2011年3月28日月曜日

フェルメール展に行ってきました



東京に出たついでに、今渋谷で開催されている

フェルメール展

を観に行ってきました。

こちらがその目玉の地理学者




ひとが何かを考えているときにふと浮かべる、どこか遠くを見るような表情がとてもよく描けていて、

窓から差し込むやわらい日差しが、希望にあふれる未知の世界を象徴しているようでとても良かったです。

見ていて、ストーリーが自然と湧き上がってくるように感じました。

やはり、今回の展覧会ではこれがナンバー1でしたね。

今回は誘って頂いた友人と見に行ったのですが、それぞれのペースで観たいため、入口から別行動。

そしていったん見終わったら、出口付近で待ち合わせ、 良かった絵ベスト3をそれぞれが発表します。

そして逆回りしながら、その絵の前に行って、どこが良かったのかを、それぞれが感想を述べます。

まず逆回りをして二回目を観るのはどの展覧会でも基本ですが、意外と一回目に見落としていたものがあることには驚かされます。

またそれぞれが気に入った絵のどこがいいのかを聞くと、絵を見る違う視点を知ることが出来、とても参考になり、楽しいです。

私は複数で美術館などに行く時は、だいたいこの方法をとります。

スタート時点で、あとでベスト3教えてね~といって、一人で観始めます。

この観賞方法は相手のペースに合わせる必要がないのでストレスを感じず、 また何度も絵を楽しめるので、とても気に入ってます。


さてこの日のお昼は、相手に任せていたのですが、美術館近くのビルに入っている、

京風スパゲティー 先斗入ル(ポントイル)

という変わった名前のパスタ屋さんに入りました。

(京都の先斗町を知っている人には別に変った名前でもないかな、、)

京野菜をふんだんに使ったパスタで、箸で食べるのですが、上品かつ繊細な味で、とても美味しかったです。

セットにすると、スイーツと飲み物が付いてきてお得です!

外食を複数で行って楽しいのは、お話しが出来る事プラス、

相手の注文したものを少し試食させて貰えることでしょうか(笑)。

相手曰く、この店の物は、どれをとっても失敗がないとのこと。

確かに試食させて貰った先方のものも美味しかったです。

また機会があったら是非行ってみたいと思いました。


さて会話に関連して、最近習慣にしていることがあるのですが、

それは人と話すときにメモ帳を手元に置いておくことです。

これは相手が言った大事ことを書きとめておく為というよりは、

話している最中に、話そうと思って思いついたことを即座に書きとめておく為です。

話しの流れの中で、あ、その関連でこれを話したい! と瞬間に思い浮かんだことも、相手の話しの腰を折らないために話さないでいると、

そのせっかく思い浮かんだことを忘れてしまって、とても歯がゆい思いをするからです。

会話というのは、くつろいだものほど、自由連想法みたいに色々なことを思いつくので、

それをその瞬間に捉えて、話しておく(離しておく)というのは、 精神衛生上もいいように感じます。

またそのようなことを話すことで、自分の中で更に考えが深まるようにも感じます。

また人と会う時に、前もってコレは話しておこうというのがあったら、

それも予め書きとめておくと、言い忘れすることがなくGOODであります。

本日はとても充実した、ほのぼのとした一日でありました。


おしまい


参考:

フェルメール展
http://www.vermeer2011.com/index.html


京風パスタ 先斗入ル
http://www.n-rs.co.jp/brand/pontoiru.html


http://r.tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13009666/



2011年3月23日水曜日

サービス過剰ニッポンとその代償



震災後、首都圏の電車が止まり、通勤などが出来ない事態が起こりましたが、

そんな中、歩いて8時間かけても会社に行くという人がいたそうです。

この話がどこまで本当の話しか分かりませんが、

電車が止まってどうしても出社できないという事態なら、2,3日は会社に行かない、という決断もありなのではないか、

と、駅で大行列をなすテレビのニュース映像を見て思っていました。


私はこのような異常なまでのサービス精神生真面目さ

実は今回の地震の二次災害=放射能汚染の遠因なのではないかと考えてしまいました。


震災後、日本人が略奪などに走らず、人々が行列をなし、整然と忍耐をもて待つ姿が世界に賞賛されていました。

それはそれで確かに素晴らしいことだし、日本人の美徳といえると思います。

階段で座って待つにしても、通る人のことを考えて脇に座るだけで、拍手喝采されてしまうのです。

このような日本人の持つサービス精神は、たとえば分刻みの電車の運行宅配便のきめ細かなサービス店での丁寧な接客など、挙げだしたらキリがありませんが、

両極端は引き合う

の言葉通り、そのようなサービス精神が行き過ぎると、

逆に人に最悪のサービスを提供することなってしまう、ということがあり得るのではないか、という気がするのです。


これまた極端な話、インドなどを旅していると、急に、バン、と電気が落ち、町中が一瞬にして真っ暗になることがあります。

でも街の人たちは、

あー、また停電か~、

てな感じで、それぞれがもっている自家発電を回し始め、あちことでガタガタ、ブンブンと発電機のモーターが喧しくうなりをあげだす中、次第に街もまた明るさを取り戻します。

インドまで行かないにしても、これぐらいの適当さ、いい加減さ、大らかさを日本人ももう少しもっていいのではないかと思うのです。

いーかげん、テキトー、ではなく、良い加減、適当です。

要は適度に力を抜くバランス感覚だと思います。


客の要求に120%答えるために、、、

ということをひたすら脅迫的なまでに考え出すと、電気なら原子力発電所を全国に何十基建設して、とかいうことになって行ってしまうと思うのです。

しかし果たしてこのような欲望の全肯定というのはどうなのでしょうか?

人間は、あり余るエネルギーがあると、あまりろくなことに使わないような気がします。

時間にしろ、お金にしろ、食べ物にしろ、たくさんあると、欲望を加速させて、自らを破滅させる方向にもっていってしまう傾向にあるように思います。

つまり、ある程度の制限があった方が人間は輝いているし、そのような制限があった方が実は面白いのです。

昔はよくシミュレーションゲームをやりましたが、お金などがないときの方が色々工夫のし甲斐があって面白いのですが、

ゲーム終盤になってお金などがあり余るようになってくると、あまり面白くなくなってきます


おそらく現実世界も、ある程度の制限があった方が、色々と面白いのだと思います。

今回の震災によって、計画停電が行われ、電車の本数なども少なくなって、日常生活の根本からの見直しを迫られていますが、

これは震災がもたらした良い風潮だと思います。

電池をはじめとする防災グッズが売り切れ、自転車なども飛ぶように売れているそうです。

私はこういう事態を念頭において、人の密集するところには住まず、また通勤もしない、

そして職住近接、更には車は持たず移動は10キロ圏内なら自転車移動を日ごろから心掛けていました。

結果、震災後も何の不自由もありません。納豆が買えない状況というのは少しつらいかな~(笑)。


日本人のサービスの過剰さに加え、私が前々から思うのは、日本人の近視眼的な傾向です。

それを象徴しているのが箱庭です。

日本人は庭を作るのが得意で、中国人は都市を作るのが得意であるといわれますが、

日本人は、すぐなんでもコンパクトな方向に向かう病的なまでの傾向があるように思います。

箱庭や茶室、俳句などの伝統的なものだけでなく、

日本製品といえば、ウォークマンに代表されるような、最軽量、最薄、世界最小などを極限まで突き詰めていく傾向にあり、

ハンディーな製品から自動車やバイクなど、箱庭的なものは日本人の得意とするところです。

このようなコンパクト化の傾向、職人気質はいいとしても、

それによって、マクロの視点が抜け落ちてしまい、とんでもない失敗をしてしまうことがあるように思います。


私がそれに関していつも思い出すのが戦艦大和です。(宇宙戦艦ヤマトじゃないよ!)

真珠湾攻撃によって、空母の威力を見せつけられたアメリカは、

それまでの巨艦大砲主義から機動力を持つ空母と戦力をシフトさせていきますが、

それを示した当の日本はその戦場の趨勢を理解せず、相変わらずの巨艦大砲主義で、戦艦大和、並びにその二番艦たる武蔵を完成させます。

戦艦大和は当時の世界最高の技術をつぎ込んだ最新鋭の戦艦でしたが、そもそも時代の流れはすでに戦艦の時代ではなかったのです。

大和は日本の技術の粋を集めて作られた芸術作品のような戦艦だったそうですが、結局戦場で活躍する場はすでになく、

最後は沖縄までの片道の油を積んでの特攻に使われ、敢え無く沈められてしまいました。

なんとももったいない話です。

戦艦大和を必死になって造る情熱はいいのですが、

そもそも戦艦がいまの戦況の中でどの程度必要とされているのか、

そこに注がれるエネルギー(お金、資源、人、時間など)がはたして理に適ったものなのかどうか、

そのようなマクロの視点の議論にも戦艦を建造するのと同じくらい、いやそれ以上の情熱をもって取り組まれるべきなのではないか、と思うのです。


原子力発電も、日本の技術は高いもの(らしい)ですが、そのようなチマチマとした設計どうのこうのよりも、

まずはもっとマクロな視点に立って、はたして原発が必要なのか、

原発を建設、維持、安全管理、そして廃棄するのにどれくらいのコスト(お金、資源、人材)を要するのか、

また原発に代わる施策はないのか、などを模索すべきだったのではないかと思うのです。

たとえば、イスラエルでは新築する家に地下シェルターをつけることが義務付けられているそうですが、

日本の新築の家に、太陽光発電を義務化するような思い切った政策がとられてもいいのではないかと思うのです。

今回の原子力事故によって、日本の、そして世界の原子力政策、エネルギー政策は大きく変わっていくことでしょう。

今後どのように事態が推移していくのか、見守っていきたいと思っています。

おしまい




参考:

その時歴史が動いた:
戦艦大和の悲劇
~大艦巨砲時代、時代に敗れる~
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_07.html#04

アマゾン:
NHK「その時歴史が動いた」 戦艦大和沈没~大鑑巨砲主義の悲劇~「日中・太平洋戦争編」 [DVD]




2011年3月13日日曜日

大きな地震でした、、、M9.0!?



とても大きな地震でした。

私は神奈川に住んでますが、最初は小さな揺れから、

次第にゆーら、ゆーら

と、まるで船に乗っているような感じの尋常でない大きな振幅の揺れが来ました。

"大地のように揺るがない"という表現がありますが、

その大地が足元でゆーら、ゆーらと動いているのです。

しかもそれがいままで体験したことのないような長時間にわたって続きました。

揺れの途中で、バチン、と電気も落ち、そのまま一晩中停電でした。


地震がおさまって、

これは遠くでそうとう大きな地震が起きただろうな

とすぐに感じました。

結局マグニチュードは9.0、日本の観測史上最大の地震となりました。


私は阪神大震災の時は、お隣の京都にいました。

ちょうどその時は、旅館のアルバイトで夜勤をしていて、事務所で寝ていました。

グラグラグラグラ

と大きい揺れがきて、

寝たまま、この大きさだったらこのまま旅館が潰れて死ぬかも、、、

などと考えましたが、幸い旅館に大きな被害はなく、

揺れも、鋭い揺れではありましたが、短時間で収まりました。

京都タワー近くのビルでは、ガラスが割れて道路に散乱していたようでしたが、

震度も5とそれほどでなく、他に被害らしい被害はありませんでした。


そんな京都の町に、ちょうど高校駅伝で泊まりに来ていた仙台育英の選手たちが

朝のランニングにぱらぱらっと出ていったのはさすがだなぁ~と、

旅館の前に水をまきながら思ったことを思い出します。


さて今回の地震のあった当日は、家から少し離れたところにいましたが、

帰宅の際、足は自転車だったため、信号が止まって大渋滞している車を尻目に、

悠々と家に帰れました。

アブナイナと、感じたのは、

街灯も消えていたため、夜間、歩行者がよく見えなかったことです。

夜の歩行は、たとえ停電でなくとも何かしらライトを持っていた方が、安全だと感じました。


家に着くと、前に買ったときに
ブログでとりあげたヘッドライト




をつけ、

前から用意していた電池式のラジオ





をつけました。

ライトは、普通の懐中電灯だと、片方の手が塞がれてしまいますが、

ヘッドライトだと、頭につけずとも、首からぶら下げるだけで十分で、とても便利です。

また、私はこれらはすべて単三電池で使えるものをチョイスしましたが、

デジカメも単三電池で動くものにしているので、すべてに共用できてとても便利です。

前に紹介したように、私が現在使っている充電式単三電池は、エネループです↓




アマゾン:
エネループ


さて話しが変わり、

地震の後、津波の映像を観た友人が

スマートフォンの画面でグーグルの地図から自分の住んでいる所の高度をチェックしていました。

おっ、すげーー、 そんなことできるんだぁーー

と思い、

電気が戻ってから、そんなサイトがないかネットで探してみたら、ありました↓

グーグル地図から高度を知る
http://topocoding.com/



あの津波の凄まじさをみると、海や川の近くってやっぱ危ないんだなと思わされました。

ある程度の高さの所に住むって大事なのだと思います。

あと地名に、水に関連する名前が残っていたりするのも、要注意かもしれません。


電気は明日の月曜から、

電力不足になるようなので地域ごとに順番で停電にしていくという話しがあります。

私はもともと

原子力発電反対


の立場であることもあって、普段から節電に心がけており、

そこまで消すか!?、というぐらい、使わない所の電気はバンバン消しています。

さすがに冷蔵庫は消しませんが、夜は電話のコンセントさえ抜きます(笑)。

これ以上、節電のしようがない位ですが、いま被災なさっている方々を思うと、

申し訳ないほど恵まれているので、色々節電できる所を改めて見直してみたいと思います。

皆さまも、どうぞ、節電に心がけて下さい。


そして出来たら、原子力発電の是非というものを今一度考えてみてください。

私はNHKスペシャルの

”清算”の行方 ~諫早湾干拓事業の軌跡~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110129.html

を見て、行政がいかにいい加減かがよくわかりました。

利権の為、自分達の見栄の為、

事実をねじ曲げてまで一度決めてしまった事業は徹底して突き進めてしまうのです。

本当にとんでもないことです。

おそらく、原子力事業もこの延長にあるだろうと推測できます。

原子力発電の建設にかかる費用、ランニングコスト、廃棄物の処理、汚染対策、原子力の解体費用など

諸々のことを考えると、原子力発電は行政などが言うような安い発電法ではなく、

とんでもなくコストとリスクのかかる発電法であり、

一見安く見えるのは、後世に膨大なツケをまわしているだけです。

本当に、とんでもないことがまかり通っているな、ととても残念に思います。

現在、福島の原発がメルトダウン寸前でくいとめられていますが、

今後どのようになっていくのか、ちゃんと推移を見守っていきたいと思ってます。

参考:

彦兵衛のブログ:原発解体
http://mshiko.blogspot.com/2009/10/blog-post_13.html


被災地域には、集落が消滅してしまっているようなところもあり、

死者はおそらく数万となることでしょう。

このような未曾有の災害に対して私達が出来ることはあまりないかもしれませんが、

自分の出来る範囲内の支援をやっていきたいと思ってます。

節電義捐金の送付などもそうですが、

被災地にいる方々、あるいは災害で亡くなった方々に

祈りをささげることも有効だと思います。

臨死体現の本などを読むと、人の思い、祈りなどは相手にちゃんと届いているようです。

また想念の力=祈りの力が、物質的な力となって作用するということがあるようです。

ひとつだけ、参考文献をあげておきましょう↓

祈る心は、治る力 ラリー・ドッシー著 大塚晃志郎訳 日本教文社 2003



この本によると、祈りはあまり指向性を持ったもの、

~が~でありますように

というものよりも、相手に選択の余地があるようなプラスの祈り

~に祝福がもたらされますように

というようなものがいいそうです。


さて最後にもうひとつ、私が注意していることは、

チベット僧、チョギャム・トゥルンパ氏が残した言葉、

すべての出来事を瞑想の糧として欲しい

というものです。

これを想念の関連でいうと、

地震を祈りの対象とする

ということでもあり、

また、私がふだんから習慣にしているように、

とりあえず、この悲惨な状況を前にしても、

ありがたい、ありがたい、

すべての存在にどうもありがとう、

すべての体験にどうもありがとう、

と心の中でいってみることです。

それまでに見えなかったことが色々と見えてくるかもしれません。

何かの参考にしてください。



どうか、被災者の方々の魂に祝福がもたらされますように





参考:

グーグル地図から高度を知る
http://topocoding.com/


NHKスペシャル:

”清算”の行方 ~諫早湾干拓事業の軌跡~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110129.html

原発解体
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091011.html


私たちは核兵器を作った
http://www.nhk.or.jp/special/onair/101219.html


彦兵衛のブログ:

最近買った便利グッズ (ヘッドライト
http://mshiko.blogspot.com/2010/08/blog-post_15.html

君子じゃないので危うきに近寄る ~津波を見に行ってきた話し(電池式ラジオ
http://mshiko.blogspot.com/2010/03/blog-post.html

ビックキャメラでお買いもの♪♪ ~充電式電池など~
http://mshiko.blogspot.com/2009/12/blog-post_06.html

原発解体
http://mshiko.blogspot.com/2009/10/blog-post_13.html



付録:

彦兵衛の(頑張らない)勉強法

は、また次回余裕があるときにから書きます。。。

2011年3月6日日曜日

入試問題ネット投稿事件に思う




入試問題
が試験中にネットの質問コーナーに投稿・回答されるという事件が起こり、

そしてあっという間に解決を見ました。


京大の数学は難問・奇問が多いことで有名で、

そういう気持ちも分からないでもありませんが、

やはり問題というのは自分で解いてこそ達成感があって楽しいのであって、

一応ルールにのっとってやんなきゃだめだろ~と私は思いました。


彼は京大に限らず、他の大学の試験においても同様の手口を使っていたようで、

努力する方向を少し間違えちゃったかなという感じです。


受験というのはゲームであって、

ゲームはルールの中で、如何に工夫するかに楽しさがあると思います。

サッカーの試合の中で、いきなり一人だけ手を使ってシュートを決めたら、

他の選手や観客は、

しら~

といった感じになるでしょう。

たまに"神の手"を使ってゴールを決める選手もいましたが、

ふつうこのような"神の手"を使ったら、"お上の手"が回るのであります。


しかし今回の場合、本人がセンター試験の点が悪かったので、、、

ということを言っているそうで、

京大数学や英語もかな?、ネットの質問コーナーに投稿していたようです。


京大の英語はともかく、

数学に関しては、確かに難解なものが多く、いくら解答の解説を読んでも、

意味がまったく分からないという問題がかなりあります。

でもそういう問題はスルーしていいのです。

そんな問題が実際出ても、本番では時間内に解けないだろうし、

そんな問題に時間をかけるぐらいだったら、解ける問題にエネルギー注ぐべきです。


といいつつ、私の場合は6問中(5問だったか?)、1.5問しか解けませんでした。。。

あとの問題は、全く歯が立たず、何を使って、どう攻めていいのかさえも分かりませんでした。

数学は嫌いな方ではなかったし、それなりに勉強もしていましたが。

ふつうは、だいたい半分ぐらいは解けて、2/3位の解答を目標とすべきところですが、

答案を書けたのが1.5問のみ、しかも答えが妙にへんちくりんな分数の答えだったので、

それをひたすら見直して時間が終わりました。

あー、終わった、終わった、と宿に帰って、ちょうどやっていたガンダム(1年戦争じゃないよ!)

を見ていたことを覚えています(笑)。


でもあとで周りの人に聞くと、1.5問どころか、0点に近いような人もいたり、

そんなセンターの点数でも通るんだぁ~

というような人がわんさかいて、必ずしも全部終わってみるまでは分からないのです。

難しいときは、周りの人も出来てない、と思っておくぐらいが丁度いいようで、

そこでルールを破るような行為に走ってはいけないのです。


しかし逆に言うと、受験というゲームは、

ルールにのっとっていれば、何をやってもいいのです!

国語や英語の「次の文章を読んでからあとの問いに答えよ」

という問題は、

先に設問を読んで、長文に何が書かれているかを掴んでから答えよ

と読み変えるべきだし、

問題を与えられた順番で解く必要はなく、

難しい問題は後に回して、得点のできる所からどんどん解いていくべきなのです。


受験とは、与えられた時間の中で、与えられたルールにのっとり、

出題者が正解とするものをみつけ、如何に高得点をとるかというゲーム
なのであって、

それは、ファミコンとかのゲームのように、

あるいは自然に誰でも日本語が話せるようになったように、

繰り返すことによってある程度スキルをアップしていけるものなのです。

人によって得意、不得意な分野はあるものの。


私はこのことに気づいてから、ひたすら自分流の試験の受け方

あまり努力を要さない勉強法を組立ました。


今回の事件の予備校生も、

如何にこっそり素早くメールを打つかなどという

ルールを破る方向でなく、

ルール内で如何に高得点をあげるかを工夫する方向にエネルギーを

使っていれば、結果はまったく逆になっただろうに、、、と思ってしまうのです。

このブログを受験生が読んでいるとは思いませんが、

参考になればと思うので、付録として彦兵衛の勉強法を最後にでも付しておこうかとおもいます。


さて、しかし今回の入試問題ネット流出事件は、もっと大きな意味を持っているように思います。

それは、、、


えーと、次回書きます。。。





付録:

彦兵衛の勉強法(思いつくままに、、、)

≪受験の三大原則≫

①受験はゲームだ

②易しい問題から解いていく

③ケアレスミスをなくす


解説:

受験は、与えられた時間の中で、相手のルールにのっとり、

如何に高得点をあげるかという意味でゲーム
と同じなので、

得点をあげられ易しい問題から解いていくべきであって、

時間が取られそうな問題は後回しにしましょう。

またケアレスミスの積み重ねは大きいので、

ケアレスミスをなくす自分なりの方法を確立しておくことをお勧めします。

たとえば、センターなどでは、

適切でないものを選べ

という時には、問題文の前に×印をつけて、

あっているものを選ばないようにするなどなど。


≪受験勉強に関して気をつけること≫

継続・バランス・効率

解説:

受験勉強で問われるのは、基本的に記憶力です。

記憶とは砂上の楼閣のようなもので、

繰り返すことによって形をとどめますが、

繰り返しが足りないと時間と共に形がなくなっていく(=忘れていく)ものです。

従って、記憶に定着させるには、繰り返しということがキーワードになってきます。


また、少し余談になりますが、

逆に、自分にとって受け入れ難い嫌な体験でなかなか忘れられない記憶というものがありますが、

そういうものは繰り返しフラッシュバックしてくるものです。

そういうものは、再び意識の外に追い出してしまうのではなく、

浮かび上がって来た瞬間に掬いあげてあげて、その時の場面を感謝をもって捉えなおすと、

やがてその場面に絡んでいた感情が溶解して浮上してこなくなるのです。


このように、記憶の特徴としては、

繰り返すと定着する、感情やイメージを伴うと忘れにくくなるという性質があるようです。

従って、記憶に関しては、如何に繰り返すか、また感情やイメージを如何にうまく使うかにあります。

感情やイメージを使う事は、人それぞれに工夫すればいいとして、

繰り返すためには、コンスタントに継続してその記憶する対象に接しておく必要がありますが、

あまり心に負担のかかる方法を毎回やっていては、やがてやる気を失ってしまいます。

従って、いかに自分の心に負担をかけない勉強法を模索するか、が継続の鍵となってきます。

私の場合は、

一コマを15分とする(テレビアニメと同じ!)

易し過ぎて飽きてしまうような問題を繰り返さない、いきなり難しい問題をやらない

飽きたら次のことをする(勉強に限らない)

一日に受験するすべての教科に触れるようにする

能動と受動の勉強を活用する

勉強以外のこともしっかりやろう!(運動や睡眠など)


いま思いつくのはこんなところでしょうか。

えーと、これらについても、余力があったら次回書きます。

2011年3月5日土曜日

いちご狩りに行ってきました



先日の休みに、いちご狩りに行って参りました。

場所は、横須賀の京急津久井浜駅近くの

津久井浜観光農園
http://www.jakanagawa.gr.jp/kn5128/kanko/top.html

という所です。


前に当ブログの三浦富士登山の中で紹介した、

武山の近くでもあるようです。





普通は1500円くらいするそうなのですが、タダ券を頂いたので、行ってみました。


ここにはいちごのビニールハウスが20コ位あって、




受付で、どこどこのハウスに行ってくださいと言われます。

私は12番のハウスと言われました。






この日は、あいにくの雨、

というより大荒れの天気で、雨に加えて、風が強く、

歩くのでさえ大変でした。(風のせいで傘の柄が折れてしまった)





道の途中にあった、風でくるくる回るオブジェが目をひいた。








ココが私の指定されたイチゴ狩りのハウス↓





中はこんな感じ↓






たわわに実ったイチゴを30分間、取り放題、食べ放題です。







入り口で、練乳を入れたトレーを貰ったのですが、

せっかくのイチゴにそんなのかけるのはもったいないと思い、

そのトレーは入口に放置して、奥に向かってゆっくり歩きながら





美味しそうなイチゴを見つけては食べていきました。








足の下一面に、食べ物がいっぱいあるというのは、






どこかおとぎ話の中のお菓子の家のなかにいるようで、

パラダイスってこういうところをいうのだろう~などと思いつつ、

美味しそうなイチゴを見つけてはムシャムシャ食べていきました。







ビニールハウスの中なのに、ミツバチが一匹、花に止まってじっとしていた↓





他の人たちもこんな感じでいちご狩りに興じていました↓




案の定、15分も食べていると、お腹いっぱいになりました。

それでも、写真をとりつつ、ゆっくり歩きながら食べていたのですが。。。



イチゴ狩りを終えて思ったのは、

1500円も自ら払ってくるような所ではないな、、

ということでした。自分でお金を払っていたら、

元をとらねば、、、

という思いが先行して、必要以上に食べてしまい、

結局、体調を崩すような気がします。


私はイチゴを食べながら、4コマ漫画のサザエさんのワンシーンを思い出していました。

サザエさん一家が
梨狩りに行って、みんな梨を食べ放題。

カツオもワカメちゃんも梨をたらふく食べるのですが、

家に帰ってみんなグロッキー、

サザエさんが、

医者の見放題ってないかしら、、、

と呟いているのです(笑)。


よくある食べ放題のバイキング料理なども同じで、

つい食べ過ぎてしまうようなシステムを利用すると、

あとあと気持ち悪いだけで、あまり楽しくないなというのが私の実感です。

美味しいものを適量食べさせて頂く、という感じの方がトータルで楽しいように思います。


イチゴ狩りにいってきた話しでありました。






おしまい




参考:

津久井浜観光農園
http://www.jakanagawa.gr.jp/kn5128/kanko/top.html

彦兵衛のブログ:

三浦富士登山
http://mshiko.blogspot.com/2010/12/blog-post_19.html

三浦富士登山2
http://mshiko.blogspot.com/2010/12/2.html