2010年1月1日金曜日
自由意志を使う
明けまして、おめでとうございます。今年もどうぞ、宜しくお願いします。
今日は本来なら前回の続きの出雲紀行、日御崎のことを書くはずでしたが、
日御崎で撮った正月向きの写真の掲載だけに留めさせて頂き、
元旦という事もあって別の事を書こうと思います。
いよいよ年が明けて、今年は2010年です。
現在公開されている2012年という映画があるように、あと2年で一部で言われているような世界的な大変革がおこるのでしょうか。
しかし私は何年何月何日にコレコレのことが起こるという類の予言はあまりあてにならないと思ってます。
というのも自分たちがこの先、コレコレのことをやろうと漠然と予定していることでも、必ずしもその日付どおりに実現になる訳でなく、
イベント自体は予定していたより前後にずれることがあるし、またそのイベント自体実現しない事があります。
これを考えると、未来は未定であり、未来を決めているのは私たち自身の意志、意志の強さによることが良く分かります。
一般に流布する予言は当らなくなる傾向にありますが、それはこのままの流れで行くとこうなる確率がかなり高くなりますよという注意なのであって、
したがって“予言”として警告される事によって、多くの人が注意し、そうならないように気をつけるからそれが実現しないのではないかと私自身は解釈しています。
当ブログで何回かフラクタルの概念について触れましたが、自然はフラクタル構造、
すなわち、全体が一部の中にあり、一部のなかに全体があるという入れ子構造になっていることを見ると、
私たち自身もこの宇宙全体すなわち創造者と同等の力を有していると考えられます。
ではその創造者と同等の特質とは何かというと、そのひとつはおそらく自由意志だと思います。
私たちは自由意志によって未来を自由に描く能力を与えられているのだと思います。
キリスト教において、人間は神に似せて創られたとありますが、それは外見のことではなく 、
おそらく創造者と同じ“創造する力”を持っているということであり、それがすなわち人間は神の子であるということの真の意味なのではないかと思います。
未来は私たち自身が創っているのであって、したがって何月何日にこれこれが起こるという類の予言はあまり当てにならないという気がします。
英語で意志はWILLといいますが、これは未来を表す助動詞でもあります。つまり未来は意志によってつくられるのです。
さて皆さんは正月一日、何をされて過ごしましたか。
一年の計は元旦にあり
という言葉がありますが、これも考えてみると元日の過ごし方がその一年に反映されるとするフラクタル的な発想であります。
私は本日は、一生のうちにやっておきたいことリストを改めて作成し、今年一年、今月中にやっておきたいことも紙に書き出しておきました。
ホント不思議な事に、紙に書いてやりたいことを明確化し、それを頻繁に見ることでものごとが実現しやすくなるんですよね。
正月には書初めをやるという風習が古くからありますが、
本来はこれも夢や希望を紙に書いて見えるところに貼っておき、実現しやすくするという古来からの智慧だったのかもしれません。
恐怖をあおるニュースや予言などに惑わされる事なく、
神の分身(分神)として天から与えられている自由意志を十二分に発揮し、素晴らしい未来を思い描いていけたらなぁと、この正月元旦に思いました。
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