2018年1月10日水曜日

北斎とジャポニスム展 & ゴッホ展 観てきました!






↑を上野で見てきました。

一方は国立西洋美術館、もう一方は東京都美術館という歩いて行ける近さです。

午前と午後に分けて一気に両方観てきました。

東京はこういうことが出来るからいいですよね。素晴らしい。

北斎展の方は、北斎の影響を受けた西洋の絵画や皿、陶器、ガラス工芸品の展示でした。

オリジナルと並べて展示してあり、とても分かりやすかったです。

中には、これ、ホント北斎の絵に影響されてるのか??

という微妙なものもありましたが、ちゃんとそうして展示されているということは、

美術史的にそれなりの根拠があっての事だろうとは思います。。


それにしても、北斎が与えた影響というものは、そうとう強烈なものがあったのだろうと想像され、

モネやゴッホなどの作品も含め、よくこれだけ集めたなぁ、、と感心してしまいました。


絵だけでなく、陶器なども多く展示されていましたが、

中には、北斎の絵をそのままパクって絵柄として採用しており、

本人の許可をもらっている訳でもなく、現代ではありえないなぁ~、、などと思いながら見ていました。

北斎の絵は、最初、商品の緩衝材や包み紙として西洋世界に渡ったということなので、

あまりの雑さにもったいなさを感じます。日本でもそれなりの人気を博していましたが、

外国で評価されることで、日本でも評価が高まるというのが日本には多いように思います。なんでなのでしょうね、不思議です。

ある程度、外国によって権威づけられないと、日本人が生み出したものの評価ができないというのはもったいないというか残念に思います。


さて、昼は近くでイタリアンを食べ、午後、ゴッホ展を見に行きました。

私はいかにもゴッホという、あのくねった絵はあまり好きではなく、

わりと正当な風景画が好きなのですが、

お、ゴッホもこんな美しい絵を描いてたんだ~、とよくよく見てみると、

美しい風景の中に、やはりどこか狂気をはらんだものが描かれており、

また、美しい風景なのに、空が妙に暗かったりだとか、

やっぱゴッホなんだな~、と思わされるものが多かったです。

まぁ、彼の生涯を知っているので、そんな先入観をもって観ているからなのかもしれませんが、

でも、やっぱ絵を見ると、尋常ならざるものを見出してしまいます。

今回、両方とも特に絵葉書は買いませんでしたが、ショップで売っていたカエルさんが綺麗だったので買ってしまいました、、、。



カエルの王様↓














カエル好きの人にあげるか、手元に置いておくか、

いまだ思案中です。。




2018年1月9日火曜日

骨で若返る!?



先日のNHKスペシャルについてやっていました。



試してガッテンで同じような内容があったときに当ブログでもとりあげましたが、


要は、骨に振動などの刺激を与えると骨が活性化され骨密度が増すとともに、

脳が活性化されたり、お肌がきれいになったり、などの若返りの効果

があるとのことでした。

私はかかと落とし!のブログを書いてから、ガッテンで紹介されていたかかと落とし運動を続けていましたが、

衝撃が腰に集中するのか、軽い腰痛のようなものになってしまい中止しました。

自分的にはかかと落としは良くないようです。

本来、地面との衝撃はアキレス健を含む足全体で吸収するようになっているので、

かかとでどすんと衝撃を受けるのは体に良くないのかもしれません。私的には普通にジャンプした方が体によいようです。


さて、今回のNHKスペシャルの放送も、内容的にはガッテンと同じものでしたが、

番組内で紹介されていたある自転車選手の例には驚きました。

彼は全米の自転車の大会で準優勝をするほどの選手でしたが、

ちょっとした転倒で大腿骨を折ってしまいました。

骨密度を測定してみると、なんと

20代であるにもかかわらず80代の骨密度

だったとのことです。

彼は小さいころから自転車に乗りはじめ、自転車向け以外の筋肉をつけないように

走ったりなどの他の運動はしなかったのだそうです。

結局、骨密度が80代並みになってしまったのは、そのような偏った運動の習慣が一因だったのではないかとのことでした。

実際に統計を取ると、自転車に乗っている人で骨密度が低い人がかなり多いとのことでした。

自転車選手というと、足の筋肉ムキムキで骨も当然がっちりしているのかと思いきや、骨はまた別なんですね、、。

ちゃんとランニングなどのジャンプ系の運動をして骨に刺激を与えなければいけないようです。

とても為になりました。

ということは逆に、普段から歩くことを心がけたり、たまに早足にしてみたり、少しジャンプしてみたり、

また積極的に階段を使うようにするだけで、相当差が出てくるということですよね。


自転車選手に関しては、一つに特化してしまうことの危うさというものを感じました。

何をやるにしても、バランスというのが大事になってくるのかなと思います。

この世界は、バランスを取らないとうまくいかないように出来ているのかな、、と感じます。神様の与えた人生ゲームのルールというか、、。

前に落合信彦息子のことを紹介しました。

彼は食べてる時間がもったいないからとグミやチョコを食べていましたが、

恐らくそのような習慣も長い目で見ると、自分の好きな研究を蝕んでしまうことにつながるのではないかと思います。

土台となっている体が弱って行くように感じます。

バランスを保ったうえで、やりたいことを集中してやる、

ある程度の基礎的なこと(睡眠・食事・運動)は義務として、淡々とこなさなければいけないんだろうと思います。


さて、話は少し変わりまして、Eテレのきょうの健康で、50周年記念ということで健康の達人たちが連日放送されます。


初日は、あの80歳にしてエベレストに登った三浦雄一郎さんでした。

今、彼は片足に4KGの重りをつけ、15kgのリュックを背負って歩いているそうです。

彼の骨密度は20代並み、太ももの筋肉は、アスリートかそれ以上もあるとのことでした。

前に脳のMRIを撮っていましたが、20代の人と同じぐらいの脳の詰まり具合であるとのことで医者が驚いていました。

やはり骨を刺激することと脳の活性は繋がっているんでしょうね。

現在85歳ということでしたが、驚異的であります。

三浦さんは、目標を持ち運動を無理のない所から少しずつやることの大切さを説いていました。

今週、三浦さんをはじめとする健康の達人たちが紹介されるので、見ることで参考にしたいと思います。

再放送を1/15からやるようです。


おしまい

2018年1月6日土曜日

Eテレが凄い! ~ 人間の秘密 & 欲望の経済史 ~



以前に紹介した『人間ってナンだ?超AI入門』、

最後の方には五木寛之氏東大の哲学者などを迎え、

とても興味深い話が展開され、年末には特別篇を加えて終了となってしまいましたが、

1月より、またまたEテレで知的好奇心を刺激される面白いシリーズが始まりました!


ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” 全12回!
Eテレ 毎週金曜 午後10時 | 再放送 毎週月曜 午前0時45分(日曜深夜)


シリーズ 欲望の経済史[新]全6回
~ルールが変わる時~1▽時が富を生む魔術~利子の誕生
毎週金曜 午後10時30分~[Eテレ] -
【再放送】毎週日曜 午前0時00分~(土曜深夜)[Eテレ]


どちらも第一回は終了しましたが、再放送はまだ見れます(今日の深夜と明日の深夜)。

アメリカの一流の研究者よる講義がタダで聞けてしまうなんて、こんなオイシイ話しはありません(正確には受信料払っているのでのでタダではありませんが、、)。

Eテレさまさまであります。

Eテレ凄過ぎ!レベル高すぎ!

知っておくことは、これからの自分の人生を切り開ていてく上で、

また社会を築いていく上でとても重要な基礎、礎となります。知は力なりです。

知っていると知っていないとでは大きな違いが生まれます。

興味のある方は、ぜひ録画して観ちゃいましょう!


以下、番組HPより抜粋↓

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” 全12回!

世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』で知られる進化生物学者ジャレド・ダイアモンド博士が、アメリカ・ロサンゼルスで、若者向けに行った特別授業を12回にわたって放送。

ヒトと動物の違いと共通点に注目し、言語やアートの本質、夫婦の不思議、そして、なぜ人間の間で格差が拡がってしまったのかを考える事によって、環境破壊や、戦争と大量虐殺など人間が抱えている問題について、解き明かしていく。


シリーズ 欲望の経済史[新]全6回

【この番組を企画したきっかけは?】
大きな反響をいただいた、総合、BS1の「欲望の資本主義」から、さらに問題意識を絞りスピンオフさせたシリーズです。
そもそも「時が富を生む」という「魔術」としての「利子」は、どこでどんな時代の欲望から生まれたのか?様々な欲望の形が生まれるポイントをつかみ出し、現在との間を行き来します。

【番組の見どころは?】
歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。あのカール・マルクスの言葉ですが、ここにすべては集約されます。
様々な世界の知性、専門家たちが、「欲望の歴史」を紐解き、その本質の読み解き方を語ってくれます。

【見てくださる方に一言】
歴史とは、「現在と過去との絶えざる対話」(E・H・カー)です。
どうぞ、2018年の今から振り返るからこその「ルールが変わる時」を味わい、歴史の遠近法を捉え直してみていただければ幸いです。

ご一緒に、知の冒険に出かけましょう。


今、経済に注がれる眼差しが熱い。英EU離脱、トランプ現象、揺れる世界経済…。資本主義の歴史とは、際限のない欲望のドラマだ。千年近くの壮大な経済史を、欲望という視点から捉える、異色のドキュメント。
なぜ、世界同時不況は起きるのか?なぜ、バブルは繰り返すのか…?

総合、BS1で反響を生んだ「欲望の資本主義」。その問題意識を発展させ、どこに「ルールが変わる」ポイントがあったのか?6つのポイントに立ち返る旅に出る。「資本主義の終焉」も叫ばれる今だからこそ考える、知の冒険シリーズ。資本主義の流れを読み解く異色の欲望の考現学。資本主義のルールを書き換える場となった世界のポイント、世界経済のフロントランナー、経済史の専門家などに取材、エピソードをまじえ構成する。

・1月 5日 第1回 時が富を生む魔術~利子の誕生           
・1月12日 第2回 空間をめぐる攻防~グローバル化と国家~       
・1月19日 第3回 勤勉という美徳~宗教改革の行方~          
・1月26日 第4回 技術が人を動かす~産業革命からフォーディズムへ~ 
・2月 2日 第5回 大衆の夢のあとさき~繰り返すバブル~       

・2月 9日 最終回 欲望が欲望を生む~金融工学の果てに~


2018年1月2日火曜日

ノープレー、ノーエラー



私はだいたい家から4km四方にある神社は定期的に参拝するようにしてるのですが、

正月二日目にして、元日に行けなかったそれらの神社を自転車で廻ってきました。


その一つが、三島神社




長い階段を上がっていくと、、







境内から富士山がクッキリ!

とても気持ちよかったです。


他の神社をめぐるため、海に出ると、








輝いてますねー、、




海が真っ青、穏やかでとても綺麗でした。。

日の出をみた海岸ですね、、。


さて話がかわり、、

年末の情熱大陸で、旅館の女将さんのことをやっていました。

旅館業なので色々と失敗や

お客さんに対しての失礼があるとのことでしたが、

女将さんは

ノープレー、ノーエラー

と言っていました。

プレーをしているからこそ、失敗があるのだと。

その失敗を宝として、次に生かすのだと仰っていました。

その旅館は、日本で1-2位を常に争う人気の旅館だそうで、

さすがだな、、と思わされました。


何かに挑戦していなければ、失敗することもないですよね。

まずはエラーができる環境に自分が立っていること、

挑戦させて頂けていることに感謝、

そして、プレーしていればエラーはつきものなのだから、

のびのびとプレーして、

やってしまったエラーに関しては次に生かせばいいのだと思います。


今年は、(今年も?)

ノープレー、ノーエラー

の気持ちで、いこうと思います。


(^_-)b⌒☆ 







2018年1月1日月曜日

明けまして、おめでとうございます! 2018



あけまして、おめでとうございます!

今年も海岸に初日の出を見に行ってきましたー↓








日が昇る前の海岸。。









浮かんでいる雲が黄金色に輝いてきました。。

そして、、




お、出てきましたーー!








出だすと、ぐんぐん登ってきます!



















明けきって、、↓













今年もキレイな日の出を拝むことができました。

ありがたい、ありがたい、、



その足で、近くの神社に初詣に行きました。





























いつものように、トン汁をもらい、

焚火にあたりながら美味しく頂きました。




今年は人が少ないな、、と思っていたら、

次から次へとやってきました。














 ↑ワンちゃんも来ていました(笑)↓





あ、今年いぬ年でしたね、、。


豚汁の他に、甘酒も頂き、

お札を購入し、境内を後にしました。。

































水仙の咲く山道を通り、、





↑近くのお稲荷さん(四ッ田稲荷)にも参拝。








心晴れやかに、家路につきました。。


これを書いている最中に、もう年賀状が届きました。


私からの年賀状はコチラ↓





↑山バージョンと、






↑海バージョンがあります。

どちらが届いたかな?


みなさまに、ことし一年、

嬉しいこと、楽しいことがいっぱい起こりますように!


ワタクシ彦兵衛も、

今年一年、どうぞよろしくお願い致します。

<(_ _)>







2017年12月22日金曜日

神戸金史さんの講演を聞いてきました。。 ≪その参≫



講演の最後に、ビッグなお知らせがありました。

それは、12/29(金)夜9時から神戸(かんべ)氏がラジオ番組に出るそうなのですが、

それにあたって植松容疑者との面会を予定しているとのことでした。

ラジオ番組に出ること自体は公表しているが、植松容疑者と会うことに関しては秘密にしておいてほしいとのこと。

それはその面会が実現するかどうかわからないから。

彼と会うために手紙のやりとりをしているといいます。その返事の中に、

あなたは自分の息子をいつまで生かしておくつもりか?

という内容が書いてあり、その返信をまだしていないという。

その返答次第では面会は実現しないかもしれないということでしたが、

神戸氏が植松容疑者と会ってどのような対話がなされるのか、興味深い所であり、ぜひ録音して聞いてみたいと思っている。


今回、このような障害児をもつ家庭の内面を知る機会を得ることが出来てとても良かったと思います。

では最終的に大事なことは、なんなのかということを考えてみました。

結論としてそれは

‘知ること’ ‘知っていること’ ‘知識’

なのではないかという思いに至りました。

障害のことを知らない世間の人もそうだし、娘に対して「私も子育てでは苦労した、一時のことよ」と言ってしまう母もそうだし、

結局のところ諸々の悲劇は知らないことに根差しているように思います。

自閉症や障害に関して知っていること、それを抱える家族の死を考える程の悩みの現実があることを知っていること、

また私たちは常に意識の上で線引きを行っていることを知っていること、それに目を開いていること、その重要性を学んだような気がします。

まずは知ること。そして知っているならばまわりに啓蒙すること、これが大切なのかもしれない。知は力なりである。


今回、この講演に参加できたことはまことに幸運でした。

今後もこのような催しがあった場合は積極的に参加したいと思うし、また今後の神戸氏の動向に関しても注視していきたいと思う。


最後に講演の中で映像とともに紹介された障害を持つ息子への詩(相模原事件後にフェイスブックにアップし拡散して有名になった)が、

翌日にヤフーニュースにアップされるとのことでした。

調べてみると確かにアップされており、その詩も参考として付しておきます。

ぜひ読んでみてください。



・・・・・・・↓

 ◇神戸金史さんが相模原事件の3日後にフェイスブックに投稿した文章(全文)
「障害を持つ息子へ」

私は、思うのです。


長男が、もし障害をもっていなければ。
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

私は、考えてしまうのです。


長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

何度も夢を見ました。


「お父さん、朝だよ、起きてよ」
長男が私を揺り起こしに来るのです。
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」
夢の中で、私は妻に話しかけます。

そして目が覚めると、
いつもの通りの朝なのです。


言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。

ああ。
またこんな夢を見てしまった。


ああ。
ごめんね。

幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。


想像すると、
私は朝食が喉を通らなくなります。
そんな朝を何度も過ごして、
突然気が付いたのです。

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、
人をいじめる人にはならないだろう。


生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、
この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。

それから、私ははたと気付いたのです。
あなたが生まれたことで、
私たち夫婦は悩み考え、
それまでとは違う人生を生きてきた。


親である私たちでさえ、
あなたが生まれなかったら、
今の私たちではないのだね。

ああ、息子よ。
誰もが、健常で生きることはできない。
誰かが、障害を持って生きていかなければならない。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。


私の周りにだって、
生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。

交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。


私は、運よく生きてきただけだった。
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。

息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。


誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。

息子よ。
あなたが指し示していたのは、
私自身のことだった。


息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。


あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。
父より

新聞記事:
障害を持つ息子へ(詩)
https://mainichi.jp/articles/20171205/k00/00e/040/237000c



参考:
障害を持つ息子へ(詩と歌) (YouTube で‘障害を持つ息子へ’で検索)

『うちの子~自閉症という障害を持って~』【1】(RKB毎日放送制作)・・・公演中に流された映像
約10分×全5回

連続で見る場合↓
連続動画再生ビューア TBS (←表題で検索し、HP上でCTRL+Fで「自閉症」で検索する)

http://news.tbs.co.jp/3snewsi/index.htm
  



2017年12月21日木曜日

神戸金史さんの講演を聞いてきました。。 ≪その弐≫



講演では、資料として用意された新聞記事の話しと共に、50分ほどの映像が放映されました。

それは記者の自閉症の息子の様子とともに、他に2人、少し重めの自閉症の子と、

少し軽めで働いている自閉症の成人をドキュメントしたもので、実際にTBS系列で放送されたものらしいです(動画で視聴可)。


約10分×全5回


その中で、重めの自閉症の子を育てていた母が、今は頑張るが、10年後も状況が変わらないようなら一緒にいく、ということを目に涙を浮かべながら語っていたのがとても印象に残りました。

50分の映像が終わった後に、神戸氏はある図をかきだした。

それは自分の息子と映像の中に登場した少し重めの子と、軽度の方をグラフのように配して線でつないだ図でした。

障害の重い人から健常者までいろんな人がおり、そのどこかで障害を持つ人とそうでない人の‘線’を引く必要がある。

それは社会福祉を受けるために便宜上必要であるが、そのような線は絶対的なものではないのではないか、という問いかけでした。

誰でも年老いていけば限りなく障害者の方に近づいていく。つまりあらゆる人が障害者になりうるし、障害の方に向かって進んでい

障害者にやさしい社会をつくるというのは、高齢者に優しい社会をつくることであり、

それは住みやすい社会をつくることだと述べていました。私もその通りだと思います。

また線を引くということは必要であるが、線を引くことと、差別は別だということでした。

差別は区別したものに価値判断をし、劣ったものを排除しようとする動きです。神戸さんは現在あるヘイトスピーチのようなものとも戦っているということでした。


線を引くことに関して、これは私も常々考えてきたテーマでした。

線を引くというのは、切ること、分けることであり、それは分かることにも繋がっている。あるものごとと、そうでないことの違いが分かるということである。

サイエンス(science)の語源はスキーレというラテン語に由来する。それは切る、知るという意味である。科学の‘科’という字も科目の‘科’であり、それは分けることで、科学、学問の初めは分類、分けることにあった。

私はナチスの思想が当時科学の最先端であったドイツで生じたというのは決して偶然ではなかったと思う。

あれほど科学が進歩しているのに、ではなく科学が進歩しているからこそ、そういう思想を生む機運が高まっていたと考えるべきではないかと思う。

私たちはものごとを切る、知ることによって文明を発達させてきたが、その行きつく先に人間の分類、そして優劣をつけ劣ったものを排除するという社会が現出したと考える。その線の引き方というのは、時代により異なるし、地域によっても異なる。

私たちはナチスや植松容疑者の行ったことをおぞましい行為だと思うであろう。しかし私たちは人間と非人間の線を意識の上でひいて、同じことをしていないだろうか。

たとえば胎児に関して21週までは堕胎が法律的に認められており、障害児である可能性がある場合、そこで合法的に中絶することが出来る。では21週以前の胎児は人間ではないと言い切れるのだろうか。

それは便宜上引いている人間と非人間の線であって、時代や地域が違えばそれは犯罪になりうるし、

天の視点から見たらもしかするとナチスと同じレベルの大罪にあたるのかもしれない。それは分からない。日本では年間数十万人の胎児が中絶されている。

また誕生だけでなく死に関してもそのラインをどこにするのか臓器移植の問題と関連して喧々諤々の議論がなされた。


境界線のあやふやさに関して、ひとつ身近な例を挙げてみたい。数学で海岸線問題というのがある。ある島の周囲がある辞典には100km、別の辞典には200kmと書いてあり、それに疑問をもった学者が調べてみたのだ。

すると実は両方とも正解でありかつ間違いであったのである。

それはどういうことかというと、海岸線をどの長さの定規で測るかによって長さが変わってきてしまうのである。

例えば1mの定規と30cmの定規では凸凹の長さを測定した時にその長さが変わってきてしまう。

つまり海岸線はその細部を拡大すれば拡大するほど緻密な構造が出てきて、小さい定規で測れば図るほど距離は無限に長くなっていくのである。

すなわち当然長さが決まっているだろうと思われる島の周囲の長さというのも実は測定不能なのだ(詳しく知りたい方はフラクタル図形について調べてみると良い)。

このように身近な海岸線のようなものに関しても実はものすごくあやふやであり、そういったあやふやなもの対して人間は分かったつもりになってものごとをとらえている

きちんとした長さがあると思っている海岸線の長さも実はあやふやであり、またものごとの境界も実は人間が意識の上でひいている仮想のものであって、確固としたラインが自然界に存在している訳ではない

私たちは植松容疑者の行った行為をおぞましい非道なものであると感じる。それは、私たちが一般にとり決め、合意している人間と非人間の線を自分勝手に書きかえ、それを行動に移したからだと私は感じる。

しかしそのような行為は、また時代や地域が異なれば称賛されうる可能性があり、また日本においては何十万の胎児が合法的に中絶されている現状がある。

それらを考えると私は個人的には植松容疑者を頭から否定すること、声高に悪がなされたと非難することに抵抗を感じる。

かつてキリストは、罪を犯した女性を非難する周りの人たちに対して、罪のないものから彼女に石を投げるがよい、と語ったが、私はまさにその言葉を思い出す。

自分の属する日本の社会で合法的に堕胎のような制度が認められながら、植松容疑者のやった行為を一方的に非難することに抵抗を感じてしまうのだ。

では私たちはどうすべきか。

まず人間は意識の上で線引きを行うということ。

そして、その線は時や場所によって容易に変更されうるということ。

そしてその線引きをして‘外’と認識したものに対して、人は無感覚に相当残虐なことをなしうるということ。

この3点をよく自覚しておく必要があるのではないかということである。

線引きをどうするかはその都度社会でよく話し合われなければならないし、いま既にある線引きに対しても当然のものとして無思考になるのではなく、常に目を開いているべきであり、また時にその線引きは正しいのかどうかを考えてみる必要があるということである。


また講演の中では、相模原事件の被害者の匿名についての話題が出た。神戸氏によると、匿名というのはたいへんに恐ろしいことなのだそうである。

というのも戦前は逮捕されたときに、誰が逮捕されたのか、その名前が公表されなかったという。それは権力者にとってはとても都合の良い事で、それによって好き勝手にどんどん逮捕し、拷問が行われたという。

現在すべての名前を公表するというのは、そういった戦前の反省からきているのだそうである。

名前を公表することの副作用もあるが、公表することと発表の仕方を考えるというのはまた別のことで、もしこれが匿名でも良いという風潮になったとすると、それはとても危険だと述べていた。

私は、なんでも公表してしまうことに疑問を感じてきたが、とても腑に落ちる説明を初めて聞き、さすが元新聞記者だと感じた。


つづく、、