でも食べるようになってしまい本来人間は何を食べるべきかがわからなくなってしまった私たちにとって、こういう考え方もひとつの参考になるのかと思います。

それでは、バラモンの菜食主義に関する引用を続けます。


----------『明るいチベット医学』より---------

菜食をつづけていると、心もからだも澄んださわやかな状態になりますが、からだそのものは風が吹くとヒラヒラと舞うぐらい軽くなります。やはり、かろうじて生きているという感じはします。私などは子供のころはふつうに食べていましたからまだいいけれど、何千年も菜食を継承してきたバラモンは、皮膚などもカサカサに乾ききっています。返事もろくにできず、ボーッとしている姿を見ると、痛々しさすら覚えます。人間が肉を食べずに、ほんとうにストイックに何代も菜食をつづけると、こういう人間になるというひとつのサンプルを見るようです。金のかかる自然食・菜食で高級な生活をし、よい私立学校に子弟を通わせたいという日本の流行を思うとき、おかしな気分にさせられます。

バラモンはやや極端な例ではありますが、私はインドの多くの菜食主義者たちを見ていて、どうしても菜食がからだにいいとは思えないのです。やはり私たちが未だもって犬歯をもっていることでもわかるように、人間が命を全うするためには、ある程度は動物の肉を食べるようにできているのではないかと思います。

最近は日本でも菜食主義を掲げている人たちがいるようですが、主義、主張で食べものを制限するのはどうでしょうか。治療のためというなら別ですが、美容とか健康にとって菜食が特にいいとは思えないのです。

私は菜食、肉食とも経験していますが、私の場合はどちらかというと菜食のほうが向いています。食糧難の時代に育ち、子供のころは菜っ葉とか大根とか野菜ばかり食べていましたから、野菜から摂取する力がすぐれていると思うのです。チベット、インドでの菜食時代も調子はよかったです。もう菜食から離れて久しくなりますが、いま思うとあのころは浮き沈みがなくて、なんてスガスガしい生活をしていたのだろうと思います。便の量も全然違うのです。昔はドーッと、食べた量より多いくらい、まるで象のように出たものです。

おもしろいのは、菜食時代のほうが夏涼しく、肉を食べているときのほうが暑く感じるのです。汗をかいても、菜食のからだは汗がスーッと通り抜ける感じで、気持がよいのです。ところが肉を食べていると、汗が滲み出す感じで、汗の質もベタベタして気持わるい。菜食のほうがずっとからだがすっきりしています。

このスッキリしているという感覚が大切で、肉を食べても、菜食でも、からだがスッキリしていれば、その食べものがその人にとってベストなのです。

(p.152-156)

---------- 引用終了 ----------

著者自身はなぜ菜食をやめてしまったのか、興味のあるところでありながらそこらへんの事は書かれていませんが、菜食時代は心の浮き沈みがなく、すがすがしかったと述べています。

マクロビオティックの本に書いてあったことなのですが、ある外国の刑務所で実験的に菜食メニューを続けたところ、服役囚同士のトラブルが減り、刑務所を出てからもその心の穏やかさを維持したいがために菜食を続ける人がいたという話しを読んだことがあります。

やはり菜食は人間を穏やかにし、心を植物や自然に近くするといえるのかもしれません。逆に動物を食べると動物的、本能的になるのかもしれません。化学的な側面からみても、動物は殺されるときに恐怖時に放出されるホルモンを大量に体内に出しているはずだから、それを食べた人間がまったく影響されないということは考えにくいと思います。

また、

クレア・シルヴィア,ウィリアム・ノヴァック著
『記憶する心臓 : ある心臓移植患者の手記』

などを読むと、臓器移植を受けた患者がもとの臓器の持ち主の感情や記憶の影響を受けるということがあるようです。ということは、肉を食べてその肉を自らの血肉とした場合、一度消化したとはいえ、その食べた動物の影響を少なからず受けるのではないでしょうか。


引用の中に、菜食時代は夏が涼しかったと書かれていますが、これは私自身も実感しているところです。特に夏野菜を多く食べると、体を冷やしてくれるので暑さでまいってしまうということがないようです。電車やお店などの強烈な冷房は肉食をしているひとのための温度設定なのかな、などと感じる事があります。


現在の日本人の死因の第一位は、悪性新生物、すなわちガンですが、ガンを漢字で書くと



病ダレの中に品物の山と書きます。ガンにもいろいろな原因がありますが、やはり一番見直されるべきは「食」だろうと思います。極端な菜食主義はまた別の意味で危険ですが、何気なく食べている普段の食を一度見直してみるというのは、健康面だけでなく、自らの心のありよう、さらには地球環境にとっても必要な事なのではないかと思います。

現在人間はほぼ地球にとってがん細胞にも似た状況を呈していますが、地球にがん細胞として排除される前に私たちは自然と協調していくような生き方を模索していく必要があるかと思うのです。そしてその第一歩は「食」にあると思います。

参考:
大工原彌太郎
『明るいチベット医学:病気をだまして生きていく』 情報センター 1988

クレア・シルヴィア,ウィリアム・ノヴァック/飛田野裕子訳
『記憶する心臓 : ある心臓移植患者の手記』 角川書店 1998
[A Change of Heart by Claire Sylvia with William Novak, 1997]

2008年8月22日金曜日

バラモンの菜食主義

-
私は現在ヴェジタリアン(正確にいうと肉はたべないけど魚は食べるペスコ・ヴェジ)ですが、それ以前から食が人間の体と心にどのような影響を及ぼすのかに興味を持ってきました。

前にここで書いたように、ジョン・ロビンズ『エコロジカル・ダイエット』を読んで以来ヴェジタリアンに転向しましたが、それ以外に私が食に関して参考にしてきたものは、

エドガー・ケイシー、ルドルフ・シュタイナー、マクロビオティック、日月神示、長寿研究で有名な家森幸男さん、医師の石原結實さん、そして何度かこのブログでとり挙げた新谷弘美医師やヒーラーの木津龍馬氏などです。

細かくみるとお互いの主張が相容れないところもありますが、概して肉を控えること、野菜を多く取るという点で共通しています。

これは単に体によいというだけでなく、スピリチュアルな観点からもよいそうです。たとえば最後に挙げた木津氏は数万人という患者さんをヒーリングしてきた方ですが、よい食べ物(玄米菜食を中心にした食事、すなわち日本の昔からの伝統食)を食べているとオーラがきれいになっていくのがわかるそうです。そういうことってあるんですね。

オーラがきれいになってくると、健康になってくるだけでなく、スピリチュアルなことにも敏感になってくるそうです。スピリチュアルの法則として波長の法則(類は友を呼ぶ)というものがありますが、肉をガツガツ食べて清らかな波長を維持するというのは難しいのではないかと思います。昔からたとえば仏教僧が肉食を禁じたりしたのは、単に動物を殺すことになるからというだけでなく、やはり経験的に動物を食べることが自分の精神にどのように作用するかを知っていたからだと思います。

肉食をすると攻撃性や性欲が高まると言われますが、私の実感からもおそらくそれは正しいと思います。何か方針を決定するとき、自分の行動の正当性を一見論理的に考えているように思いますが、実はその前に感情があって、理屈は後付けであるように思います。そしてその感情形成の大きな一端を担っているのが、食だろうと思います。

人は食と思いによってつくられる

とケイシーが述べているように、私たちはふだん何を食べるかに気をつけている必要があるのだと思います。


ところで、菜食主義をひとりの人の一生だけでなく何世代にもわたって続けるとどうなるのでしょうか。この疑問にひとつの答えを与えてくれるのが、

大工原彌太郎 著 
『明るいチベット医学:病気をだまして生きていく』 情報センター 1988

です。私はこれを7、8年前に読みましたが、まずこんな日本人がいたのかということに驚嘆しました。著者は日本人でありながらチベット僧として修行をし、さらにチベット医学を学び、インドの地にてチベット医として活動しているという稀有な人物です。

以下は、チベット医である著者がヒンドゥーのカーストにおいて最上位にあるバラモンを診察したときのものです。

インドではかなりはっきりとヴェジタリアンかノンヴェジかが区別され、レストランなどでも看板にハッキリと「Vegetarian」などと表示されますが、バラモンの菜食は更に徹底しています。その悠久の昔から連綿と続いてきたバラモンはいったいどんなだったのでしょうか。

----------『明るいチベット医学』より---------

バラモンは、徹底した菜食主義者です。それも昨日、今日の菜食主義者ではなく、父から子へ父から子へと紀元前から5000年もつづいている血統書付きの菜食主義者なのです。完全な菜食を何千年もつづけていると、その集団の人たちはどういうからだになるのだろうか。

<中略>

菜食といっても、野菜ならなんでもいいというわけではないのです。当初のタブーは肉や卵だけだったのが、やがて地面は穢れているからという理由で、土の中になる玉ねぎやじゃがいも、人参などの根菜類もたべないようになったのです。いまでは地上になるもの、米、麦、野菜、木の実、そして酪農製品ぐらいしか食べるものはなくなってしまいました。当然ながらメニューは極度に限られたものになります。

<中略>

総括的な感想をいえば、みんな、栄養失調で貧血気味です。からだは大きいけれど、やせていて、体力もありません。話をしていても、反応が鈍いというか、手応えがえられないのです。ぼんやりしている人がとても多いのでした。

女性は母体が不完全なので、そういう子供が生まれやすいということもあります。生まれても母乳もあまり出ないし、肉や魚も食べないので、血液や肉をつくるアミノ酸が足りず、正常に発育できないのです。代々同族結婚できたためにそうした障害も起こりやすかったのですが、神聖さを守るために改善の余地もなかったのでした。

歯は犬歯はありましたが、かなり退化して平たく、一般成人にあるべき上下三十二本が揃っていなかったり、虫歯はありませんが、歯ぐきが弱くて、四〇歳を過ぎるとポロポロ抜けてきます。抜けても義歯などありませんから、抜けっぱなしです。そうなると消化力が悪くなりますから、下痢をして急速に弱まります。だいたい四〇歳過ぎると歯が抜け、髪は白髪となり、五〇歳くらいまでに自然死します。

死因はほとんど老衰でした。だいたいが変なものを食べませんし、癌ができるほどの体力もないのです。風邪をひきやすかったり、皮膚が弱くてかぶれやすかったりしましたが、これといった病気はありませんでした。長生きの人もいますが、平均寿命は四〇歳くらいでしょうか。
人間が他の生きものの命を奪わずに限られたものだけを食べて生きていると、寿命はこの程度のものなのかなぁと思います。

性格はみんな穏やかで平和です。怒ったり、争ったりすることはめったにありません。バラモンは怒ることは恥ずかしいとされているからでもありますが、菜食は心を穏やかにするのです。

私もチベット、インドと長く菜食をつづけてきたのでよくわかりますが、菜食をしていると、怒りや悲しみに揺れ動くことが少なくなります。そしてからだが自然環境に近くなるのがわかります。道端の草や木々に親しみを感じ、柔らかそうな若芽を見るとおなかがすいてたまらなくなったりします。自然の変化にも敏感になり、風のそよぎや温度や湿度の変化で天気がわかったり、時計を見なくてもほぼ狂いなく時間がわかったりするようになりました。

バラモンたちは、代々菜食を摂りつづけることによって、ほとんど自然と一体となり、対話できるようなからだになっています。
(p.142-156)

----------引用終了--------------

同族結婚や根菜類を食べないなど、単純に菜食によってこうなったということは言えませんが、やはり著者も述べているように、菜食(というより偏食に近いでしょうか)はあまり体によろしくないように思います。

菜食にするにしてもある程度は幅をもたせて魚や肉もたまに食べたほうがリスクを回避できるのかもしれません。もし肉を食べるにしても、人間から遠い鳥や魚がいいそうです。

またやはり菜食をしていると心が穏やかになってくるようです。次回はここらへんを中心にまたこの本からの引用を載せたいと思います。

参考:
大工原彌太郎
『明るいチベット医学:病気をだまして生きていく』 情報センター 1988

2008年8月20日水曜日

バイオラバー ~博士の異常な健康より(最終回)

博士の異常な健康から最終回として、バイオラバーなるものを取り上げておきたいと思います。

これは、ウエットスーツの世界的なメーカーである山本化学工業というところから出している製品で、以下に注にあった製品説明を引用します。

-------------

バイオラバー:
山本工業の製品。純度の高い石灰石を主成分とした合成ゴムに、人体に最もよいとされる貴金属やカーボンを配合し、シート状にしたもの。特徴的な構造として、ミクロのハニカム(蜂の巣)状となっており、気泡のひとつひとつがバイオラバーの優れた特徴を引き出すポイントになっている。人体に好影響を与える波長を持ち、体内物質の活動を活性化させる。
(p.302-309)

-------------

この製品のすごいところは、単に身体に“好影響”を与えるだけでなく、なんと癌細胞を殺してしまう効果があるらしく、日本やアメリカの癌研究所において既に実証されているという。

以下は博士の本からの引用です。


----------『筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』---------

(前作『博士の異常な健康』で取り上げたバイオラバーの記事は、)俺の好奇心から始まった実体験をもとに、素材の説明から、開発秘話、電磁波被害の現状と国の対応、そして、実際に大手新聞各社にも取り上げられた「ガン治療に効果」の文字がうたれた記事を引用し、その背景など細部に渡って入念に原稿を仕上げた。

前作の出版後、06年10月5日と7日には、日本臨床眼科学会でも眼病の改善に効果のあることが認められた。

また、07年2月23には、バイオラバーを使った、ガン死滅の治療方法が、再びASCO(米臨床腫瘍学会)で承認を受けた。


がん細胞減少に特殊素材が効果、米がん治療学会承認

化学メーカー、山本化学工業(大阪市生野区)は、同社が開発した特殊素材『バイオラバー』をがん細胞の近距離に置くと、がん細胞が減少する実験データを得られたことを明らかにした。島博基・兵庫医科大学教授(泌尿器科)の研究で確認され、このほど開かれた米国がん治療学会で正式承認された。

実験はフラスコ内と生体(ヌードマウス)内で実施。フラスコ内で培養した前立腺がん3種類の細胞の上下にバイオラバーを置き、がん細胞の減少量を調査。8日間でがん細胞が約37~83%減少した。

米国で抗ガン剤の原料の腸管内物質「酪酸ナトリウム」を前立腺がん細胞に投与した場合は1.3~81%減少で、バイオラバーの方が減少率が高かった。バイオラバーと酪酸ナトリウムを併用した動物実験などでは、がん細胞の死滅が確認された。バイオラバーは高純度の石灰石から作るラバーに貴金属などを混合して作る。遠赤外線を発し、人の細胞の活動を活性化させる働きがある。

(07年3月6日 毎日新聞夕刊より引用)


今のところ日本では健康グッズでしかないバイオラバーだが、山本化学工業では、日本の厚生労働省にあたる米国のFDA(米国食品医薬局)に、医療器具として認可申請している。この臨床が全て揃い、内容に間違いないというFDAのチェックをとおったら、日本よりも先に、米国で医療器具として認可される。そうなれば、何よりの追い風となるだろうし、日本での認知度も高まるであろう。

(p.302-304)

----------引用終了----------------


本文によると、すでに先進的な病院などではこのバイオラバーを採用しており、ベッドの表面に張るなど様々な使い方がなされているという。ただし値段が高いことがネックのようです。

副作用のある投薬や放射線療法のほかにも、このような製品があるということをガン治療の選択肢として視野に入れておきたいものです。

自分がガンになったら、博士も愛用しているというバイオラバーのチョッキ買っちゃうかも知れません。


参考:

水道橋博士(浅草キッド)
『博士の異常な健康』アスペクト2006
『筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』アスペクト2007

水道橋博士のバイオラバー応援サイト
http://www.asakusakid.com/bio-rubber/index.html

山本化学工業
http://www.yamamoto-bio.com/yamamoto_j/medical.html

2008年8月15日金曜日

博士の愛した加圧式

-
前回は『博士の異常な健康』から”鼻呼吸”の重要性を紹介しましたが、今回はこの本でもっとも印象に残ったもののひとつ

加圧トレーニング

について紹介したいと思います。
もうだいぶメジャーになっているようなので知っている方も多いかと思いますが、これは脚や腕の付け根をゴムバンドなどで圧迫し血流を止めた状態でトレーニングするもので、これにより通常の何倍もの効率で筋力が増加するというものです。

腕と足の血流を止めることで成長ホルモンなどが大量に分泌されるそうで、脳をうまくだまし、筋肉が尋常ならざる負荷を負っているかのように錯覚させるらしいのです。開発中は、首を絞めてみるということまでやったらしいですが、やはり無理があったようです。(^_^;)

開発者は日本人ボディービルダーの佐藤義昭氏で、正坐をしていた時の足のしびれからこれが筋肉トレーニングに役立つのではと直観したそうです。 これがいまや単にボディービルにとどまらず、その効率の良さからあるゆるスポーツのトレーニングに採用され、また筋萎縮症や高齢者のリハビリ、痴呆症や糖尿病への治療などといった医学方面にも応用されてきているそうです。

この研究は東大をはじめとする大学レベルで研究され、さらにはあの「NASA」までもが宇宙空間でのトレーニング法として検討しているらしいのです。

いまやこの加圧トレーニングは「KAATSU」として国際的に非常に注目を浴びているようです。(日本をはじめ、数カ国ですでに特許取得済みだそうです)

タレントの「水道橋博士」は、「博士の愛した数式」をもじって「博士の愛した加圧式」と題し、この加圧式トレーニングを実践しているようで、以下は博士による加圧トレーニングの紹介文です。


-----『筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』-------

それでは、加圧トレーニングについてのおさらいから。短時間で驚くほどの筋肉がつき、アンチエイジング、リハビリにも絶大な効果がある。このトレーニング方法こそ、前作を書いた最大のモチベーションであった。

<中略>

トレーニングは上の写真のように、専用の加圧ベルトを腕・太腿の付け根に巻き、適切な圧力をかけることで、血流を適度に制限しながら、軽い負荷(重さ)で行う。

<中略>

体内では血行が促進され、通常時の100~300倍の成長ホルモンが分泌されるのだ。
「そんなバカな!?」と思われる方も多いだろうが、加圧トレーニングに関しては、東京大学付属病院22世紀医療センターが中心になり、そのメカニズムを分析しており、「KAATSU」という日本名のまま、発明者の佐藤義昭氏が世界各国で特許を取得。現在ではスポーツ界にとどまることなく、その独自の理論がさまざまなフィールドで注目されている。
中でも目覚しい成長を見せるのが、「医療」「美容」「宇宙」の3分野である。


医療分野について
加圧トレーニングは、腰や関節に過度なストレスをかけないので、高齢者にも安全という特徴がある。

<中略>

また加圧をすることで、たまった血流を逃がすために、今まで血液の流れていなかった血管に血流が行くようになり、新たな毛細血管、新たな末梢神経も生まれてくる。そのため、脳障害や各部の麻痺などの改善を目的とした、各領域(循環器系疾患、整形外科的疾患、免疫疾患、うつ、認知症)の治療に応用され、介護予防の現場で新しいリハビリの手段として実績を上げており、実際、加圧トレーニングを治療に取り入れている病院は、増える一方である。


美容分野について

加圧トレーニングを行えば、たとえ高齢者であっても、成長ホルモンが通常時の数百倍近く分泌されるため、アンチエイジングの効果を引き出してくれる。成長ホルモンの減少が、新陳代謝の低下を招くわけだから、当然、ダイエットにも有用だ。


宇宙分野について

これまで1日に2時間半かかっていた宇宙飛行士の筋力維持の訓練も、加圧トレーニングならわずか30分で充分であることがわかった。

<中略>

JAXAが正式採用の判断を下せば、08年春、国際宇宙ステーションに「きぼう」をドッキングさせる際に、加圧トレーニングも持ち込まれる可能性が出てきた。もしそれが実現すれば、間違いなく世界中のメディアで大々的に報道されるはずだ。
(P.38-43)

------引用終了------


加圧トレーニングは、薬を飲んだり、ホルモン注射をしたりするのではなく、あくまで自分の体内からでてくるホルモンを利用しいているので、副作用もなく安全なトレーニング法であるといわれています。

これは画期的な方法だなと思いつつも、少し危険な香りがするような気がします。確かにスポーツ選手や宇宙飛行士の宇宙空間でのトレーニング、病気やリハビリなど、短期間のうちにそれなりの目的があって使用するなら薬と同じで積極的に利用すべきだと思うのですが、特に体に支障のないひとが健康や美容の目的で継続的に利用するのはどうなのかな、という気がします。

新谷弘実さんもアンチエイジングで成長ホルモンを注射することに関して述べていたのですが、成長ホルモンを必要以上に不自然に体に与えるということは、それだけ細胞の分裂を促進するということであり、別の言い方をすれば老化を促進させている可能性があるというのです。

そもそも細胞にはテロメアという細胞分裂に関する回数券みたいなものが組み込まれていて、その券が切れたときに細胞は死ぬようになっているそうなのです。ということは、不自然に大量の成長ホルモンを分泌させるということはその回数券を一気に使ってしまうことに繋がるのではないかという気がするのです。

何年か前にクローン技術で有名になった羊のドリーは若くして老化現象を示し安楽死させられましたが、これはこのテロメアがクローンをとった元の羊のものと同じ長さだったからだといわれています。また逆に癌細胞は、このテロメアを永遠に継ぎ足して増殖していくそうです。

短期間で筋肉がつき若々しくなるからと加圧トレーニングを継続していったら、なんでこんなに若々しいのに死んでしまうのだろう、とドリーと同じことになるのではないだろうか、そんな光景が脳裏に浮かぶのです。

人体はストレッチや体操、軽い運動をするだけでもそれに応じたホルモンがでるようになっています。夜寝る前に軽いストレッチをするだけで、翌日の体調がだいぶ違います。

加圧トレーニングをする前に、自分にあった毎日の運動を習慣化する方が先かな、と私は思うのです。

参考:
水道橋博士(浅草キッド)『博士の異常な健康』アスペクト2006
『筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』アスペクト2007

2008年8月13日水曜日

鼻呼吸-博士の異常な健康より



私はタレント本の類は話題になってもほとんど読みませんが、ひょんなことから手にしたお笑いコンビ浅草キッドの水道橋博士の本はとても面白かったのでここで紹介しようと思います。

読んだ本は↓

博士の異常な健康』アスペクト2006
筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』アスペクト2007

水道橋博士は「健康オタク」として知られているらしいのですが、彼の自らの体を張っての体験や自分が興味をもったことに対しては先入観にとらわれずに徹底的に調べる態度にはとても説得力があり、かつ納得できるものがありました。

また彼の文章は、さすがにお笑いだけあってか、掛け言葉を多用していてとても面白かった上に、文章自体も簡潔さと勢い、歯切れのよさがあってどんどん読めました。

博士の二冊目の本には、ハワイでの160キロ自転車レースに参加した体験がかかれているのですが、

そのときに鼻呼吸を実践したことが完走につながったひとつの要因であると述べていました。

アスリートでない私たちにとってもこの鼻呼吸、とても大切なことであるように思うので本の中からその部分を引用したいと思います。

----『筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』--------

俺は、160キロという距離を走ったことで、自転車操業をする上での、いくつかのコツと秘訣を得ることが出来た。まず、今回の挑戦において予想以上に効果的だったのが、"鼻呼吸"であった。

<中略>

俺は格闘技番組の司会を長く務めているが、06年に行われた「PRIDE無差別級GP」で悲願の優勝を遂げたミルコ・クロコップ選手は、トーナメント優勝の要因として、なんと鼻呼吸を挙げている。

何でも、ミルコの今までの試合中のスタミナ切れは、持病である鼻詰まりが原因のひとつであり、医師の塗り薬の処方で鼻が通るようになってから、練習時間が延び、スタミナ切れもなくなったのだという。この話を聞けば、北島三郎さんが演歌界で最強なのも頷ける。

その後、さっそく俺も自転車に乗る際には、常に鼻呼吸を強く意識してみたのだが、確かに疲労度が全く違うのである。最初はただのプラシーボ効果かと疑っていたが、今回の長距離レースで実感出来たように、これは明らかに効果があったといえよう。

実際、文献に当ってみても、運動時の鼻呼吸のメリットは、吸い込む空気を加湿し、肺での吸収力を高めることが実証されている。

そればかりか、日常生活でも鼻呼吸は、雑菌の進入を防ぐ利点もあるという。また、欧米に比べ日本人に多い、普段からの口呼吸の習慣は、歯肉炎、歯周病が進みやすくなり、虫歯を助長、姿勢も悪くなり、集中力が落ちる原因にもなるそうだ。

とにかく、俺は今までノーマークだった鼻呼吸の重要性を、ハワイの地で身をもって知ったのだった。
(P.122-124)

-----引用終了-------------------------

またここの文章の注として、

日本人の多くは無意識に口呼吸が習慣化しており、その理由としては、欧米では3、4歳まで使わせることも多い赤ちゃんのおしゃぶりを、日本では1歳前後でやめてしまうからとの説もある。

というのも興味深い。

そういえば、前に紹介した新谷弘実さん鼻呼吸の重要性を述べていたので、ついでにここに挙げておきたいと思います。


-----『病気にならない生き方2 実践編』------

口呼吸は病気の引き金になるので要注意~

じつは最近、口で呼吸する人がとても増えているのです。

ある調査によると、成人の半数、子供ではなんと八割が恒常的に口で呼吸しているという結果も出ているほどです。

みなさんは大丈夫でしょうか?

試しに口を手でふさいでしばらく呼吸を続けてみてください。もしも息苦しさを感じるようなら、無意識のうちに口で呼吸している危険があります。

じつは「口呼吸」は、自然の摂理に反するとても体に悪い行為なのです。

東京大学医学部口腔外科教室の講師を務め、現在は西原研究所を開設する西原克成所長は、著書『免疫力を高める生活』(サンマーク出版)の中で、口呼吸が免疫機能を破壊し、多くの病気の引き金になっていると警鐘を鳴らしています。

事実、鼻呼吸には口呼吸で得られないメリットがいくつもあります。

まず吸い込んだ空気をきれいにする「除塵作用」が挙げられます。私たちが吸っている空気の中には小さな埃や微生物、そして微生物の死骸などいろいろなものが含まれています。

しかし鼻で呼吸をすると、鼻粘膜によって有害な病原菌の約五〇~八〇%が除去されことがわかっています。

また鼻呼吸では、鼻腔内を通るあいだに空気は適度な加湿と温度調節がなされます。これによって気管の乾燥を防ぎ、ウイルスなどの繁殖を予防することができます。

さらに、肺は乾燥しすぎていたり、温度が低すぎる空気だとうまく粘膜になじまず酸素の吸収効率が悪くなるのですが、

鼻呼吸であれば、加湿と同時に温度調節もなされるので、外気が冷たい季節でも、酸素の吸収効率が低下することはありません。

こうした鼻呼吸のメリットは、口呼吸ではすべて逆転します。
(P.240-242)

------引用終了--------


運動をするときに限らず、普段から鼻呼吸を意識するというのはとても大事なことのようです。

鳥インフルエンザの爆発的流行はもはや時間の問題といわれていますが、意外とこういう身近な単純な習慣も予防の上で大切なのではないかと思います。

『博士の異常な健康』からはあといくつか紹介したい項目があるので、何回かに分けてここで取り上げていきたいと思います。


参考:

水道橋博士(浅草キッド)
博士の異常な健康』アスペクト2006
筋肉バカの壁:博士の異常な健康Part2』アスペクト2007

新谷弘実
病気にならない生き方2 実践編』サンマーク2007



2008年8月11日月曜日

慣性の法則

-
私はよく船井幸雄氏のHPを読ませて頂いてますが、
今回の老荘思想の引用に関しては色々と思う事があり、調べてみたりもしたのでここに取り上げてみたいと思います。

船井幸雄のいま知らせたいこと (2008年8月11)
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200808004
 

今回のテーマは、「なぜ分かり易く、実行し易いことなのに多くの人は実践しないのか」というものでした。
(道徳経第70章
「吾が言は甚だ知り易く、甚だ行い易し。天下能(よ)く知ること莫(な)く、能く行うこと莫し」)

私もこれに関しては常々考えてきました。 そして今のところの私の結論は、人間にも物質と同じように     

"慣性の法則"

が働いているということです。

多くの人は、今まで続けてきた事が"さしあたって"大きな支障を生んでいないなら、その同じ行動を続けるように思います。

そして物質がその方向や速度を変えるのに外部からのエネルギーを必要とするように、人間にもそのようなエネルギーが必要であり、それはおそらく悲しみや苦痛といったものに相当するのではないかと思います。つまり悲しいことに、ひとは痛い目にあってはじめてその行動様式を変えるのだと思います。

そういえば慣性って英語でなんと言うのだろうかと気になり、この機会に調べてみました。
英語で慣性の法則は

the law of inertia

というらしいです。このinertiaは、物理においては「慣性」を意味しますが、一番目の意味は「惰性、不活発、ものぐさ」で、医学用語としては「無力症」として使われているようです。

またそのもとのinertという英語の意味も、activeの反意語で「自力で運動できない」という意味で、化学の用語で不活性(inert gases:不活性ガス)、薬学の用語で「薬理作用を示さない」というときに使うようで、いずれも活発でない状態を意味しています。

さらにこのinertの語源を探ると、ラテン語の

iners(in否定 + ars(art)技術=技術がない→自ら動く力が無い)

という意味から来ているようで、これはとても示唆に富んでいると思います。

つまり、この技術というものをより広い意味での「生きていく上での技術」としてみるなら、技術のない人は自ら積極的に動かず、良い事を耳にしても同じ生活習慣を続け、

技術、つまり生きていく上での術(スヘ゛)、コツみたいなものをうまくつかんでいる人というのは、良い事を聞くことによってその生き方を修正していき、結果として痛い目にもあわずに済むのではないかというように思うのです。

さしあたって大きな支障がなくても良いと言われることがあったら、まず自分の生活のなかに取り入れ、確かめてみる。そして効果があると体感できたものについては、それを自らの習慣として取り入れていく。このような態度を常に持ち続けていきたいものだ、と今回認識を新たにしました。

しかし幾ら自らに良いと納得できたものでも、人がそれをやらないことを責めてははならないと思います。基本的にひとは

   この地上に体験を積むために生まれてくる

と思うので、それぞれの自由意志、それぞれの選択というものを尊重する必要があると思うのです。良い事を知るのに、敢えて反対の悪い事を体験してみるというのもとても大事な学びだと思うのです。

最終的には、あるがまますべてよし、ということになるのでしょうか。

今回の老子の引用はとても勉強になりました。
私も老子と荘子は原文を一通り読みましたが、内容がだいぶ抜け落ちてしまっているように感じます。
というより、読んだ当時に心に響いたもの、読んだ当時のレベルに応じたものしか印象に残らないものなのかもしれません。


私は自然のなかにいくたびに思い出す老子の一節があります。

天地は無為にしてしかも成さざる無きなり
(自然は敢えて何もしないのに、すべてを育んでいる)

うーん、いいことばだなぁ、とつくづく思うのであります。

参考:
船井幸雄のいま知らせたいこと (2008年8月11)
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200808004
 

2008年8月8日金曜日

北京首都国際空港

-
今回はタイムリーなところで、
ニューデリーから成田への乗り継ぎで寄った北京の国際空港の写真をアップしようと思います。なんせ五、六時間ぐらいあったのでヒマでヒマで、、、、

歩き回って、写真とって、数独やったり、柔軟したり、寝たりで時間を潰していました。







とにかく巨大で、どこもピッカピカ。





リクライニングシートもあったりで、おーーっ!
とか思って横になってみたけど硬くてあまり心地よくはなかった、、、

写真に写っている奥のカウンターの前で財布を拾った。
ずっしりとした財布の中身を恐る恐る見てみると、ゴールドカードなどがどっさり入っていて、カードの名前を見たら日本人だった。
飛行機に乗り遅れた人達が何人かそこらで係員とやり取りしていたので
そのときに落として行ったようだ。
空港のセキュリティーの人に渡したんだけど、
ちゃんと本人に渡してくれたかなぁ、、、と少し心配。
たぶん大丈夫。

空港の中に中国風の建物があった↓。





下は烏龍茶を売っている店↓



ここでもお茶を売っていた。極彩色の道教寺院のようでとてもキレイ。



中央の噴水の前にて、中国のお姉さま方による民族楽器の演奏が行われていた。水の音と音楽が調和し、噴水によるマイナスイオンの効果もあわさってか心が安らぎ、旅の疲れが癒されていく、、、↓





なかなかいいじゃない中国、、、、と思って散策を続けていたら、廊下で清掃員の方々が服役囚のように列をなしゾロゾロと歩いていった。



私の脳裏に

「人民解放軍的人海戦術」

という文字が浮かんだ。

未来的な空港施設に対して、あまりに異様で似つかわしくない光景だった。だが、こちらの方が中国の本質なのかもしれないと強く感じたのでした。

2008年8月4日月曜日

菜食主義を考える

-
最近よく帯津良一さん関連の本を読んでます。
帯津さんは東大医学部卒のお医者さんで西洋医学をしっかり学んだ上に、オステパシーや鍼灸、漢方、食事療法なども治療に取り入れ、自ら気功を実践し患者さんに教えているという一風変わった方で、これからの医療の方向を予感させるようなお医者さんです。

以下に栄養士の幕内秀雄さんとの共著の一部、菜食主義に関する部分を引用します。

-------『なぜ「粗食」が体にいいのか』 三笠書房 2004------------------

「菜食主義」のようなことを勧めている人は少なくありません。でも、その人たちは患者さんを見たことがないんです。患者さんが本当に菜食主義なんて始めてしまったら、すごい人は、肉も卵も牛乳も魚も動物性食品は一切食べなくなるんですよ。それほど真剣に信じ込むんです。

(中略)

私たちのところに、よくそういう人が来ます。マクロバイオティック(玄米菜食主義)をやって、玄米ときんぴらごぼうばかり食べて、自分の体のほうまで本当にきんぴらごぼうのようになったひとが。色が黒くなって、げっそりやせているんです。そういう人には、年間一〇人ぐらいは接しますかね。

------引用終了-------------------------------------

この文の章のタイトルが

"「菜食主義のうそ」にだまされるな"

というものだったのでまっ先にこの章から読み始めました。
というのも私も基本的にヴェジタリアンだからです。数年前に、

ジョン・ロビンズ『エコロジカル・ダイエット―生きのびるための食事法』 角川書店 1992
原題 [Diet For A New America,1987]

という名著を読んで以来、肉食の愚かしさに目を開かされ肉を控えるようになりました。(というより魚以外はほとんど食べません。)

それにしてもタイトルの「菜食主義」のうそにだまされるな、というのは少し言いすぎかなと感じました。
菜食主義といってもいろいろな種類があって、ここで述べられているのは、完全な菜食主義いわゆるヴィーガンのことです。

『ベジタリアンの健康学』、『ベジタリアンの医学』などの著者である蒲原聖可によると、ベジタリアンには以下のような分類があるそうです。

ヴィーガン (VEGAN):完全菜食主義
ラクト・ベジタリアン (LACTO VEGETARIAN): 乳製品は食べる
ラクト・オボ・ベジタリアン(Lacto-ovo-vegetarian):乳製品と卵もたべる
ペスコ・ベジタリアン(Pesco-vegetarian):乳製品・卵・魚もたべる

私は乳製品、卵はあまりたべないけど、魚はたまに食べるのでペスコ・ベジかなと思うのですが、蒲原氏も医学の立場から肉や乳製品を控えることは勧めていても引用文にあるようなヴィーガンは、リスクが高いので、気をつけなければいけないと述べています。

では著者の幕内氏はどのような食を勧めているのかということになりますが、基本は、マクロビオティックと似ているのですが、その土地でたくさんとれるものをその順序で摂る、ということらしいです。

だから日本でいえば、水、米、イモ、野菜の順で、それも季節の物を、なるべくまるごと全部食べるようにするということらしいです。

もう一つは、赤ちゃんにあげないようなものは控えるというのも一つの指針となるようです。たとえば、お酒とか緑茶、コーヒー、お菓子などです。

それでは肉はどうなるかというと、肉は食事全体の一割ぐらいだそうで、目安としては一日に一回、魚か卵を食べる程度でいいのではないかと述べています。そしてそれ以外の肉は、外食のときに食べる、それも体のためというよりは、心の楽しみのために食べる程度にとどめるのがいいと言っています。


こう考えると確かにシンプルだし、土地の旬のものを買うのだからお金がかからず、極めてリーズナブルです。

最近、物価が高くなった、大変だと騒がれていますが、私にはその実感があまりありません。というのも、肉は食べないし、パンなどの手間暇のかかった加工品などもほとんど食べず、前から野菜は地元でとれたものを買っているので、石油が高くなろうが、穀物が高くなって飼料が高騰しようが、ほとんど関係ないのです。(ついでに車も乗らないので石油が高騰しているという実感もない)

だからこういう風に物が高くなるということは、身の回りの無駄なエネルギーを使っているものを洗い出し、ものごとをシンプルにするという意味でとてもいい機会になるのではないかと私個人は考えています。

食肉などはほんとうにエネルギーの無駄です。
先に挙げた『エコロジカル・ダイエット』を読むとよくわかるのですが、食肉用に飼料として与えている穀物を人間が食べれば、地球全体で飢えで亡くなるひとがいなくなるぐらい豊富な量になるそうです。

ある計算によると、一人前の食肉は、8~10人ぐらいの食べる穀物に相当するそうで、肉食をするひとが減っていけば、農地も化学肥料や農薬を使って酷使する必要もなく、環境にもいいというわけです。


話が少しずれましたが、幕内氏のいわんとする食も実はヴェジタリアン、正確にいうとペスコ・ベジタリアンあたりになるのでしょうか。

(幕内氏はたいへんな勉強家で、西洋式の栄養学に疑問を感じ、自ら全国津々浦々を歩き回りその土地その土地の伝統食を自ら食し、あらゆる民間の食事療法を試した結果このような結論にいたったそうです。
またなぜある食事療法でよしとされているものが、他の説では否定されたりしているのかも明快に説明されていてとても参考になりました。ここら辺のことは書くと長くなるので興味のある方はぜひご一読下さい)

しかしあらゆる健康法もそうなのですが、どれが自分にあっているのかというのは結局のところ自分にしかわからないのです。

五木寛之さんが『養生の実技』という本の中で言っているのですが、たとえば、ある地方は今日は晴れですという予想であったとしても、自分の住む地域が大雨になるということもあるということ、つまり全体の傾向が必ずしも個にあてはまるとは限らないということなのです。

だから五木氏は結局のところ個人の感覚力を磨く、自分の身体語(身体が発していることば)を理解するように努めるということを述べていて、まったくその通りだと思います。

また五木氏は帯津氏との対談本『健康問答1、2』の中で、中道ということを述べていて、これは何かの中間を真っ直ぐに行くことや、和洋折衷のようなことを意味するのではなく、綱渡りでバランスをとるように、時に右にずれたり、左にずれたりしながら、自分にあったその真ん中あたりを進んでゆくということを述べていて、なるほどなと思いました。

つまるところ、何か権威のある説を鵜呑みにし、妄信するのではなく、直観を頼りにしながらも同時に理性も働かせて自分で確かめていくということなのだと思います。

先に引用したきんぴらごぼうのようになってしまった人たちというのも、ちょっと調子がわるくなったな、と感じた時点で少し軌道を修正したりすれば病院にいくほどにはならなかっただろうと思うのです。

これは宗教でも健康法、食事でもなんでもそうだと思います。自分が正しいのではないかと感じることを実践してみることは大事なことだと思うのですが、その時点ではあくまで「仮説」なのです。

それを正しいとして続けてみる、そしてそれが自分にあっていたのなら、生活の中に習慣として取り入れればよいし、あっていなかったらいつまでもしがみつかずに修正、あるいは破棄すればいいと思うのです。
だから今度は自分にとって良いものを人に紹介するときも、このことを十分に踏まえておく必要があると思います。

要は自己責任、自分で考え、自分で試し、自分で選択するのが基本であり、そのための材料として周りにある諸々の説を参考にさせてもらうということだと思います。

少し話がずれますが、先に挙げた『健康問答』の中で、整体の野口晴哉さんにかかわるあるエピソードが紹介されていました。

野口さんは貧しいひとたちに治療を施した時も、その人たちのメンツを考えて敢えて無料で治療することはせず、それなりの料金を頂いていたそうなのですが、

その弟子たちの代になると、貧しいひとたちからも必ず料金はとるようにしないといけないんだという感じになっていて、野口晴哉さんの奥さんが晩年、それは違うんだけどなぁ、ということを述べていたという趣旨の逸話でした。

教えを伝えていくというのは本当に難しいことだと思うのですが、このようなお弟子さんたちの態度というのも、自分の先生がそうしていたからそうなんだという一種の妄信であって、自分の理性を働かせていない、自分の中で咀嚼しきれていないという気がするのです。

おそらく多くの宗教やその他それに類する伝統というのも、創始者から二代目、三代目になるに従って、このような誤解、曲解がどんどん拡大していき、
同時に教えが硬直化して、とんでもない方向に行ってしまう可能性が大いにあると思うのです。

たとえば今世界中でイスラムのテロが横行していますが、あれなどもおそらく創始者ムハンマドの教えを誤解、拡大解釈してあのような極端な行動になっているのだと感じます。


健康法も、宗教も、科学も、その他権威のあるとされることに対しても、常に自分の理性を働かせ、自分で確かめるという態度が大切であり、違うと感じたら孤独であろうと別の道を歩んでゆく勇気が必要なのかなと思います。

話がすこし大きいところに行ってしまいましたが、
菜食に関してはまだ何かしら書くと思います。
今回はここら辺で。


参考:
なぜ「粗食」が体にいいのか:「食生活」ここだけはかえなさい!
帯津良一著 幕内秀夫著 三笠書房 2004

『エコロジカル・ダイエット―生きのびるための食事法』
ジョン・ロビンズ〔著〕 田村源二訳 角川書店 1992
原題[Diet For A New America,1987]

ベジタリアンの健康学-ダイエットからエコロジーまで-
蒲原聖可 丸善 1999

ベジタリアンの医学
蒲原聖可 平凡社 2005

養生の実技-つよいカラダでなく-
五木寛之 角川書店 2004

健康問答 本当のところはどうなのか? 本音で語る現代の「養生訓」
五木 寛之 帯津 良一 平凡社 2007

健康問答2 本当に効くのか、本当に治るのか? 本音で語る現代の「養生訓」
五木 寛之 帯津 良一 平凡社 2007

2008年8月1日金曜日

この使い方はあってるのかな?

-
このところ文章が多くなってしまったので、今回はインド・ネパールでとった写真をアップします。

下の写真は、
ネパールのダルバール・スクエア(Durbar Square)のおみやげもの屋さんでとった写真ですが、この使い方であってるのでしょうか?

(イデデッ、、、、)

(こんなとこにささんでくれよっ、もー、って鼻息荒気に訴えかけているような気が、、、)

(ダルパール広場の一角。みやげもの屋さんがズラッと並んでいる)

やっぱネパールで一番絵になるのは、仏眼が四方を見渡している仏塔だと思う。

(ダルバール広場とタメル地区とのあいだにあるタヒティ・チョーク近くのストゥーパ)

下の写真はインド、ヨーガの聖地リシュケシュ(Rishikesh)のお土産屋さんの前に飾ってあったものですが、、、、

(うーむ、、、、)

(、、、、、、)

日本人的な感覚からすると、これはないなぁー、って感じですね。まるで打ち首にあったみたいで痛々しい。

同じくリシュケシュでの写真。

(イラハイ、ターリーをどーぞ)

これはガンガーに架かるラーム・ジュラー橋近くの「チョティワラ」というレストランにあった人形で、実際にこのような扮装をした人が店の前にいて、ちょっとした名物となっている。

(いつも人で大混雑)

(営業時間外はどうしているのかな、、などといらぬ心配をしてしまった)

チョティワラという名のレストランはここに二軒あって、どちらも人でいっぱい。そのうちの一軒で食べてみましたが、味は大した事もなく、単に奇抜な扮装で人を呼んでいるだけなのかなって感じでした。(値段も高め)

(私が宿泊していた宿からのガンガーの眺めは本当に最高だった、、、、)

リシュケシュでのヨーガの体験などまた機会があったら書きたいと思います。

今回はここら辺で。