7/5の大津波の予言に関しては当ブログでも取り上げましたが、来なくてよかったな、、と心から思います。
私は一応、前日までに自分の住んでいる場所の標高と、付近の一番高い所が何メートルあるのかを確認しておきました。
時に防災の視点で回りを見直すことって大事ですね。
また生きていること、生かされていることの有難さにも気づかせて頂けます。
7/5の大津波の予言に関しては、斎藤一人さんも発言していたようで、
7/5に大津波は来ません、おしまい
と一言、心強いお言葉をどこかで発信しているとの情報を聞き、私は大いに安心していました。
というのも、一人さんは、お弟子さんの顔をじ~っとみて、
~ちゃんは、どこどこの保険に入っているでしょ、そこの保険会社つぶれるから、今のうちに解約しておいた方がいいよ、、
と言っていたことがあったようです。
世間的には、あるいはそこの社員さんでさえ知らないような倒産の情報を前もって言って実際に本当に当ててしまうとか、
バブルがはじけて土地が下がるとか、結構大きい所を前もって周囲に伝えているので、一人さんの今回の発言はとても心強かったです。
私たちは、生まれてくる前に、おおよそこの人生で体験することを設定してくるようです。
なので、心の奥底では、この人生でどのようなイベントがあるのかを知っているようですし、それによって自分の魂をこのように成長させようと思ってこの世界にきているようです。
ただ、一人さんの最近読んだ本の中に、そのように大筋は設定してきているけど、
途中で変更したいと思ったら、いくらでも生き方を自由に変更していいんだよ、、
という記述があり、へー、そんなものか、、と思いました。
自分がその箇所を読んで、自身、結構運命論者だったことを認識しました。
かなりの部分で自分の人生は決まっているでは、、と。
しかし、生きてきて、ちょっと変更したいな、、と思ったら変更していいし、出来るんだな、、と。
考えてみたら、画家にしろ、作家にしろ、こういうものを描きたいとある程度の大きなイメージをもって作品をつくり始めると思うのですが、
作っていくうちに、 ここはもっとこういう風にしよう、とか、
作家だったら、キャラクターが個性をもって、勝手に動き出した、、ということがあるようで、途中の変更というものも、当然あるんだろうなと思います。
画家や作家が、その世界における創造主=神さまであるように、
私たちも人生という作品を創造している小さな神様であり、
途中でこういう風にしたいと思ったら、自由にどんどん変更していっていいし、出来る訳ですよね。
この世界は、神様という大きな創造主とともに、我々小さな神様が共同でいまこの瞬間も世界を創り上げているのであって、
今回の津波の予言のように、何月何日きっかりにこのイベントが起こる、ということは恐らくなく、
また我々一人ひとりの思い、言動というものも、気づかないだけで、大きくこの世界の創造に関わっているのだろうと思います。
そういう意味では、実は一人ひとりが思っている以上に大きな責任を負っているのかもしれないと思うのです。。
ところで、これからが本題なのですが、先日、職場でこのようなことがありました。
他セクションの割と普段から冗談を言い合う人が用事で来ていて、雑談の中で、相手が
ウチは~神社で、、
と言っていたので、すかさず、
へー、~さんのおウチは神社なんですね~、、
と言ったのです。すると、その人は、
そうやって、すぐ人の上げ足を取る~、、
と、ご機嫌斜めになってしまったのです(笑)
その人は、ウチ(がよく参拝する)神社は、という意味で言っているのはもちろん分かった上で敢えて言ったのです。最高のフリを差し上げるつもりで、、。
私だったら、
そうなんだよ、ウチ神社だから、さい賽銭箱があってね、みんな通りかかる人がちゃりーん、ちゃりーんと、お金入れてくれるんだよーー、、って、んなワケあるかい!
ふつーの家だよ、でっかい鈴とかないから!
とノリ突っ込みするんですけどね、、、。
あー、なんてもったいない、というか、チコちゃんみたいに、あーつまんねーやつだなー、、と内心思ってしまいました。
考えてみたら、ユーモアで返せるかにはいくつかの条件があるのだなと思いました。
一つが、心の構えです。いつ何が来ても、楽しく返せるようにしようという心の準備が必要です。
また、心に余裕がないと出来ないかなと思います。
心に余裕がないと、言われたことをユーモアにして返せないかなと思います。
また三つ目として、機知に富んでないとできないかなと思います。頭の回転が速く、発想をすぐに切り替えられる頭の良さもないとできないのかもしれないな、、と思いました。
その方は、いつもは冗談を言い合う仲なのですが、その時は、余裕がなかったのかもしれません。
そして、言われたことに真正面からぶつかって、不機嫌になってしまったのかな、、と推測しています。
その方が去った後、ウチのセクションの中で、
事故っちゃったね、、( *´艸`) うぷぷっ
みたいな感じになりました。
ウチのセクションでは、私をはじめ、こういったノリ突っ込みみたいなことを普段からしているので、
みんな心の準備をしているし、返しがうまいので、一日に何度も、ガッハッハ、、という笑いが起きています。
それが普通だというノリで今回のようなフリを出したのですが、
他セクションの人は、心の余裕がなかったのか、心の準備が出来ていなかったか、とっさにそのような受けがとれなかったようです。
考えてみたら、神様も色々な形で、我々にこのようなプレゼント、時にキラーパスのような最高のプレゼントを与えてくれているのかもしれません。
一人さんが言うように、神様は、幸せなことそのものを与えるのではなく、私たちがひと工夫して幸せになるような材料を提供してくれているのだと言います。
レモンが来たら、そのまま飲むのではなく、はちみつを加えてレモネードにしちゃいな♪
というやつです。
私たちはレモンをそのまま飲んだり、なっている青梅をそのまま食べて、
なんだこれゃ!なんで私にこんなことが!
と不平不満を言って、天をうらんでいるのかもしれませんが、本当は、神様は絶好のキラーパスのつもりでこれらのことを私たちに与えてくれているのかもしれません。
真正面からぶつかって、不平を言っている我々を見て、神様は、
あーつまんねーやつだな、、
とこぼしているかもしれません(笑)
一人さんは、どんな大変だと思うことが来ても、まずは、
あ~楽しいことになってきた、幸せだな~♪
と言ってみるといいます。
こういってみることで楽しく解決する方法が思い浮かんでくるそうです。私も実際やってみるとその通りだと感じています。
神様からキラーパスが来たら、ちゃんとひと工夫を加えて、自分も楽しく、まわりも楽しく、それを見ていた神様も喜ぶような返しをしたいなと私は思い、常々心の準備をしています。
こう考えていたら、どんなことが起きても平気だし、一人さんがいうように、
波乱万丈どんと来い!
という気分になりますね。
タイトル:神様からのキラーパス!?
でありました。
(^_-)b