2010年4月30日金曜日

What a wonderful world.



最近パソコンの作業をやりながら、

裏でYoutubeの音楽をかけるのがちょっとしたマイブームなのですが、

ジャズなんかリラックスできていいなぁと思って探していたら、コレを見つけました。





ルイ・アームストロングさんの歌う、

What a wonderful world.


歌は勿論いいのですが、この歌っている本人の表情がなんとも楽しそうでいいのです。


私は彼の歌っている表情を見ていて、だいぶ前に読んだある本を思い出しました。



101歳、人生っていいもんだ。


これを読んだときに、こんな人生を送る人もあるんだなぁ~としみじみと感じ入りました。

愚直に働くこと、シンプルであること、正直であること、

彼は聖人でもなんでもありませんが、そのまっすぐさに、人として手本とすべきものを見せられた気がしました。


だいぶ前に紹介した、臨死体験者のダニオン・ブリンクリー氏によると、

ダニオン氏の一世代前(上にあげたお二人ぐらいの世代)の黒人には、霊格の高い魂が多く生まれ変わってきている、

というようなことが彼の本の中で述べられていました。

敢えてたいへんな境遇の中に生まれてくることを望む、チャレンジ精神に富む経験豊かな魂たちということなのでしょうか。

しかしルイ・アームストロング氏や上の著者ジョージ・ドーソン氏など、困難な境遇にあっても、ものごとを常にポジティヴにとらえ、笑いを忘れない姿を見ていると、

なるほど、そうなのかもしれないなぁと思ってしまうのです。


私はあまりルイ・アームストロング氏については知らなかったのですが、これをきっかけに、もうちょっと彼の映像をYoutubeで探し、彼についても調べてみようかと思います。

興味のある方は、是非上のジョージ・ドーソン氏の本も手に取ってみてください。

大概のことはどうにかなるもんだな、と思えてきます。

生きる勇気が湧いてくること間違いなしです!




参考:

〔ウィキペディア〕
ルイ・アームストロング

〔アマゾン〕
ジョージ・ドーソン著 リチャード・グローブマン著 忠平美幸訳
『101歳、人生っていいもんだ。』 飛鳥新社 2001


以下、アマゾンの紹介↓

Amazon.co.jp

1898年テキサス州生まれのジョージ・ドーソンは、家計を助けるため8歳で働きはじめた。祖母のころまでアメリカには奴隷制が残っていたから、黒人差別はまだ激しかった。

しかし彼には知恵があり、持ち前の思慮深さ、分別、勇気、そして何よりプライドで人生を切り抜けてきた。

98歳のときに高校の成人基礎教育講座で読み書きを習いはじめたが、それが新聞で紹介されて以来、全米で話題の人となったのである。

差別も苦労もあったが、彼は恵まれていた。家庭は愛情と信頼にあふれ、人々は助けあう時代だった。

親元を離れてひとり白人の農場で働いたが、父は絶対の信頼感をもって彼に人生を教えた。成人した日。

「おい、独り立ちする用意はできているのか?」
「ああ、父さん、できてると思う」
「よし」

それからの数年間、運試しのアメリカ縦断ひとり旅はスリル満点だ。

最初の妻を口説くシーンも彼らしい(彼は4回結婚した)。子どもたちは成績優秀だったが、高校のときに聞かされるまで、「父さんが字が読めないなんて知らなかった」という。

100歳を過ぎた今も、彼はユーモアと楽観主義を忘れない

「彼らは、わたしが読みかたを習う日をひたすら待って人生を送ったと思っている。ぜんぜんちがうんだよ。わたしは、自力でどうこうできないことについては考えなかったんだ」。

“People worry too much. Life is good, just the way it is.

(わしはみんなに心配するなと言っているんだ。人生っていいもんだよ、今のこのままで)” (家永光恵)


内容(「MARC」データベースより)

ジョージ・ドーソン101歳。持っているもの-何枚かのシャツとスーツ1着、帽子1個、そして、シンプルで幸せな人生。98歳で読み書きを習い始めた老人の人生哲学。感動のノンフィクション。


カバーの折り返し

わたしはこの100年間に、良いことも悪いことも全部見てきた
おまえさんの知りたいことは何でも教えてやれるよ。

1898年、米国テキサス州に生まれたジョージ・ドーソンは、8歳で一家を支えるために働きはじめました。そして、10歳のとき、少年が目にしたのは、信じられないような光景だった……。

98歳で読み書きを習いはじめ、そのシンプルな生きかたが新聞に紹介されると、全米中に大きな反響を呼び起こした老人の自伝。多くの人々に愛され、いまも元気に活躍しているジョージ・ドーソンの100年の物語


バックカバー

読み書きのできなかった老人が、人によってはゲットーと呼ぶ地域の、小さな四角い家に一人で生活している。

………………その老人はどうにか暮らしていたのだが、1996年、ある若者がドアをノックして、古い高校の成人基礎教育の講座に参加する人を募集しているのだと告げた。

「わしは10年間も一人暮らしをしてきた」
と老人は若者に言った。

釣りにも飽きたよ。そろそろ読みかたを習うか

『シアトル・タイムズ』1998年2月1日付けより


2010年4月26日月曜日

下関陶器の旅 ≪その12≫ ~防府、そして旅は終わる~



津和野を1440頃の電車で発ち、着いたのがココ↓




神社の前で子供が遊んでいるって、なんか健全でいいなぁー



といっても分からないですよね。

ここは山口県防府にある防府天満宮です。

津和野から新山口にでて、そこから東に行ったところに防府(ほうふ)があります。17時頃到着。


防府の位置


防府は"ぼうふ"と読むのかとずっと思っていたのですが、電車のアナウンスで、

次は~、こうふ、こうふ、

と聞こえたので甲府?と思ったのですが、防府(ほうふ)と言っていたようでした。濁らないで読むんですね。


さて防府天満宮は、防府駅を降りて、北に歩いて20分位のところにあります。

駅から商店街を抜けて歩いていったのですが、活気がなくシャッター商店街となっていました。


鳥居で一礼をして階段を上っていきました。









こちらが本殿。

でもなんだか私には "気が抜けている"という印象を受けました。

シャッター商店街を抜けてきたせいなのでしょうか、神社全体からパワーが伝わってこないという感じでした。時間帯のせいもあるのかな、なんででしょうか?





天満宮は菅原道真公をお祭りしている神社で、ここは、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と併せて、三大天満宮のひとつに数えられるそうです。

京都とここ防府は来たので、




あと残すは太宰府だけです。

次の18きっぷの旅は、太宰府天満宮へのお参りの旅となるのでしょうか?


境内から市内の眺め↓




日も落ちてきたので、早々に神社をあとにしました。




で、本日泊まる宿は取っていなかったので、例によって観光案内所に行きました(神社に行く前)。

しかしここの防府駅前の観光案内所、まず受付の人がなぜかいっさい目を合わせない。

そしてホテルに電話で問い合わせてもくれず、ただ、これぐらいの値段のホテルがありますよ、とリストを見せてくれただけでした。

歩いてどの位なのか、設備はどのような感じなのか、聞いてみたのですが、

ちょっとわかりませんねぇ~

という返事。

こりゃ、だめだ~

と思いました。

観光案内所がこれじゃ、まず観光も発展しないだろうし、なんかこの受付が防府全体をあらわしているような気がしてしまいました。

で結局、リストから自分で電話して決めたのがこちら↓




ブレてしまったので読めないと思いますが、「桑の山温泉旅館」と書いてあります。素泊まり3800円だったかな。

駅で電話をして、

名前に「温泉」が付いていますが、温泉出るんですか?

と尋ねたところ、

温泉ありますよ、

という返事だったのでここに決めました。

しかしここが遠い、遠い。。。

駅から歩いて25分もかかりました(おそらく2kmちょっと)。

写真の通り着いた頃はすでに真っ暗で、この旅館を見つけるのに、あたりを2往復ほどしてしまいました。


部屋はこんな感じ↓




といっても、よく分からないと思いますが、だだっ広い部屋(12畳くらい)にテレビと机がちょこっとある感じ。

宿の記帳をすると、前回泊まった人は、3カ月前の日付。。。

当然本日泊まっているのも私1人です。


肝心のお風呂はというと、、、

なんていう事もない、ただの銭湯でした。

雰囲気としては、基本的に街中によくある銭湯で、余ったスペースに宿泊用の部屋を増設したという感じなのです。

もうなんだか笑っちゃいました。

たまにこういう自分と合わない土地に行くと、すべてがハチャメチャになることがありますが、防府は私にとってそんな土地でした。



翌日は5時の始発に乗らなければならないので、4時過ぎに宿を出発。

無事に始発に乗れ、列車はひたすら東へと向かいます。




広島、姫路、京都、名古屋、静岡、と普通列車を乗り継いで来れた所までは良かったのですが、沼津の一つ先の三島で列車がストップ

どうやら強風のため、熱海-湯河原間で列車が不通になっているとのこと。

まいったなぁ~

と思ってとりあえず、次の列車が出るまで待つ事にしました。


駅のベンチに座って、何気なく列車の旅では必ず持ち歩いている列車の路線図(時刻表の前についているやつを破いて単体で使っている)を眺めたところ、

沼津までひと駅もどって、そこから御殿場線で山ぞいにいけば、不通となっている熱海-湯河原をかわして国府津までいけることに気づいたのです!

沼津、熱海、湯河原、国府津の位置関係


しかし時間がすでに22時ごろだったので列車があるかわかりません。なんせ御殿場線はローカルですから。

でも待っていてもらちが明かないので、沼津まで戻ってみることにしました。

すると、国府津行きの最終は10分前に出ているはずでしたが、東海道線が詰まっていたために、御殿場線も遅れていて、

奇跡的に最終の国府津行きがホームに停車しており、それに乗りこむことが出来ました。

でそれに乗って、国府津につき、目的地の藤沢に戻ってきたのがちょうど午前0時ちょっと前。


結局この日は電車に19時間乗っていた事になります。まさに18きっぷを使い切ったという感じでした。

結局東海道線はその日は強風のため回復する事はなかったようです。

あー、路線図もっててよかった。

と思いました。

駅で列車が発車するのを待っていた人たちがたくさんいましたが、あの人たちはあそこで一泊することになるのだろうな、と思いました。

なり、情報って大切だなぁ~

とつくづく実感しました。


前にこのブログで集団同調性バイアスについて取り上げましたが、


ひとは大勢の人が同じことをやっていると、つい安心してしまうものです。

しかしそれはある意味とても危険なことで、状況に応じて個々に考え、臨機応変に行動すべきだと私は常に考えてます。

旅の最後に、思わぬイベントが仕掛けられていましたが、なんとかそれもパスできたように思いました。



さて、この旅は、下関陶器の旅というテーマで、妹が買ってきた茶碗から始まったのですが、

広島、下関、長府、秋芳洞、萩、津和野、防府、、

と様々な土地を訪れることが出来、とても有益で楽しい旅となりました。

この旅のきっかけを作ってくれた茶碗、そしてこの茶碗を買ってきた妹には感謝であります。

また旅の途上でお世話になったたくさんの方々

(おそらくこのブログを読んで頂いて、うん、うん、と頷いているいる方もいるでしょう)、

すべての方にひたすら感謝です。

m(_ _)m


また18きっぷの季節になったら、何かテーマを決めて旅に出たいなぁ~と思っています。

下関陶器の旅、これにて


おしまい



参考:

防府天満宮
http://www.hofutenmangu.or.jp/













2010年4月24日土曜日

下関陶器の旅 ≪その11≫ ~西周、鴎外旧宅へ~



神社を出て、春の日差しの中、また川沿いを歩き始めました。





歩くことおよそ30分、目標としていたが見えてきました。




之を渡って川沿いに行くと、森鴎外の旧宅ですが、先に西周(にし あまね)の旧宅を見に行くためにそのまま直進しました。

すなわち、西周と森鴎外の旧宅は、この川を挟んで向かいにあるのです!!






はい、到着。ここが西周旧宅





西周(1829-1897)という名前はあまり聞いたことがないかもしれませんが、知る人ぞ知る幕末から明治初期にかけての人物で、

私達が現在当たり前に使っている、

哲学・科学・理性・技術

などの言葉は、彼が西洋から学問を導入・翻訳するにあたって作り出した言葉だそうです。

その他に

学術・主観・客観・本能・概念・観念・帰納・演繹・命題・肯定・否定・
理性・悟性・現象・知覚・感覚・総合・分解

などなどといった訳語も作ったそうです。

訳にあたって新たに言葉を創出するというのは、ニュアンスが変わってくるので当然功罪があろうと思いますが、

学問の基礎を作ったと言う点でその功績は評価されるべきでしょう。






こちらが、家の中↓












こういう木と畳のにおいのする部屋で正座して物事を考えるというのは、

現代のイスと机で思考するのと、どうちがってくるのだろうか、、、

などと考えてしまいました。





左の白い建物はで、ここに籠って勉学に励んだそうです。

蔵のすぐわきに小川(水路?)が流れていました↓




こちらが庭↓




せっかく生家を保存しているなら、この池も水をはって、鯉でも泳がせとけばいいのに、、、と思いました。

本来水がある所に水がないというのは、干からびていて、死んだ風景の様で痛々しい感じがします。





つい100年ほど前の日本人は、こういうところで生活していたんですね。。。


さて川を渡って、




つぎに訪れたのが、森鴎外旧宅









西周の旧宅に比べると、チョット豪華な感じです。

先ほど無料で見学出来ましたが、なぜかこちらは見るのに100円かかります↓




森鴎外は言わずと知れた文豪ですが、私は舞姫ぐらいしか読んだことないかな、、、。




こちらが、家の中↓



















夏なんて、寝ころんでウチワをパタパタやりながら涼んだら気持ちよさそうだなぁーと思いました。




こちらのお宅は家の構えは立派でしたが、庭は有りませんでした。

二つの家に共通していたのは、質素だったこと。そしてこの津和野という美しい自然に囲まれた中にあるということです。


かつてこのブログで、数学者の藤原正彦さんが説く"
天才の出現する条件 "というのを取り上げましたが、

まさにここ津和野はその自然の美しさから、天才が出現する条件を備えているような気がしました。


さて、また川沿いを歩き、




禅寺を見に行きました↓






茅葺(かやぶき)の本殿がどーんと中央に鎮座していて、なんだか日本昔話に出てきそうな「正しいお寺」という感じでちょっと笑えました。










こちらのお寺はが有名らしいのですが、私が訪れた時は拝観を中止していました。なんとも残念です。





仕方なく、建物を見ただけで寺を出ました。。。


この時点で、1時ごろ。

電車の出発まで1時間半ほどあったので、駅の近くにあった安野光雅美術館葛飾北斎美術館を駆け足で見学する事にしました。


まずは安野光雅美術館







彼も津和野の出身なんですね。

この建物は出来たてのピカピカでとてもきれいでした。

絵の陳列が、ちゃんと順路を矢印で誘導してくれているので、見る人が

どちら側から見ようか?

と迷わずに見れるのがよかったです。これは絵本作家ならではの発想だなと思いました。

と同時に、絵を見ながら、彼の代表作である『旅の絵本』の登場人物になっているうような気分になりました。


こちらが入館記念にくれたポストカード↓




館内にはプラネタリウムもあったのですが、時間がおしていたので、今回はパスしました。次回腰を落ち着けてじっくり見たいと思います。


で、次に向かったのが葛飾北斎美術館










葛飾北斎が津和野出身というわけではなく、彼の初期の作品が津和野から出てきたので、ここに美術館を建てたとの事。

それほど展示がたくさんある訳でもなく、けっこうあっという間に見れてしまいました。(およそ15分、、、)


津和野に着いてから6時間程、ずっと歩きまわって主な観光名所をだいたい見て回れました。

しかし歩きながら、これを一日で見てしまうのはもったいないなぁと思いました。最低一泊して、腰を落ち着けてじっくり見たいものです。

帰りがけに観光案内所によると、安い宿では素泊まり3千円台であったので、次回は必ず泊まりがけてきて、

今回見れなかった、禅寺の庭と、安野光雅美術館のプラネタリウムは是非みたいですね。

あと、通りに何軒か古い酒屋さんがあったのですが、そのうちの一つのもっとも古い酒屋さんがちょうど閉まっていて利き酒ができなかったのが残念でした。

次回は是非そこも訪れて、心ゆくまで利き酒してみたいと思いました。


さて、そんなこんなで、あわただしく津和野観光を終え、





また電車に乗って移動しました。




次はどこへいくのか??



つづく、、、





参考:

西周〔ウィキペディア〕


森鴎外〔ウィキペディア〕

津和野観光協会HP(宿情報・見どころなど)
http://www.tsuwano.ne.jp/kanko/

彦兵衛のブログ:出現、数学の天才!
http://mshiko.blogspot.com/2009/04/blog-post_09.html