2012年11月6日火曜日

ビーズ イン アフリカ



もう早いもんで11月ですね。

私は休みになるたびに自転車で遠出をしており、昨日も金沢八景に行って参りました。

一回サイクリングに出ると、およそ40-50kmくらい走ります。

行く先々でとった写真などもゆくゆくアップしていきたいと思っているのでずが、

今回は先月自転車で訪れた葉山美術館で開催されていた

ビーズ イン アフリカ〔葉山美術館〕
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2012/beads/index.html

を見に行った時に感じたことを書いてみたいと思います。


ビーズ イン アフリカ展 会期は2012年8月4日(土曜)から10月21日(日曜)まで 展覧会内容詳細はこちら



私は人でも、食べ物でも、展覧会でもエスニックものが好きなので、こういう展覧会があると必ずいくようにしています。

たぶんそれは、異文化と接するときに感じる“違和感”だと思います。

ある意味、他者と接するというのも、相手が日本人であれ、それは異文化との接触なのだろうと思いますが、

やはり文化を異にする人たち、その人たちの食べ物、彼らが使う物は、大いに私の中に違和感を喚起してくれます。

そしてその違和感を感じることが、人に成長をもたらしてくれるように感じるのです。

まわりに同じような考えをするような人ばかりで、いつもありきたりのものばかりに囲まれて生活していたら、

何の刺激もなく、従って成長もしようがありませんからね。

違和感の大きいひとやものに関しては、嫌悪が生じる可能性もあります。

しかしそれもやはり自分を成長させてくれるものだと私は捉えています。

そういった意味で私は“違和感”を感じられることを大事にしているのですが、

今回のビーズ イン アフリカも、ナカナカどうして私に違和感を生じさせてくれるものでした。


展示自体は、ビーズで作った動物や仮面などが主だったのですが、


 
 




その展示の中間あたりに、酋長が身につける装飾具というものが飾ってあったのです。

残念ながら撮影禁止で、その画像はとれなかったのですが、

その余りの実用からかけ離れたけばけばしい装飾に大いに“違和感”を覚えたのです。

な、なんだこれは、、、!

と。

まず思ったのは、アフリカは貧しい国というイメージがありますが、結構ヒマなんだろうな、ということです(笑)。

スクールやスカラーという単語がもとはヒマという意味であり、学問はヒマな時間をつぶすためのものとして始まったそうですが、

まずこれだけの装飾を時間をかけて作るだけの余裕があるんだな、ということでした。


しかしなんでここまでして着飾る必要があるのだろうか、、、と思いました。

そして私がイメージしたのは、アメリカ人が借金してまでプール付きの邸宅や豪華な車を持とうとする傾向でした。

それは本当に自分が必要から持とう、持ちたいというよりは、

自分を他者に対してアピールするための必死の努力のような気がするのです。

つまり時代や場所が違えど、やっていることは実は同じなのではないかと。


で私がここで感じた違和感というのは、エネルギーの停滞というか、不自然さとでもいいましょうか、そういったものでありました。

つまり、私たちの“個”の概念は、私の肉体から始まり、

自分の家族、自分の住む地域、自分の国、そして自分の住む惑星、、、といったように同心円状に広がっていますが、

アフリカの酋長の過度の装飾は、個が自分の肉体、あるいはもしかするとその部族、あたりで閉じてしまっているように感じたのです。

光に粒子性波動性があるように、

私たちは“個”というものを部屋としてあるいは、通路として使うことができると思うのです。

部屋としての機能は、外界と遮断してものをためる機能であり、

通路としての機能は、情報の結節点として、ものを通過させるところにその特質があるように思うのですが、

アフリカの酋長のその過度の装飾は、あまりに部屋としての機能に固執しているような気がしたのです。

そこにかける労力をもっと、周りに還元することもできるのではないか、

個を通路として、エネルギーをもっと外に分配することができるのではないか、、、

という気がしたのです。

でもアフリカ人やアメリカ人に限らず、多かれ少なかれ、私たちは同じようなことをやっているのだと思います。

個を部屋として強調すると、それは利己主義ということになりますが、

個をすべて通路として使えば、それはおそらく聖人のような振る舞いになるのかもしれませんが、個を維持するのが難しくなってきます。


人には様々なというものがあります。

最近思うのは、

個を滅するというのは、実は個のもっている特色をまわりが楽しくなるために活かすことであって、欲をセーブすることではないと思うのです。

それを苦行のようにして個がもっている欲を殺そうとすると、今度は逆に聖どころか、俗悪になっていくような気がするのです。

個を活かすこと、個を適度な通路として使う事が、個を解放することにつながり、

個を殺そうとすること、個を部屋としてのみ使おうとすることがエゴに繋がってくるように思うのです。


なんだか逆説的な感じですが、たぶん適度な流れがあることが大切なんだろうなという気がするのです。

私たちは好みの服をきて、好きなものに囲まれて生活したいという願望があり、それは自然な事でありますが、

それも度を過ぎると、“違和感”を感ずるものになり、

また逆に個を通路であるように無理するのもまた不自然になってくるのではないか、という気がするのです。


時に自分の生活を振り返ってみて、

自分を部屋として捉えているのか、通路として使っているか、そのバランスをチェックしてみるのは大切かなと思うのです。


アフリカン イン ビーズの展覧会を観にいって感じたことでありました。


おしまい


追記:

この葉山博物館のロケーションがまたとても良く、海に落ちる夕日はとても美しかったです。

カメラを忘れたのは痛かったなぁ、、、

次回別の展示会で訪れた折にはその画像をアップしましょう。




参考:

ビーズ イン アフリカ〔葉山美術館〕
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2012/beads/index.html

チラシ(PDF/1072KB)

プレスリリース(PDF/386KB)





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