2015年8月2日日曜日

臨死 そして与えられた2度目の人生!



8月ですね~。

暑い日が続きます。。


とりあえず、部屋のカレンダー

こんな感じになりましたー↓













家にいながら南国気分です!(笑)



さて、パラダイスな気分にあわせて、

本日はこちらの本を紹介しておきましょう↓











たいへん素晴らしい本でした!

何がすごいって、もちろんあの世での

愛に包まれた煌めくような天国の描写

も素晴らしいのですが、

彼がまず訪れたのはなんと地獄だったのです、、。



彼は無神論者で、

罵るときには神の名を使うような人物だったといいます。


常に自分のことだけ、

自分の地位や名声、財産

を追い求めることを考えていたといいます。


彼が最初に訪れた地獄は、

生きたままそこの住人に肉を食べられる

というなんともおぞましい世界でした。

実際はそれ以上に酷いもので、

あまりに酷くて思い出したくもないと著者は述べています。


地獄の底でさんざんいたぶられ、疲れ果てた著者は、

神様、どうか助けてください、、、

と心から思ったそうです。

そうすると地獄の住人達は、彼から離れだしたのだそうです。

そして小さいころに教会で唱えた讃美歌などを思い出し、唱えだすと、

地獄の住人は更に彼から離れていきました。

そして、最終的に光の存在が彼を地獄から救い出してくれたのだそうです。

彼はあまに嬉しくて、泣きに泣いてしまっとたといいます。。



そこからは、天国における回想や、

光の存在との対話なのですが、

心に響いた箇所を載せておきたいと思います。



光の存在たちが関心を示したのは、

現世的な成功、勝利ではなく、

その過程において如何に思いやりを示したか、

人を傷つけたかという人間関係だったといいます↓






これは他の臨死体験者たちの証言とも一致するようです。

私たちが現世で価値を置いていることが、

あの世ではほとんど価値がなく、

逆に

小さな思いやりの行為

などが大きく評価されるのだそうです。



私たちの人生における目的は、

神の御心を知ってそれを行うこと↓




本書の中では、神や光の存在の

ありあまるほどの思いやり、

無条件の愛についての描写がちりばめられており、

その圧倒的な愛を言葉で表現できないもどかしさが

痛いほどビンビン伝わってきました。


また「宗教的な習慣やしきたり」についても語られていました。

本来宗教的な集団というのは、

人に思いやりを示す、愛をもって接する

などの天界のメッセージを伝えるものだったはずなのに、

それが時間がたっていくと、

集団を維持することが目的となっていき、

次第に自分たち以外のものを排除していくという

本来とは真逆のことをやってしまうようになってしまうということが書かれていました。

著者は教会に集う人は、排他的にならないように

内の人たちよりもむしろ外の人たちに心を開き、

思いやりをもって接することを勧めています。


この世の人生は、あの世にいくための準備の期間↓





人生は我々が考えている以上に、

とてつもなく貴重で大切な体験のようです。


どこに指針をおいて、なにをすべきなのか、

たまに原点に戻って考えてみたいものです。



アルコールについて↓





飲酒についてうまく表現しているな、、と感じた箇所です。

心の満たされなさ、隙間を埋めるために

一時的に体験する酩酊状態も、

実は幸せから自らを遠ざけるものだったといいます。


私もなぜ周りの人たちが、何か機会があるたびに

飲みに行こう、とかお酒、お酒

というのかがイマイチ理解できないのですが、

そうか、毎日の生活の中で幸せとか喜びを感じれていないということなのかな、、

と思いました。


私はそういう会に誘われても、

一杯だけ付き合うか、

全然飲まない場合もあります。

飲まなくても話してるだけで十分ハイになれますんで!



霊的に成長する一番の方法は、

他の人に仕える↓






とても単純で簡単なことですが、

コンスタントにそれを実践するのは

難しいことかもしれませんね。

でも心のどこかにこのことを常に留めておきたいと思います。




天使について↓





前回、自然霊について書きましたが、

西洋的にいうところの天使という存在もいるようですね。


本書の中で、著者が臨死体験後、

ある教会を訪れる場面があるのですが、

そこで讃美歌の時に、

天井の隅に天使たちがいて、

讃美歌に合わせて天使たちが光り輝いて神を賛美しているのが見えた

といいます。

天使というか、守護霊というのか、

そういう霊的な存在が誰にでもついていて、

私たちを常に見守っているといいます。


そして私たちが思っている以上に、

天使たちは私たちの思いや願いに耳を傾け、

色々な仕事をしているのだそうです↓








今回この本を読んで気づかされたのは、

祈りについてでした。


本書の中で、著者は神に対して色々な祈りをして、

自らの疑問や願いを直接ぶつけているのです。

そしてそれらの答えを色々な形で示される、

という体験が書かれていました。


私はこれを読んであることばを思い出しました。


瞑想は神の言葉に耳を傾けること、

祈りは神に語りかけること。。


仏教などはあまり大いなる存在に対して、

積極的に語り掛けるということをしないような気がします。

一方キリスト教は、祈りこそが宗教生活の中心のように感じます。


実は、この二つの所作は両輪なのではないか、、

とふと思ったのです。

どちらかをやらないでいる、

というのは本来もっている私たちの機能、

この世の仕組みをフルに活用していない

ということなのではないか、、という気がしたのです。


仏教では瞑想を重視しますが、

仏教徒も瞑想だけでなく、

積極的に自分の思いを大いなる存在に投げかけてもいいのではないか、

と思ったのです。


求めなさい。そうすれば、与えられます。

探しなさい。そうすれば、見つかります。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれます。


これは聖書のことばです。


受け身ではなく、こうして自分の思いを大いなる存在に祈りとして

投げかけていいのではないか、、と思ったのです。


たぶんこの世とあの世はインターネットのような世界に

なっているような気がするのです。



疑問に思うこと、自分の思いを向こうの世界に

投げかけないでいることは、

パソコンがネットにつながらないで、

パソコンの中なだけの閉じた空間の中で

色々と判断、処理しているような状態

なのではないかと思うのです。


でもネットにつながることで、広大な世界に働きかけ、

情報を得ることができるのではないか、、と思うのです。


ということで、これからは、大いなる存在への問いかけ、

祈りというものを意識的に使ってみようかな、、と

本書を読んで思ったのです。


もちろん世間的な願望などをお祈りするつもりは毛頭ありませんが、、。


本書はまだ出たばかりということもあり、

どこの図書館にもおいてなかったので、

図書館派の私も購入してしまいました。


読み終わった今、こういう世界に興味のある人たちに

バンバン貸していこうと思っています。


裏表紙も載せておきますので、

参考にしてください↓






では~




2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も読みましたよ~!!感動して泣いてしまいました。愛が伝わってきますよね。

下の動画の人の本はでてないけど、やはり臨死体験をして神にあったそうです。感動しますよ。宜しかったらご覧下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=E2QTakBghTk


一回あの世に行くと、皆人生観が変わるんですね。今生きている意味がわかるってすごいことだと思います。

彦兵衛 さんのコメント...


有り難うございます。動画見ました。

素晴らしいです!

向こうの体験をしたひとの言葉のなんと力強いことか、、、

言葉では表現しきれないもどかしさを感じるとともに、

その愛の大きさの一端を垣間見れた気がしました。

検索してみると、彼の体験が臨死体験集みたいな本に載せられているようです。

http://www.tengokujigoku.info/ian/ian.html

買ってみようかな~

う~ん、素晴らしい情報、まことに有り難うございます。

m(__)m