彦兵衛の勉強法の第二回をお送りいたします。
~魚を網で取る~
私の中で受験勉強とは、
魚を網で捕えるイメージが一番しっくりきます。
まず第一段階として、最大限に網を広げるところから始めます。
知識を網羅するという言い方がありますが、
試験範囲にどんな知識があるのかをざっと概観する段階です。
使う参考書は薄めで、易しいものを使います。
試験範囲にどんな知識があるのかをざっと概観する段階です。
使う参考書は薄めで、易しいものを使います。
この時、網目は大きいし、網のひもも弱いですが、第一段階はこれでいいのです。
うろ覚えでいいので、振り返って、そんなことがどこかに書かれていたなぁ、ぐらいの状態です。
うろ覚えでいいので、振り返って、そんなことがどこかに書かれていたなぁ、ぐらいの状態です。
第二段階としては、
網の強度をましつつ、網目を少しずつ狭めていきます。
この段階ではより実践的な問題にふれつつ、
常に第一段階で使った参考書に戻り、基盤をより強固なものにしていきます。
網の強度をましつつ、網目を少しずつ狭めていきます。
この段階ではより実践的な問題にふれつつ、
常に第一段階で使った参考書に戻り、基盤をより強固なものにしていきます。
網目をまんべんなく出来るだけ小さく、また網の繊維を強固にしていきます。
この段階では過去問を制限時間内に解いたり、模試を受けてもいいでしょう。
今まで学んだ知識をさらに有機的に結び付けて理解し、
問われたときに知識を即座に芋づる式に取り出し、使える状態にします。
問われたときに知識を即座に芋づる式に取り出し、使える状態にします。
この網のイメージによって何が言いたいかというと、
まずは試験範囲内において“穴”を作らないということです。
せっかく大きな、頑丈な網をつくったとしても、どこかに穴があると、
合格という大魚はそこからスルスルっと逃げていってしまいます。
せっかく大きな、頑丈な網をつくったとしても、どこかに穴があると、
合格という大魚はそこからスルスルっと逃げていってしまいます。
もう少し踏み込んでいうと、穴をあけないなどというマイナスな発想ではなく、
すべての科目で得点するという気概が大切でしょう。
段階を追って勉強していくということです。
最初は全体をまんべんなく概観し、次第に網目を狭め、繊維を強化していく、というイメージです。
これは次にお話しましょう。
~勉強の3段ピラミッド構造~ 基礎をおろそかにしてはならない!
勉強の段階には、大よそ3段階あるように思います。
第一が、基礎を学ぶ段階です。
ここでは、薄めの参考書やワークブックを使って、
試験範囲全体にどのような知識があるのか、試験でどのようなことが問われるのかを確認します。
ここでは、薄めの参考書やワークブックを使って、
試験範囲全体にどのような知識があるのか、試験でどのようなことが問われるのかを確認します。
この段階では、語句の意味などは忘れてしまってもいいのです。
次に見たときに、あ、なんかそんなこと書いてあったな、、、ぐらいに覚えていればいいのです。
次に見たときに、あ、なんかそんなこと書いてあったな、、、ぐらいに覚えていればいいのです。
知識は“問題意識がないと頭に入ってこない”ので、
ざっと読むだけのものプラス問題形式のものがあるといいように思います。
ざっと読むだけのものプラス問題形式のものがあるといいように思います。
参考書などは色々なものがでているので、自分のフィーリングに会うものを選ぶこと、
一度選んだら、それを最後まで何回も見て使い切るようにしましょう。
一度選んだら、それを最後まで何回も見て使い切るようにしましょう。
第二段階は、
基礎ができたところで過去問などの実際の問題にあたる段階です。
しかしまだ時間を制限したりする必要はありません。
基礎ができたところで過去問などの実際の問題にあたる段階です。
しかしまだ時間を制限したりする必要はありません。
実際の試験ではどのような問題が出るのかを、じっくり時間をかけながら解いていきます。
その時に、解説を読みながら、基礎で使った教材に常に戻って確認することが肝要です。
その時に、解説を読みながら、基礎で使った教材に常に戻って確認することが肝要です。
で、基礎で使った教材に、足りない事項や、ここにこのことが書いてあるなどの情報をどんどん書き込んでいき、
自分にとっての完璧な教材を作っていきます。
自分にとっての完璧な教材を作っていきます。
このように基礎教材を受け皿として使い、そこを見れば今までやった問題をも解説として利用できるような状態にし、
今まで学んだ知識を完全に網羅できる状態に仕上げていきます。
今まで学んだ知識を完全に網羅できる状態に仕上げていきます。
第三段階、ピラミッドの先端に当たりますが、
これは実戦形式で問題を解く段階です。
これは実戦形式で問題を解く段階です。
ここでは、過去問を時間制限を設けて解いたり、模試や、予想問題集などを解いていきます。
解説を読んで、基礎教材に当たっていくのは第二段階と同様です。
ここで獲得、確認するのは、知識の他に、受験にあたっての戦略や細々としたテクニックの確認です。
ここで獲得、確認するのは、知識の他に、受験にあたっての戦略や細々としたテクニックの確認です。
以上が勉強の三段ピラミッド構造の説明です。
ここで強調しておきたいのは、
けっして
ということです。これはいくら強調してもしすぎることはないくらいです。
けっして
“基礎をおろそかにしてはならない”
ということです。これはいくら強調してもしすぎることはないくらいです。
家の基礎がいい加減だと、いくら上に柱を立てていってもグラついてしまうのと同じです。
極端な言い方をするなら、三段階にわたって、
より強固な基礎、地盤をつくっていくというイメージをもって丁度いいくらいだと私は考えています。
より強固な基礎、地盤をつくっていくというイメージをもって丁度いいくらいだと私は考えています。
~努力しない勉強法~
さてここからが本命です。
私の勉強法を一言でいうと“努力しない”という言葉に尽きます。
えっ、努力するのが勉強でしょ、、?
と思われるかもしれません。
でも私は敢えて言いたい、勉強に関して努力してはならない、と。
と思われるかもしれません。
でも私は敢えて言いたい、勉強に関して努力してはならない、と。
このことを少し説明してみましょう。
個が力、流れに逆らっている限り、膨大なエネルギーを要します。
しかし力や流れに乗って目的地に向かうととても楽チンです。これが大雑把な説明です。
もう少し具体的に説明してみましょう。
もう少し具体的に説明してみましょう。
何かの勉強のための問題を解くというとき、あー、かったりーなー、と心理的に抵抗を感ずるかもしれません。
この心理的な負荷はなんなのでしょうか。
新聞のクロスワードパズルや絵の7つの間違い探し問題(要はゲームの類)などをやるときは、
よっしゃ一丁やったろうか、と思うでしょうが、いわゆる勉強との違いはどこにあるのでしょうか?
よっしゃ一丁やったろうか、と思うでしょうが、いわゆる勉強との違いはどこにあるのでしょうか?
それは、ひとつはレベルの問題なのです。
人間が面白い、と感じるのは、易しすぎるものと、難しすぎるもののちょうど中間あたりで、
いま持っている知識で考えたら解けるかもしれないぞ!
という所にあるのです。
いま持っている知識で考えたら解けるかもしれないぞ!
という所にあるのです。
したがって、勉強するときに大事なことの一つは、
“自分のレベルにあった勉強、問題”を“飽きない程度にやる”ということなのです。
“自分のレベルにあった勉強、問題”を“飽きない程度にやる”ということなのです。
最初から難問(たとえば実際の試験問題など)をやっても全然面白くないし、難しすぎてやる気をなくしてしまうでしょう。
そういうものは、ある程度勉強の練度があがったあとのご馳走としてとっておくものです。
そういうものは、ある程度勉強の練度があがったあとのご馳走としてとっておくものです。
また逆に簡単なものを飽きるほど繰り返してやるのも間違いです。
私かつて中学生の家庭教師をやっていたのですが、その生徒は、学校から課題として数学の問題集をある分量やるようにいわれていました。
私かつて中学生の家庭教師をやっていたのですが、その生徒は、学校から課題として数学の問題集をある分量やるようにいわれていました。
その範囲というのは、数値を変えただけでまったく同じ発想で解ける問題を延々としなくてはならないのです。
これはつまならいです。
私は見ていて、生徒に数学を嫌いにさせたいのか!?と内心突っ込んでしまいました。
私は見ていて、生徒に数学を嫌いにさせたいのか!?と内心突っ込んでしまいました。
したがって、自分にあったレベルの問題を適量するというのがひとつのポイントです。
もう一つ、勉強をやるのをつい後回しにしてしまったりする心理的負荷の要因は、
一度にたくさん勉強しようとしてしまうことです。
ついやるのが億劫になって先延ばしにする、結局やらない、というパターンに陥りがちです。
したがって、しなければならないこと=勉強に取り組むときは、
小刻みにやることが一つのコツです。
時間としては、10-15分が目標です。
小刻みにやることが一つのコツです。
時間としては、10-15分が目標です。
ラジオの語学番組は大よそ10-15分で構成されています。
テレビアニメも15分でCMが入りますよね(笑)。
私の感覚だと、10-15分というのが集中するのに適当な時間のように感じます。
私の感覚だと、10-15分というのが集中するのに適当な時間のように感じます。
したがって勉強に取り組むときは、10分だけ勉強をする、と自分に言い聞かせて始めるのです。
本当に10分で切り上げてもいいし、ノッテきたら延長しても構いません。
終わらせるタイミングは、もうこれぐらいでいいや、ちょっと疲れたわ、と感じたときです。
終わらせるタイミングは、もうこれぐらいでいいや、ちょっと疲れたわ、と感じたときです。
それで目標とする分量が終わらなかったら、頻度を増すことです。
すなわち、別の時間帯にまた10分程度の時間を設けてやるのです。自分と闘ってはいけません!
すなわち、別の時間帯にまた10分程度の時間を設けてやるのです。自分と闘ってはいけません!
この時、10分だけ勉強をする、という縛りを自分にかけるのがひとつのポイントです。
人間は制限をかけられると、なぜかそれを破ろうとする習性があるようなのです。
たとえば聖書には、このリンゴを食べてはいけない、といわれたのに、リンゴを食べてしまう話が書かれています。
昔話でも、~をしてはいけませんよ、と禁止されますが、それを破ることで物語が展開していきます。
どうも昔から人は制限を与えられると、それを破りたくなるもののようなのです。
私はこの習性を“昔話禁止法”と勝手に命名して利用しています。
自分に10分しか勉強しちゃダメ!というと、10分じゃおさまらないんですよね、、実は。
自分に10分しか勉強しちゃダメ!というと、10分じゃおさまらないんですよね、、実は。
要は、人間はマシーンではないので、
1日に何ページ、1日何時間、などと勉強する予定を決めても、思うとおりに行かないのです。
1日に何ページ、1日何時間、などと勉強する予定を決めても、思うとおりに行かないのです。
しかし1日だいたいこれぐらいはやっておきたい、という分量もおのずとあるものです。
したがって勉強するときには、常に客観と主観の両方の視点をもって当たることが大切です。
特に後者の主観、自分がどう感じているか、勉強に対して抵抗感をもっているか、楽しんでいるか、をよくチェックし、
負荷を感じていたら、常にそれを改善する自分なりの方法をみつけることが大事です。
二宮尊徳は積小為大(せきしょういだい)ということをいっています。
毎日の小さなことの積み重ねが大きいことを為すことにつながるということです。
千里の道も一歩から、これは老子の言葉です。
小さいことを継続していくことが大事です。
小さいことを継続していくことが大事です。
継続していくためには、勉強に対する負荷をゼロにする、
出来る事なら気持ちをプラスに変換して、ゲームのように楽しんで取り組めれば、もうこちらのものです。
出来る事なら気持ちをプラスに変換して、ゲームのように楽しんで取り組めれば、もうこちらのものです。
勉強は机に向かってしなければならない、、などと自分に決めてはなりません。
私のお気に入りの勉強場所は、風呂です(笑)。
私は風呂につかりながら本を読んだり、勉強したりするのが好きです。
他には、ファーストフード店や電車の中などもかなり勉強がはかどります。
他には、ファーストフード店や電車の中などもかなり勉強がはかどります。
要は、思い込みにとらわれることなく、自分が心地いいと感じるスタイルを見つける事です。
これもひとつの勉強を継続するためのポイントです。
これもひとつの勉強を継続するためのポイントです。
以上が努力をしない勉強法の説明です。
①自分にあったレベルの勉強をすること
②10-15分くらいの時間にとどめること
③自分が集中できる場所で勉強すること
以上に注意して、勉強に対する敷居を低くする事、できたら下り坂のようにできたら最高です。
下り坂になってしまえば、
勉強が、ちょっとした知的なゲーム、トランプの神経衰弱や記憶ゲームのようになって、どんどん進んでいきます。
勉強が、ちょっとした知的なゲーム、トランプの神経衰弱や記憶ゲームのようになって、どんどん進んでいきます。
要は自分と闘わないことです。睡眠時間を削って、眠気を感じながら勉強するなど愚の骨頂です。
睡眠は記憶の定着には欠かせないものなので、十分とりましょう。私は毎日30分昼寝をしてます(笑)。
さて、次回は最終回として記憶に関することなど、まだ述べていないことなどを思いつくままに書いていこうと思います。
では!
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