2011年3月23日水曜日
サービス過剰ニッポンとその代償
震災後、首都圏の電車が止まり、通勤などが出来ない事態が起こりましたが、
そんな中、歩いて8時間かけても会社に行くという人がいたそうです。
この話がどこまで本当の話しか分かりませんが、
電車が止まってどうしても出社できないという事態なら、2,3日は会社に行かない、という決断もありなのではないか、
と、駅で大行列をなすテレビのニュース映像を見て思っていました。
私はこのような異常なまでのサービス精神、生真面目さが
実は今回の地震の二次災害=放射能汚染の遠因なのではないかと考えてしまいました。
震災後、日本人が略奪などに走らず、人々が行列をなし、整然と忍耐をもて待つ姿が世界に賞賛されていました。
それはそれで確かに素晴らしいことだし、日本人の美徳といえると思います。
階段で座って待つにしても、通る人のことを考えて脇に座るだけで、拍手喝采されてしまうのです。
このような日本人の持つサービス精神は、たとえば分刻みの電車の運行、宅配便のきめ細かなサービス、店での丁寧な接客など、挙げだしたらキリがありませんが、
両極端は引き合う
の言葉通り、そのようなサービス精神が行き過ぎると、
逆に人に最悪のサービスを提供することなってしまう、ということがあり得るのではないか、という気がするのです。
これまた極端な話、インドなどを旅していると、急に、バン、と電気が落ち、町中が一瞬にして真っ暗になることがあります。
でも街の人たちは、
あー、また停電か~、
てな感じで、それぞれがもっている自家発電を回し始め、あちことでガタガタ、ブンブンと発電機のモーターが喧しくうなりをあげだす中、次第に街もまた明るさを取り戻します。
インドまで行かないにしても、これぐらいの適当さ、いい加減さ、大らかさを日本人ももう少しもっていいのではないかと思うのです。
いーかげん、テキトー、ではなく、良い加減、適当です。
要は適度に力を抜くバランス感覚だと思います。
客の要求に120%答えるために、、、
ということをひたすら脅迫的なまでに考え出すと、電気なら原子力発電所を全国に何十基建設して、とかいうことになって行ってしまうと思うのです。
しかし果たしてこのような欲望の全肯定というのはどうなのでしょうか?
人間は、あり余るエネルギーがあると、あまりろくなことに使わないような気がします。
時間にしろ、お金にしろ、食べ物にしろ、たくさんあると、欲望を加速させて、自らを破滅させる方向にもっていってしまう傾向にあるように思います。
つまり、ある程度の制限があった方が人間は輝いているし、そのような制限があった方が実は面白いのです。
昔はよくシミュレーションゲームをやりましたが、お金などがないときの方が色々工夫のし甲斐があって面白いのですが、
ゲーム終盤になってお金などがあり余るようになってくると、あまり面白くなくなってきます。
おそらく現実世界も、ある程度の制限があった方が、色々と面白いのだと思います。
今回の震災によって、計画停電が行われ、電車の本数なども少なくなって、日常生活の根本からの見直しを迫られていますが、
これは震災がもたらした良い風潮だと思います。
電池をはじめとする防災グッズが売り切れ、自転車なども飛ぶように売れているそうです。
私はこういう事態を念頭において、人の密集するところには住まず、また通勤もしない、
そして職住近接、更には車は持たず移動は10キロ圏内なら自転車移動を日ごろから心掛けていました。
結果、震災後も何の不自由もありません。納豆が買えない状況というのは少しつらいかな~(笑)。
日本人のサービスの過剰さに加え、私が前々から思うのは、日本人の近視眼的な傾向です。
それを象徴しているのが箱庭です。
日本人は庭を作るのが得意で、中国人は都市を作るのが得意であるといわれますが、
日本人は、すぐなんでもコンパクトな方向に向かう病的なまでの傾向があるように思います。
箱庭や茶室、俳句などの伝統的なものだけでなく、
日本製品といえば、ウォークマンに代表されるような、最軽量、最薄、世界最小などを極限まで突き詰めていく傾向にあり、
ハンディーな製品から自動車やバイクなど、箱庭的なものは日本人の得意とするところです。
このようなコンパクト化の傾向、職人気質はいいとしても、
それによって、マクロの視点が抜け落ちてしまい、とんでもない失敗をしてしまうことがあるように思います。
私がそれに関していつも思い出すのが戦艦大和です。(宇宙戦艦ヤマトじゃないよ!)
真珠湾攻撃によって、空母の威力を見せつけられたアメリカは、
それまでの巨艦大砲主義から機動力を持つ空母へと戦力をシフトさせていきますが、
それを示した当の日本はその戦場の趨勢を理解せず、相変わらずの巨艦大砲主義で、戦艦大和、並びにその二番艦たる武蔵を完成させます。
戦艦大和は当時の世界最高の技術をつぎ込んだ最新鋭の戦艦でしたが、そもそも時代の流れはすでに戦艦の時代ではなかったのです。
大和は日本の技術の粋を集めて作られた芸術作品のような戦艦だったそうですが、結局戦場で活躍する場はすでになく、
最後は沖縄までの片道の油を積んでの特攻に使われ、敢え無く沈められてしまいました。
なんとももったいない話です。
戦艦大和を必死になって造る情熱はいいのですが、
そもそも戦艦がいまの戦況の中でどの程度必要とされているのか、
そこに注がれるエネルギー(お金、資源、人、時間など)がはたして理に適ったものなのかどうか、
そのようなマクロの視点の議論にも戦艦を建造するのと同じくらい、いやそれ以上の情熱をもって取り組まれるべきなのではないか、と思うのです。
原子力発電も、日本の技術は高いもの(らしい)ですが、そのようなチマチマとした設計どうのこうのよりも、
まずはもっとマクロな視点に立って、はたして原発が必要なのか、
原発を建設、維持、安全管理、そして廃棄するのにどれくらいのコスト(お金、資源、人材)を要するのか、
また原発に代わる施策はないのか、などを模索すべきだったのではないかと思うのです。
たとえば、イスラエルでは新築する家に地下シェルターをつけることが義務付けられているそうですが、
日本の新築の家に、太陽光発電を義務化するような思い切った政策がとられてもいいのではないかと思うのです。
今回の原子力事故によって、日本の、そして世界の原子力政策、エネルギー政策は大きく変わっていくことでしょう。
今後どのように事態が推移していくのか、見守っていきたいと思っています。
おしまい
参考:
その時歴史が動いた:
戦艦大和の悲劇
~大艦巨砲時代、時代に敗れる~
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_07.html#04
アマゾン:
NHK「その時歴史が動いた」 戦艦大和沈没~大鑑巨砲主義の悲劇~「日中・太平洋戦争編」 [DVD]
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3 件のコメント:
おーすとらりあもALSO適当ですね。
いやー、すべてその通り。おかしな国ですよ。
まあそんなこと言っても埒明かないんで、まあこれから変えましょう。2、3週後あたりファームリベンジしてきます、情報の準備も英語の準備も揃ったので、ヨーロピアンALSOネイテブに挑戦してきます。ネクストなレベルやってみます。
おー、グレイトですね。とうとう行くんですか!ワシもいきてぇ~。
どうぞ楽しんできてね~。
山火事には注意!
私も同感です。
日本はもっと適当で良いと思うし、駅との放送でも親切すぎるし、喧しい。自らが責任逃れのための放送とか。もっと個人が責任を他人任せにするのではなく自己責任をすべきでしょう。日本のサービスの過剰はありますが、あくまでマニュアル通りでそれを超える出来事があればどうするかを考えることができない。サービス過剰は創造力の低下にもつながるのではと思います。
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