2017年4月3日月曜日

日本人の自然観~ニュージーランドと比較して考えたこと、、



少し前のニュースで、原発の再稼働

裁判所によって許可されたということをやっていました。

その時に、全国の原発を地図上に載せたものを見たのですが、

まぁ、よくも全国にこれだけの原発を作ったものだと思いました。。





原発出たゴミの処理の方法も確立していないのに、

どうしてこれだけの原発を平気で作れてしまうのか、はなはだ疑問に思います。

と言いつつ、これを書いている私自身にもその責任の一端は確実にあります。


私は、ニュージーランドに行って初めて知ったのですが、

ニュージーランドにも日本と同じような非核三原則のようなものがあり、

原発はそもそも作らない、と決めているそうです。

私はその潔さ、シンプルで合理的な思考法に感心してしまいました。

翻って、日本は被爆国なのに、

どうしてここまで原発を野放しに作れてしまえるのだろう、、

と考えてしまいました。


私はもしかすると、日本における神社の多さと関係しているのか、、などと考えました。

人はいいことをしていると思ってい時、ある程度悪いことをしても許される、という心理が働くようです。

日本人が神社で自然の神様を敬う一方、

じゃ、敬っているから、ある程度なら無茶してもいいだろう、、

というような心理がどこかで働いていないだろうか、、と思ったのです。


神社で神域として囲った土地は手付かずにするから、

その他の土地はある程度無茶をしても許されるだろう、、というような。


私は日本人は、領域を区切って、そこを美しくするのに長けているが、大きな視点で見るのが不得手だと常々考えてきました。

神社の神域として囲った地域はキレイにするけど、

その他の地域を時間的にも大きな視点でメンテナンスするというのは苦手なのではないか、

だから原発などもあまり疑問をもつことなく作れてしまうのではないか。

たとえば、人にしても、ニュージーランドに比べて人権の意識が低いという気がします。

サービス残業や過労死なんていうのは、人をあまり大事にしていない証拠ですよね。

人に関しても、ある一部の人を神様として区切って持ち上げることで、

あとの下々はあまり大切にされない、という心理が働いているのか、などと考えたりもしました。


原発再稼働のニュースでは、東芝の問題も取り上げられていました。

原子力で1兆円を超える膨大な赤字を出してしまった為、

虎の子の半導体事業を分社化して売るという話です。

これを見ても、小さい所に凝縮してチマチマとやることには長けているけど、

大きなところで大損してしまっている、という構図を見ることができます。


私は、太平洋戦争で、ゼロ戦やら戦艦大和やら当時の最先端の兵器を作りながら、

対局では大負けしている図とオーバーラップしてしまいました。


逆に、小さなところと同時に、大局も見れる日本人がトップに立つと、恐ろしいほどのシステムを構築できると思います。

それは、目立つところでは稲盛氏だったり、ソフトバンクの孫氏だったりするのかと思います。


ここで言いたかったことは、

人は好いことをしている時にバランスを取るようにある程度悪いことをしても許されるという心理が働くが、

それがもしかすると、神社をお参りしているから、ある程度のことは許されるだろうというような心理が日本人に働いているのではないか、、という点、

あとは、前からふれているように、

小さなところにエネルギーを注ぎ込み過ぎで、大きな視野を持つことが不得意なのではないか、という点です。

私は、この点を考える時、『菊と刀』の本を思い出しました。菊というのは小さいものを愛でるという美の象徴であるとともに、

神道的なものの象徴ととることもできます。

私たちは、自分たちのことを知り、もしそれが欠点であるなら、意識してバランスをとる必要があるのではないか、、

などとつらつら考えたのでありました。


おしまい


ニュージーランドの話は、写真の整理ができ次第、逐次更新していきます。







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