最近、ふと心に浮かぶ言葉が、
大したことじゃない
というものです。
なんでだろ?と考えてるんですが、恐らく自分も含めて多くの人は、色んなものを「大したこと」と思うことで、
それに執着し、縛られてしまっているからなのだろうと思います。
その執着を解き放てば、たぶん相当楽になれる、ということじゃないかと思います。
人間が「大したこと」と思っているのは、その人の生存にかかわることでしょう。
それは単に食べ物といった物質的なことだけではなく、精神的なこと、人からの評判とか名声だとか、自分のイメージとかそんなものも含まれるでしょう。
これらを失うことを人は相当恐れています。それは「大したこと」なのです。
しかし、それらは「大したこと」だと思うから大きなこと、執着、怖れへと繋がって行くのであって、
それを敢えて大したことじゃない、と言ってみることで、手放すと、結構気が楽になるような気がします。
かつて一休和尚が弟子にあてて、何かあったらこの箱をあけなさい、といって残したものがありました。
寺の存亡の危機に至り、弟子たちがその箱を開けてみると、なんと箱の中には、
心配するな
と書いた紙が入っていたとのこと(笑)。
私は、これは一休和尚が、生活のあらゆること、あらゆる場面を瞑想の糧としなさい、と書き残したものだと思います。
心で思うことで現実を大変なものにしているのは自分自身であることに気付きなさい、と言いたかったのだと思います。
すべては大したことじゃないと思ってみると、すべてが愛おしく感じてくるから不思議です。
人間の誰にとっても「大したこと」の最大のものは死ではないでしょうか。人は無意識で死ぬことを常に恐れています。
しかしこれも、たとえば臨死体験者の本とかを読むと、どうも人は死んでも意識は生き続けるようだということを知ると、
死んでも別にいいか、
と思えてきます。
別に積極的に自殺しよう、とかそういうことじゃなく、自分の最善を尽くして死ぬんだったら、それはそれでしょうがないか、という覚悟とでも言いましょうか。
そうすると結構楽になって来るような気がします。
何か大事なことが先に控えている時に、まあ、とって食われるわけじゃないし、死ぬわけじゃないし、といいますが、その最後の砦も取り払ってみるという訳です。
武士道とは死ぬことと見つけたり
という言葉がありますが、これはその最後の砦、人間が本能的に最も恐れている死というものを一度手放してみることだと思います。
そうすることで、逆に体が自由に動けて死なない、ということのように思います。思い切って相手の懐に飛び込んでいける、と想像します。
何か、自分が深刻に思うことがあったら、
まぁ、大したことない、大丈夫、大丈夫、
と口に出して言ってみるのは如何でしょうか。
そうやって明るく振る舞っていることで、事態も思わずいい方向に向かっていくかもしれません、そんな気がしています。
最近、よく心に浮かぶ、大したことじゃない、の話しでした。
おしまい
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