最近、動いてよし、止まってよしだなぁ~、、としみじみと感じることがあります。
なんのことかというと、私は普段、しょっちゅう自転車に乗っているのですが、
以前は、歩道の信号が点滅し出したり、信号が黄色になったりしたら、全速力で駆け抜けようとしていたのですが(笑)、
最近は、あ、点滅し出した、ラッキー♪
じゃ、止まってゆっくりするか~、、といった感じでいるのです。
なんで以前は信号で止められそうになった時に全速力で駆け抜けていたかというと、
目的地に向かっている時には価値があり、止まっている時は、それを阻害されているので、価値がないと、あまり意識せずに思っていたように思うのです。
でも、最近は、自転車を漕いでいる時もいいし、止まっている時もいいし、、と、どちらの状態にあっても、しみじみとした満足感を得たままでいるようになりました。
自転車を漕いでいる時も、美味しい空気を楽しんだり、さんさんと照っている太陽の心地よさを感じたり、道が平らであることに感謝したり(笑)、
雨が降っていても、なにもしなくても恵みの雨が降ってくれていることに感謝、といった感じです。
これは一体なんなんだろう、と思うのですが、たぶん、ゴールはここにある、ということなのだと思います。
目標に向かっている時、それを達成した時にだけ価値があるのではなく、その過程にも同じく価値があるということです。
それを日常生活の中で、実感しだしたということなのかなぁ~と思います。
掃除をしたり、洗いものをしたり、などという時も同じで、しみじみとした満足感を感じながらするようになりました。
私はゲーテの言葉を思い出します。
いつかゴールに達するという歩き方ではダメだ。
一歩、一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値を持たなければならない。。
私はこのことばを20代の頃から知っていましたし、そのつもりで生きてきたつもりでいましたが、
日常の実感としてやっと分かってきた、、という感じであります。
同時に思い出すのが、中村天風さんのいうクンバハカです。
天風さんによると、クンバハカというのは、水がめに水を満ち湛えた状態をいうようです。
私は、動いてよし、止まってよし、という感覚を感じている時には、これも一つのクンバハカの状態なのかもしない、、と思いました。
動いていても、止まっていても、心が満ち足りているから。。なんかそんな気がしました。
今、読んでいるある本に、
人生は、音楽を味わっているようなものなのだから、聞き終えることが目的ではなく、その一瞬一瞬を楽しむことが大事なんですよ、
というようなフレーズがあり、あー、まさにそれだなんだよよ、それそれと思いました。
目標をもって、それに向かって進むのは楽しいものです。と同時に、その過程である、今をしっかり味わうということも大事なのだと思います。疎かにしない、ということです。
そんなことを感じている時に、私はNHKの
「SWITCHインタビュー 達人達」
という番組で、書家の武田双雲と鰹節職人の瀬﨑祐介さんという方が対談している番組を見ました。
その中で、武田双雲さんが、丁寧道ということを仰っていました。
書は、すべての動作を丁寧に行うことをモットーとしているが、それを生活全般に広げて、歯磨きとか、髪を乾かすと、あらゆる動作を丁寧に行う。
そうすることで人生が豊かになる、というようなことを仰っていて、
あー、まさにコレだー、これこれ、と思いました。
そう、日常のあらゆる動作を疎かにせずに、感謝や心地よさを感じながら行うことで、すべて瞬間がゴールになるから、毎日、毎瞬が豊かになるんですよね。
ある設定したゴールだけに価値があり、そのゴール以外には価値がない、疎かにするという所から、
世の中の色々な問題、健康とか環境問題とかって生じていたりするのかもしれないなぁ~、、などと思ったりしました。
昔の偉いお方が言っていた、今を大切にする、ってこういうことはこういうことなのかもしれないなぁ~、、
としみじみと感じるこの頃であります。。
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