上野の東京都美術館でやっている、ゴッホ展を観に行ってきました。
今回の展覧会は、ゴッホ作品の世界最大の個人収集家ヘレーネ・クレラー=ミュラー夫人のコレクションと、
ファン・ゴッホ美術館からの選りすぐりの作品も特別に出展されているもので、
ゴッホの作品が年代順に展示され、とても興味深く、また感銘を受ける作品がたくさんありました。
年代順に、心に残った作品をあげておきたいと思います。
風車「デ・オラニエブーム」1881
こちらは、木炭や鉛筆で描いた絵です。
私は、これを見た瞬間、
あー、ゴッホって心の澄んだピュアな人だったんだろうな~、、
という印象を受けました。
鏡のような水面に、風車が写っています。
明鏡止水という言葉がありますが、この時のゴッホの心は澄んで穏やかだったのかな、、と感じました。
また風車を描いている所から、風を受けて動く物、自然の中の人為、人工物として、
何か自分の内面と響き合うものを感じたのだろうと思います。
確か解説には、弟のテオあてに、列車の窓から見た風景をどうしても描きたくなって、途中下車して描いた、というようなことが書かれてあったようにおもいます。
麦わら帽子のある静物 1881 11-12月
油絵が描きたくなって、絵を習いながら描いた最初期の油絵です。
奥の陶器の光沢など、質感をよくあらわしていると思うのですが、
手前の麦わら帽子も、陶器のようにテカリがあって、あまり麦わらっぽさがなく、
ゴッホの筆の巧みさとともに、
あれっ?と少し面白味を感じる作品でもありました。
森のはずれ 1883 8-9月
私は、これを見た時、道が左奥に進んでいる所が気になりました。
画面の右上の方は、未来とか発展を意味するといわれますが、
道が逆の左の上奥の木々の中に進んでいる所から、退行、死を暗示させるものを感じました。
リンゴとカボチャのある静物 1885
おぉ、こんな静物を描いていたんだぁ~、、としみじみと鑑賞しました。
普通、こういった静物だ、もっと華々しい、豪華なフルーツを並べたりして描くものですが、
全体が暗く、重厚で、重みのある作品となっています。
ゴッホの初期の作品は、農夫などの貧しい人々を描いていますが、
質素な中に温かみを見出す、ゴッホの優しい視点が感じられる気がしました。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット 1886
ゴッホは、その絵の中で風車をよく描いています。
私は、ゴッホにとって風車は彼自身を投影した一つのシンボルであると感じます。
この絵から、町に出て、風を切って自分の道を進んでいくぞ、という意志を感じました。
青い花瓶 1887
ゴッホが、ルドンの花瓶の花を思わせるような、色鮮やかでバランスの取れた花束を描いていたことを今回、初めて知りました。
色遣いも、構図も、とても調和がとれていて、私はこの絵から、彼の心の安定、そして自然に対する優しい眼差しを感じました。
レストランの内部 1887
単体でこの作品を観たら、ゴッホの絵と言われても、ホント?
と聞き返してしまうでしょう。
こんなほのぼのとした優しいタッチの点描も実験的に描いていたようです。
知らなかったなぁ~、、、。
夕暮れの刈り込まれた柳 1888 3月
ゴッホは糸杉が代表するように、多くの木を描いています。
木もまた彼自身を表していると感じます。
太陽は、ゴッホにとって、生命を生み出す神のような存在だったようですが、
そのさんさんと照っている太陽の前にあるのは、枯れたようにして立っている柳の木です。
私には、彼の心のエネルギーが強すぎるが故に、生命が枯れてしまうことを暗示しているように思われました。
種をまく人 1888 6月
こちらにも中央にさんさんと輝く太陽が描かれています。
種をまいているのに、その大地は死んだようにうなだれ、またカラスも描かれています。
ゴッホが新しいものを生み出そうとする一方で、生命の源である太陽によって不毛のものにされていっているように感じました。
サント=マリー=ド=ラ=メールの海景 1888 6月
ゴッホが、こんな青の美しい、力強い海の景色を描いているとは知りませんでした。
生命力にあふれ、彼のたぎる情熱が海の波から感じられました。
黄色い家(通り)1888 9月
見ていてウキウキする絵でした。
ゴッホの希望が、この小さな黄色い家から感じ取れました。
また道が右奥にずうーっと通り抜けているところから、未来に対する強い自信、喜びを感じていたのではないか、という気がしました。
しかし一点気になったのが空でした。
青空ではあるのですが、透き通るような青ではなく、べったりとしていて、どこかどんよりとした重さを感じます。
どこか未来に対する、不安があらわれているようにも感じました。
緑のブドウ園 1888 10月
青空のもとのブドウ畑であるはずなのに、空は荒天であるかのようで、
またぶどうもうなだれて、生気が感じられません。
日傘をさしている女性がいますが、私には、雨傘をさしているように感じられました。
とても不安を感じさせられる絵でした。
1888年 12月、ゴッホは精神のバランスを崩し、自分の耳を削いで、入院してしまいました。
サン=レミの療養院の庭 1889 5月
転院した先の療養院の庭で描いたものです。
この絵には、ひどく心を動かされるものがありました。
描かれている木の花は、生命力があふれ出る太陽であるとともに、ゴッホの生きものに対する慈しみの心があらわれているように感じました。
この絵を前に、その圧倒的なエネルギーの放射に、何度もため息をついてしまいました。
過ごすきました。圧倒的過ぎました。
私は、帰りがけにこのポストカードを買おうと思ったのですが、
絵が平べったくなってしまい、まったく原画と異なっていたためにやめました。
しかし一点、希望がありました。
それは、絵画展のショップで絵画を模写したものを売っている一画がありますが、
そこで、3Dプリンターを使って、原画の凹凸も含め、ほんものそっくりに複製したものがあったのです。
原寸大は30万円程、その下のちょうどよいサイズのものが10万円程でした。
その3Dプリンタによって複写された絵を見て、ゴッホの絵は、絵ではなく立体造形なんだ、、ということを強く感じました。
そこに光が反射して、陰影がつくことで、初めてゴッホが描こうとした境地を読み取ることが出来るのだと感じました。
私は、その場では、この3Dプリンタによる模写は買いませんでしたが、
展覧会の期間中にはネットで買えるそうなので、実はいまだにどうしようか悩んでいます。(笑)
それほど、すごい迫力、生命に対する痛ましいまでの優しさを感じ取れる作品でした。
私は、ゴッホは、彼の内なる生命が強すぎるあまりに、それをコントロールできずに亡くなったと感じました。
そのことが、彼の数々の作品の随所に描かれているような気がします。
夕暮れの松の木 1889 12月
私は、この作品を見て、あー、これはダメだ、、と感じました。
木がボキボキに折れてしまっています。
枝も、向こうの木は幹の先端までも、ボキボキに折れています。
太陽は優し気に照っているのですが、下を歩いている老婆がカサを傾けて差しているように、強い風が吹いているようです。
これは、心を相当やられてしまっているな、、回復は難しいな、、と感じる一枚でした。
草地の木の幹 1890 4月
私は、この作品を見て、生命力あふれる太い幹、その下に生き生きとして生えてきている草に、生命力の息吹、回復を感じました。
これならいけるんじゃない、と。
夜のプロヴァンスの田舎道 1890 5月
これは、有名な糸杉を描いた絵の一つですね。
時代を追って、この絵を見ると、
あー、ゴッホは向こうに行ってしまったんだ、
ということを強く感じさせる一枚でした。
道を隔てた向こうが、彼岸、あの世だと思います。
そしてその彼岸に、ゴッホ自身の象徴である糸杉が揺らめいています。
背後には月と太陽が煌々と照っていて現実ではあり得ない景色となっています。
ゴッホの心は完全にアチラに行ってしまったんだな、、と感じました。
花咲くマロニエの木 1890 5月
この絵は一見穏やかですが、私には、魂が抜けてしまったように感じられました。
1890年7月、ゴッホは銃によって自殺しています。銃の暴発による事故という説もあるそうです。
私は今回の展覧会を見て、ゴッホの絵から発するエネルギーに圧倒されっぱなしでした。
作品は、一度見終わったあとにもう一回まわり、2回見ました。
そして、心惹かれる作品の前で立ちすくみ、何度もため息をついていました。ため息をつかずにはいられなかったです。
ゴッホの絵を見たことによって、こちらの内側から湧いてくるエネルギーを開放するためだったように思います。
しかし凄かったです。迫力があります。見る価値満点でした。
いやー、絵っていいですね。
素晴らしいです。
エネルギーをたくさん頂きました。
また機会があったら、ゴッホを観に行きたいと思います。
オランダに行って、美術館を訪ねる、
また彼が描いた風景を観に行って見るというのもありだな、と感じました。
で、さて、10万の3D複製絵画、どうしようかなー、、(笑)
参考:
版画・複製画の専門店アルテノイエ:ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント
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