いま、中村天風さんの生涯を描いた本の三巻目
おおい みつる (著)『ヨーガを転ず: 心身統一の哲学 (中村天風伝)』 2015
を読んでいます。
ところどころに、カリアッパ師のことばや天風さんの気づきのことばが煌めいていて、心に響く内容となっていますが、
本書の中に、本日のタイトルに付したことば、
百年兵を養うは、ただ一日の乱を治めるためなり
というのが出てきました。
読み進めていこうと思ったのですが、
その含蓄のある言葉に、う~ん、とその重みを味わっていました。
最近思うのは、変化には二種類あるなぁ~、、ということです。
一つは、日々刻々と変わっていく小さな変化、もう一つは、ある時に急激に変わる変化です。
たとえば健康で言うなら、我々はみな日々老化しているという普段はあまり気づきにくい変化というものがあります。
もう一つは、何かのアクシデント等による大きな怪我、病気という変化があります。
他には例えば、職場での日々起きている小さな変化というものの他に、年度替わりでの大きな変化というものがあります。
それは、ちょうど竹の成長のように、空洞の所と、節の所があるようなもので、
物事の変化というのは、おおざっぱにこの組み合わせなのだろうという気がします。
なので、私たちは、小さな変化とともに大きな変化というもの両方を視野に置き、それに備えをしつつ生きていくといいのだろうな、、という気がしています。
例えば健康で言うなら、日々起こっている老化に対しては、何がしかの運動をしたり、
また大きな変化に対しては、例えば保険を掛けたりなどして対処しています。
一生において、一番の大きな変化は死であろうと思いますが、
こういったものも、例えば臨死体験の本を読むなどして、ある程度勉強をしておいた方がいいように思います。
一番よくないのは、小さな変化も大きな変化も意識せずに、ただ漫然と今の状態が続いていくんじゃないかな、、という思い込みで生きていくことではないかと思います。
それは例えば、地球の表面は平面として生きていても普段の生活にはほぼ支障がなかったり、また地球の周りを太陽が回っていると思っていてもまず普段の生活には問題がないですが、
それが飛行機に乗ったり、宇宙に出たりする時に大きな問題、大きな誤差として立ちはだかるのと似ているかもしれません。
私たちは、生きていく中に、小さな変化も大きな変化もあるものとして、それなりの備えをして生きていけば、
いざという時に、そう慌てることもないのかなと思います。
ただ、人は見たくないものは見ないようにする習性があるようなので、こういう人間の持つ癖もよく知り、
色々な変化に富む山あり谷ありの人生を、ジェットコースターを楽しむように生き生きと楽しく生きていきたいものです。
百年兵を養うは、ただ一日の乱を治めるためなり
でした。
おしまい
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