2010年5月10日月曜日

丹沢に行ってきました その2



一日目の鍋割山に予定よりだいぶ遅れて到着。

鍋割山(1272m)相模湾と富士山を同時に見渡すことが出来る最高のロケーションなのですが、ガスがかかっていいてどちらもぼんやりとしか見えませんでした。

しかしここでの昼食、早起きしてニギニギしていった玄米おにぎりは最高でした。

玄米はおにぎりにして冷めてもおいしいのですが、今私が使っている

ミルキープリンセス

という品種は、特に冷めてもおいしいのが特徴で、気にいってます。

私は有機の玄米を30KGまとめてネットで買うので、スーパーなどで買うより相当安いです。

ちなみに私がよく利用させて頂いているお米屋さんはこちらです↓

お米の専門店 相馬屋さん
http://www.soumaya.biz/


さて、鍋割山で昼を食べた後、好天の中少しパワーナップ(power nap:お昼寝)をしたかったのですが、

予定よりだいぶ遅れていたので、すぐに次の山を目指す事にしました。


次の山、塔ノ岳(1490m)へ行く途中に、こんな人が前を歩いていました。





水を入れたポリタンクを背負って、ゆっくり、ゆっくり、一段、一段、山道を踏みしめて上がっていってます。

この足の筋肉のスゴイこと。私はサイヤ人を思い出しました。

話しを聞くと、かついでいる水は総量40リットル(=40kg)で、塔ノ岳の山小屋まで運んでいるのだそうです。

しかし彼曰く、

鍋割山荘の草野さんはもっとすごいよ、あの人には勝てない、

とおっしゃっていました。

確か私はその草野さんが荷物を運ぶシーンをテレビで見たことがあります。

背中に有りえないぐらいの山のように荷物を積んで登っていました。あれはどの位の重さがあったのでしょうか。

HPを見ると、100kgを越える荷物を運んでおられるようです↓

http://nabewari.net/about/kusano/bokka




先日、テレビ東京でやっている

『日高義樹のワシントン・リポート』


というのを見ていたら、

アメリカの海兵隊は、常時80kgの荷物をかついで、20時間歩き続けることができる体力を維持していなければならないそうです。

私なんかが背負っているのはせいぜい10kg足らずなので、こんな荷物でふーふー言っているようでは修行が足りないというところでしょうか。

まあ、山道と平坦の道は違いますがね。

それでも私は山登りに備えて、週に2回ほど、2kgぐらいのデーバッグを背負って、5kmのジョギングをしていました。


ちょっと余談になるのですが、このジョギングの中で発見したことがあります。

それはジョギングのフォームについてです。

走るというと、モモを上げて、ひじを90度くらいに曲げるのがふつうだと思っていたのですが、私は走っているうちに、

あまり足を上げず、ひじも曲げず脱力した感じのスタイルで走ると楽だということに気づきました。(ちょっと欽ちゃん走りに似ている)

しかもこのスタイルにして、なんと疲労感は同じなのにタイムが数分も早くなったのです。これにはぴっくりでした。

考えてみると、ひじを常時曲げて維持しておくというのは、それだけで筋肉を使っている訳なので当然疲労はたまっていきます


走るときは、このスタイル(でなければならない)という刷り込みというか、思い込みがあった訳ですが、

意外と日常の所作も、あまり理にかなっていない、単なる思い込みで続けている事ってあるのかなと思うのです。


たとえば、人間が泳ぐと言うと、クロールやバタフライなどを思い浮かべますが、

水中で早く泳ぐ魚(カツオやマグロ)、イルカなどを見ると、一見泳いでいないようで時速50kgとかの驚異的なスピードで泳いでいます

人間がドタバタと速く泳いでいるように見えるのも、彼らから見たら溺れているようにしか見えないのではないかという気がするのです。



さて、話を戻して下が塔ノ岳からの景色と山頂にいたシカさん





丹沢山(1567m)からの翌日の景色↓




丹沢山から次の山を目指して↓





途中、コース正面に富士さんがうっすら見えました。





コース途中にあった、風格のある立木と旅人↓




そして、、、




丹沢山系の最高峰、蛭ヶ岳(1672m)に到着↓



右上にうっすらと富士山が見えています。。。





2010年5月9日日曜日

丹沢に行ってきました



連休中に、丹沢に登ってきました。

丹沢は高校の頃以来、何度か訪れてはいましたが、泊まりがけで行くのは今回が初めてでした。


今回のプランは一日目

小田急渋沢→バス→ 大倉 → 鍋割山 → 塔ノ岳 → 丹沢山(みやま山荘泊)

二日目

丹沢山 → 蛭ヶ岳 → 檜洞丸 → 石棚山 → 箒沢(千年杉 → ♨ 中川温泉

というルートを考えていました。


周辺地図






鍋割山途中にある、登山訓練所付近の写真↑


山道は新緑が美しく、登りつつ気分も開放的になる感じだったのですが、

鍋割山に到る途中の尾根で、ふと向こうをみるとヘリが飛んでいました。




ヘリだー、と思ってふざけて、

たすけてぇ~

などと言っていると、、、





ヘリがドンドン近づいてくるではないか!





あれよ、あれよという間に接近してきて、あたりはいきなり嵐の様な強風にさらされました。




そしてホバリングするヘリから、ウルトラ警備隊みたいなオレンジの制服を着た人がつるつるっと降りてきたのであります。






みんな伏せているのは、このオレンジの服を着た人を宇宙からの来訪者、あるいは神の使いと間違えて平伏している訳ではなく、

ホバリングするヘリからの強風に飛ばされないようにするためです。

立っていたらホント飛ばされてしまうぐらいの風圧です。

ここは尾根なので、飛ばされればまず命はないでしょう。

またホバリングしているヘリもいつ落ちるかわかったものではなく、とても危険です




ヘリが去ったらとりあえず移動せねば、と思いつつも、

どうした、どうした?

という野次馬精神が頭をもたげてきました。





どうやら高齢の登山者が足をくじいたか、骨折したらしく、救助のヘリを呼んでいたようなのです。

このあとおそらく吊りあげられて、病院に向かったのでしょう。

またヘリが戻ってきましたが、危なすぎたのでその場を離れていて結末まで見ることはできませんでした。


しかし私がこの山の中で、ホバリングするヘリの威力を目の当たりにしたときに感じたのは、

文明の利器を維持するのに要している膨大なエネルギー

でした。


人がふもとから何時間もかけてやってくる山の尾根に、

人が何人も乗り込んだ鉄の塊が数十分ほどで飛んでこれてしまうのです。

そして人が飛ばされてしまいそうなほどのその圧倒的なヘリの風圧を感じた時、

そこに私達が生活している文明の一端を見た気がしたのです。


私達はふだん都市で便利な機器に囲まれて、安心、安全、安楽に過ごしているわけですが、

この山の中でホバリングヘリが象徴しているように、

そのような都市生活は

圧倒的なエネルギーの消費

によってはじめて成り立っているのだなぁと、轟音と砂埃舞う嵐の様ななかで感じたのです。


まわりの木々は、太陽のエネルギーを受け、雨水と土からの養分で静かに成長していき、その他の生物は、その育った植物を中心に有るものを食べて生きているわけですが、

そんな静寂とバランスの世界の中に、人間の作ったヘリがドタバタと活動している姿に、ある種の違和感を感じました。


この世のものはすべて自然の法則のなかにあります。

この法則を、大きな流れと言ってもいいと思うのですが、

多くの生物はその大きな流れとともに生きているので、ほぼ自動で生きていけます。

昔は人間もこの大きな流れとともにあって、それを利用して生きていたのでしょう。

狩猟採集の生活なんかはまさにそれで、人類はこの時点では多くの余暇があったようです。


しかし農耕を覚え、次第に能動的に自然を開拓していくことによって、

便利さ、快適さと引き換えに、今度はその開拓していったもののメンテナンスの方に次第にエネルギーを費やすようになっていったように思うのです。

そしてまさにヘリが新緑の木々の上空で圧倒的なエネルギーを費やしてはじめてホバリングできているように、

膨大なエネルギーを消費してはじめて人間の都市生活も成り立っているように感じたのです。


こんな不自然に大量のエネルギーを消費しつつ、

人間はこの地上でどこまで生き延びていけるのだろうか、、、

と砂ぼこりまう強風の中で、静かにかんがえたのでありました。。。














2010年5月1日土曜日

外国に荷物を送る、、、



Youtubeでくつろげる音楽を探していたら、コレを見つけました。





小野リサさんが「徹子の部屋」で歌った時のものです。

構えることなく、よくこんなに自然に楽しそうに歌えるものだなぁ~、スゴイなぁと思いました。

ゆったりとしたメロディーと優しい歌声に、心が癒されます。


ちゃんと曲全部を収めたものもありますので、上のが終わったら、こちらを聞きながらでも本日のブログをお読みください。





さて、本日はこの前アメリカに荷物を送ったことに関してです。

色々規制などがありとても大変でしたが、同時に勉強にもなりました。

自分のリマインダーも兼ねてここに書いておこうと思います。


送ろうとしたのは、ビデオカメラと紅茶

まずは一番安い国際郵便で送ろうと思ったのですが、

国際郵便はリチウム電池が入っているものは一切送れないのです。

これは郵便のフリーダイヤルでも確認しましたので間違いありません。


どーしよーかなー、と思っていたところ、クロネコの国際宅急便ならラベルを表に貼ればリチウム電池入りのものでも送れるとの事。

さっそく紅茶とビデオカメラを入れて60サイズに収めて送ろうとクロネコの営業店にもっていったのですが、

送料3600の他に、12000円ほど手数料が掛かるといわれました。

えっ? なんですかそれ?

と固まってしまいました。

どうやら伝票に、関税などの諸経費が掛かった場合に、相手に払わせないためにこちらで前もって払っておくの欄にチェックをつけていたようなのです。

一度家に帰ってHPを見直して初めて気づきました。

製品が6万ぐらいだったので、その20%と自動的に算出されたようでした。


またクロネコのフリーダイヤルで問い合わせてみたところ、現在アメリカはバイオテロ対策として食料品に対して厳しく、

個人から法人へは送れないとの事。

アメリカは配達したときに不在であると荷物を玄関のまえにボーンと置いたまま、下手したら雨ざらしになるとのことなので、

今回ビデオカメラは、相手の会社宛てに送ることにしていたのです。

営業所では、食料品を個人から法人に送れないとは注意されなかったので、

そのまま送っていたら向こうの税関で止められていただろうと、フリーダイヤルで言われました。

アブナイ、アブナイ。

ということで、再び梱包し直して、ビデオカメラだけにして、

表にリチウム電池用のラベルを貼り、インボイスを3枚書いて、関税が掛かった場合は相手が払うにチェックをつけて、送料のみ3600円で送りました。

結局向こうでは関税は掛からず、5日で着きました。


さてあとは紅茶ですが、これは国際郵便で送る事にしました。

国際郵便もいくつものオプションがあるのです。

EMS(国際スピード郵便)、
国際小包(航空便・SAL便・船便)
小形包装物(航空便・SAL便・船便)

この中で一番早く確実につくのが、EMSですが、当然値段は一番高いです。

で一番リーズナブルに思えたのは、

小形包装物のSAL便

です。

荷物が2kg以内なら、小型包装物(small packet)として一番安く送ることが出来ます。

SAL便というのは、基本的に航空便で送りますが、税関の手続きなどが船便扱いとなるというもので、早い割に、お値段がお手頃です。


紅茶は結局これで送る事にし(1500円)、用心のため書留(registered、+420円)にしました。


小型包装物は宛名書きを表面に自分で書かなければならず、その同じ面に書留の証明書CN22という内容物のリストを貼り付けます。

私は送料をヤフオクで買った一割引の切手で払おうと思ったのですが、

切手も同じ表面に貼らなければならないらしく、結局そのスペースがなかったので今回は切手で払う事は出来ませんでした。

国際郵便は重量制なので、次回は表面を広くした箱にして、切手を張るスペースも確保しようと思いました。


さて送って2週間ほど掛かるとの事でしたが、結局10日で向こうに着きました。これならEMSとも遜色がなく、それほど急ぐのでなければ、とても使い勝手がよいです。


と、ちょっとした荷物にも関わらず、国境をまたいで送るだけで色々とあり、大変でしたが、色々と学ぶこともありました。

ここでも大事な点は、

情報の大切さ

でした。


郵便もクロネコもフリーダイヤルを用意しているので、もって電話して情報を収集しておくのが極めて重要だと感じました。


さて余談ですが、国内の配送に関して、最近新たなサービスが開始されました。

はこBOON
https://www.takuhai.jp/hacoboon/init



これは、郵便やクロネコがサイズ制であるのに対して、重量性であるため軽くて大きいものはこれで送るとかなりお得です。

出す場所はファミリーマートで、ネットから誰でも利用可能です。


色々なサービスが出てくるので、よくチェックしておきたいものです。


おしまい。




参考:

国際郵便で送れない物
http://www.post.japanpost.jp/int/use/restriction/index.html

国際郵便のサービス一覧
http://www.post.japanpost.jp/int/service/compare.html

はこBOON
https://www.takuhai.jp/hacoboon/init








2010年4月30日金曜日

What a wonderful world.



最近パソコンの作業をやりながら、

裏でYoutubeの音楽をかけるのがちょっとしたマイブームなのですが、

ジャズなんかリラックスできていいなぁと思って探していたら、コレを見つけました。





ルイ・アームストロングさんの歌う、

What a wonderful world.


歌は勿論いいのですが、この歌っている本人の表情がなんとも楽しそうでいいのです。


私は彼の歌っている表情を見ていて、だいぶ前に読んだある本を思い出しました。



101歳、人生っていいもんだ。


これを読んだときに、こんな人生を送る人もあるんだなぁ~としみじみと感じ入りました。

愚直に働くこと、シンプルであること、正直であること、

彼は聖人でもなんでもありませんが、そのまっすぐさに、人として手本とすべきものを見せられた気がしました。


だいぶ前に紹介した、臨死体験者のダニオン・ブリンクリー氏によると、

ダニオン氏の一世代前(上にあげたお二人ぐらいの世代)の黒人には、霊格の高い魂が多く生まれ変わってきている、

というようなことが彼の本の中で述べられていました。

敢えてたいへんな境遇の中に生まれてくることを望む、チャレンジ精神に富む経験豊かな魂たちということなのでしょうか。

しかしルイ・アームストロング氏や上の著者ジョージ・ドーソン氏など、困難な境遇にあっても、ものごとを常にポジティヴにとらえ、笑いを忘れない姿を見ていると、

なるほど、そうなのかもしれないなぁと思ってしまうのです。


私はあまりルイ・アームストロング氏については知らなかったのですが、これをきっかけに、もうちょっと彼の映像をYoutubeで探し、彼についても調べてみようかと思います。

興味のある方は、是非上のジョージ・ドーソン氏の本も手に取ってみてください。

大概のことはどうにかなるもんだな、と思えてきます。

生きる勇気が湧いてくること間違いなしです!




参考:

〔ウィキペディア〕
ルイ・アームストロング

〔アマゾン〕
ジョージ・ドーソン著 リチャード・グローブマン著 忠平美幸訳
『101歳、人生っていいもんだ。』 飛鳥新社 2001


以下、アマゾンの紹介↓

Amazon.co.jp

1898年テキサス州生まれのジョージ・ドーソンは、家計を助けるため8歳で働きはじめた。祖母のころまでアメリカには奴隷制が残っていたから、黒人差別はまだ激しかった。

しかし彼には知恵があり、持ち前の思慮深さ、分別、勇気、そして何よりプライドで人生を切り抜けてきた。

98歳のときに高校の成人基礎教育講座で読み書きを習いはじめたが、それが新聞で紹介されて以来、全米で話題の人となったのである。

差別も苦労もあったが、彼は恵まれていた。家庭は愛情と信頼にあふれ、人々は助けあう時代だった。

親元を離れてひとり白人の農場で働いたが、父は絶対の信頼感をもって彼に人生を教えた。成人した日。

「おい、独り立ちする用意はできているのか?」
「ああ、父さん、できてると思う」
「よし」

それからの数年間、運試しのアメリカ縦断ひとり旅はスリル満点だ。

最初の妻を口説くシーンも彼らしい(彼は4回結婚した)。子どもたちは成績優秀だったが、高校のときに聞かされるまで、「父さんが字が読めないなんて知らなかった」という。

100歳を過ぎた今も、彼はユーモアと楽観主義を忘れない

「彼らは、わたしが読みかたを習う日をひたすら待って人生を送ったと思っている。ぜんぜんちがうんだよ。わたしは、自力でどうこうできないことについては考えなかったんだ」。

“People worry too much. Life is good, just the way it is.

(わしはみんなに心配するなと言っているんだ。人生っていいもんだよ、今のこのままで)” (家永光恵)


内容(「MARC」データベースより)

ジョージ・ドーソン101歳。持っているもの-何枚かのシャツとスーツ1着、帽子1個、そして、シンプルで幸せな人生。98歳で読み書きを習い始めた老人の人生哲学。感動のノンフィクション。


カバーの折り返し

わたしはこの100年間に、良いことも悪いことも全部見てきた
おまえさんの知りたいことは何でも教えてやれるよ。

1898年、米国テキサス州に生まれたジョージ・ドーソンは、8歳で一家を支えるために働きはじめました。そして、10歳のとき、少年が目にしたのは、信じられないような光景だった……。

98歳で読み書きを習いはじめ、そのシンプルな生きかたが新聞に紹介されると、全米中に大きな反響を呼び起こした老人の自伝。多くの人々に愛され、いまも元気に活躍しているジョージ・ドーソンの100年の物語


バックカバー

読み書きのできなかった老人が、人によってはゲットーと呼ぶ地域の、小さな四角い家に一人で生活している。

………………その老人はどうにか暮らしていたのだが、1996年、ある若者がドアをノックして、古い高校の成人基礎教育の講座に参加する人を募集しているのだと告げた。

「わしは10年間も一人暮らしをしてきた」
と老人は若者に言った。

釣りにも飽きたよ。そろそろ読みかたを習うか

『シアトル・タイムズ』1998年2月1日付けより


2010年4月26日月曜日

下関陶器の旅 ≪その12≫ ~防府、そして旅は終わる~



津和野を1440頃の電車で発ち、着いたのがココ↓




神社の前で子供が遊んでいるって、なんか健全でいいなぁー



といっても分からないですよね。

ここは山口県防府にある防府天満宮です。

津和野から新山口にでて、そこから東に行ったところに防府(ほうふ)があります。17時頃到着。


防府の位置


防府は"ぼうふ"と読むのかとずっと思っていたのですが、電車のアナウンスで、

次は~、こうふ、こうふ、

と聞こえたので甲府?と思ったのですが、防府(ほうふ)と言っていたようでした。濁らないで読むんですね。


さて防府天満宮は、防府駅を降りて、北に歩いて20分位のところにあります。

駅から商店街を抜けて歩いていったのですが、活気がなくシャッター商店街となっていました。


鳥居で一礼をして階段を上っていきました。









こちらが本殿。

でもなんだか私には "気が抜けている"という印象を受けました。

シャッター商店街を抜けてきたせいなのでしょうか、神社全体からパワーが伝わってこないという感じでした。時間帯のせいもあるのかな、なんででしょうか?





天満宮は菅原道真公をお祭りしている神社で、ここは、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と併せて、三大天満宮のひとつに数えられるそうです。

京都とここ防府は来たので、




あと残すは太宰府だけです。

次の18きっぷの旅は、太宰府天満宮へのお参りの旅となるのでしょうか?


境内から市内の眺め↓




日も落ちてきたので、早々に神社をあとにしました。




で、本日泊まる宿は取っていなかったので、例によって観光案内所に行きました(神社に行く前)。

しかしここの防府駅前の観光案内所、まず受付の人がなぜかいっさい目を合わせない。

そしてホテルに電話で問い合わせてもくれず、ただ、これぐらいの値段のホテルがありますよ、とリストを見せてくれただけでした。

歩いてどの位なのか、設備はどのような感じなのか、聞いてみたのですが、

ちょっとわかりませんねぇ~

という返事。

こりゃ、だめだ~

と思いました。

観光案内所がこれじゃ、まず観光も発展しないだろうし、なんかこの受付が防府全体をあらわしているような気がしてしまいました。

で結局、リストから自分で電話して決めたのがこちら↓




ブレてしまったので読めないと思いますが、「桑の山温泉旅館」と書いてあります。素泊まり3800円だったかな。

駅で電話をして、

名前に「温泉」が付いていますが、温泉出るんですか?

と尋ねたところ、

温泉ありますよ、

という返事だったのでここに決めました。

しかしここが遠い、遠い。。。

駅から歩いて25分もかかりました(おそらく2kmちょっと)。

写真の通り着いた頃はすでに真っ暗で、この旅館を見つけるのに、あたりを2往復ほどしてしまいました。


部屋はこんな感じ↓




といっても、よく分からないと思いますが、だだっ広い部屋(12畳くらい)にテレビと机がちょこっとある感じ。

宿の記帳をすると、前回泊まった人は、3カ月前の日付。。。

当然本日泊まっているのも私1人です。


肝心のお風呂はというと、、、

なんていう事もない、ただの銭湯でした。

雰囲気としては、基本的に街中によくある銭湯で、余ったスペースに宿泊用の部屋を増設したという感じなのです。

もうなんだか笑っちゃいました。

たまにこういう自分と合わない土地に行くと、すべてがハチャメチャになることがありますが、防府は私にとってそんな土地でした。



翌日は5時の始発に乗らなければならないので、4時過ぎに宿を出発。

無事に始発に乗れ、列車はひたすら東へと向かいます。




広島、姫路、京都、名古屋、静岡、と普通列車を乗り継いで来れた所までは良かったのですが、沼津の一つ先の三島で列車がストップ

どうやら強風のため、熱海-湯河原間で列車が不通になっているとのこと。

まいったなぁ~

と思ってとりあえず、次の列車が出るまで待つ事にしました。


駅のベンチに座って、何気なく列車の旅では必ず持ち歩いている列車の路線図(時刻表の前についているやつを破いて単体で使っている)を眺めたところ、

沼津までひと駅もどって、そこから御殿場線で山ぞいにいけば、不通となっている熱海-湯河原をかわして国府津までいけることに気づいたのです!

沼津、熱海、湯河原、国府津の位置関係


しかし時間がすでに22時ごろだったので列車があるかわかりません。なんせ御殿場線はローカルですから。

でも待っていてもらちが明かないので、沼津まで戻ってみることにしました。

すると、国府津行きの最終は10分前に出ているはずでしたが、東海道線が詰まっていたために、御殿場線も遅れていて、

奇跡的に最終の国府津行きがホームに停車しており、それに乗りこむことが出来ました。

でそれに乗って、国府津につき、目的地の藤沢に戻ってきたのがちょうど午前0時ちょっと前。


結局この日は電車に19時間乗っていた事になります。まさに18きっぷを使い切ったという感じでした。

結局東海道線はその日は強風のため回復する事はなかったようです。

あー、路線図もっててよかった。

と思いました。

駅で列車が発車するのを待っていた人たちがたくさんいましたが、あの人たちはあそこで一泊することになるのだろうな、と思いました。

なり、情報って大切だなぁ~

とつくづく実感しました。


前にこのブログで集団同調性バイアスについて取り上げましたが、


ひとは大勢の人が同じことをやっていると、つい安心してしまうものです。

しかしそれはある意味とても危険なことで、状況に応じて個々に考え、臨機応変に行動すべきだと私は常に考えてます。

旅の最後に、思わぬイベントが仕掛けられていましたが、なんとかそれもパスできたように思いました。



さて、この旅は、下関陶器の旅というテーマで、妹が買ってきた茶碗から始まったのですが、

広島、下関、長府、秋芳洞、萩、津和野、防府、、

と様々な土地を訪れることが出来、とても有益で楽しい旅となりました。

この旅のきっかけを作ってくれた茶碗、そしてこの茶碗を買ってきた妹には感謝であります。

また旅の途上でお世話になったたくさんの方々

(おそらくこのブログを読んで頂いて、うん、うん、と頷いているいる方もいるでしょう)、

すべての方にひたすら感謝です。

m(_ _)m


また18きっぷの季節になったら、何かテーマを決めて旅に出たいなぁ~と思っています。

下関陶器の旅、これにて


おしまい



参考:

防府天満宮
http://www.hofutenmangu.or.jp/













2010年4月24日土曜日

下関陶器の旅 ≪その11≫ ~西周、鴎外旧宅へ~



神社を出て、春の日差しの中、また川沿いを歩き始めました。





歩くことおよそ30分、目標としていたが見えてきました。




之を渡って川沿いに行くと、森鴎外の旧宅ですが、先に西周(にし あまね)の旧宅を見に行くためにそのまま直進しました。

すなわち、西周と森鴎外の旧宅は、この川を挟んで向かいにあるのです!!






はい、到着。ここが西周旧宅





西周(1829-1897)という名前はあまり聞いたことがないかもしれませんが、知る人ぞ知る幕末から明治初期にかけての人物で、

私達が現在当たり前に使っている、

哲学・科学・理性・技術

などの言葉は、彼が西洋から学問を導入・翻訳するにあたって作り出した言葉だそうです。

その他に

学術・主観・客観・本能・概念・観念・帰納・演繹・命題・肯定・否定・
理性・悟性・現象・知覚・感覚・総合・分解

などなどといった訳語も作ったそうです。

訳にあたって新たに言葉を創出するというのは、ニュアンスが変わってくるので当然功罪があろうと思いますが、

学問の基礎を作ったと言う点でその功績は評価されるべきでしょう。






こちらが、家の中↓












こういう木と畳のにおいのする部屋で正座して物事を考えるというのは、

現代のイスと机で思考するのと、どうちがってくるのだろうか、、、

などと考えてしまいました。





左の白い建物はで、ここに籠って勉学に励んだそうです。

蔵のすぐわきに小川(水路?)が流れていました↓




こちらが庭↓




せっかく生家を保存しているなら、この池も水をはって、鯉でも泳がせとけばいいのに、、、と思いました。

本来水がある所に水がないというのは、干からびていて、死んだ風景の様で痛々しい感じがします。





つい100年ほど前の日本人は、こういうところで生活していたんですね。。。


さて川を渡って、




つぎに訪れたのが、森鴎外旧宅









西周の旧宅に比べると、チョット豪華な感じです。

先ほど無料で見学出来ましたが、なぜかこちらは見るのに100円かかります↓




森鴎外は言わずと知れた文豪ですが、私は舞姫ぐらいしか読んだことないかな、、、。




こちらが、家の中↓



















夏なんて、寝ころんでウチワをパタパタやりながら涼んだら気持ちよさそうだなぁーと思いました。




こちらのお宅は家の構えは立派でしたが、庭は有りませんでした。

二つの家に共通していたのは、質素だったこと。そしてこの津和野という美しい自然に囲まれた中にあるということです。


かつてこのブログで、数学者の藤原正彦さんが説く"
天才の出現する条件 "というのを取り上げましたが、

まさにここ津和野はその自然の美しさから、天才が出現する条件を備えているような気がしました。


さて、また川沿いを歩き、




禅寺を見に行きました↓






茅葺(かやぶき)の本殿がどーんと中央に鎮座していて、なんだか日本昔話に出てきそうな「正しいお寺」という感じでちょっと笑えました。










こちらのお寺はが有名らしいのですが、私が訪れた時は拝観を中止していました。なんとも残念です。





仕方なく、建物を見ただけで寺を出ました。。。


この時点で、1時ごろ。

電車の出発まで1時間半ほどあったので、駅の近くにあった安野光雅美術館葛飾北斎美術館を駆け足で見学する事にしました。


まずは安野光雅美術館







彼も津和野の出身なんですね。

この建物は出来たてのピカピカでとてもきれいでした。

絵の陳列が、ちゃんと順路を矢印で誘導してくれているので、見る人が

どちら側から見ようか?

と迷わずに見れるのがよかったです。これは絵本作家ならではの発想だなと思いました。

と同時に、絵を見ながら、彼の代表作である『旅の絵本』の登場人物になっているうような気分になりました。


こちらが入館記念にくれたポストカード↓




館内にはプラネタリウムもあったのですが、時間がおしていたので、今回はパスしました。次回腰を落ち着けてじっくり見たいと思います。


で、次に向かったのが葛飾北斎美術館










葛飾北斎が津和野出身というわけではなく、彼の初期の作品が津和野から出てきたので、ここに美術館を建てたとの事。

それほど展示がたくさんある訳でもなく、けっこうあっという間に見れてしまいました。(およそ15分、、、)


津和野に着いてから6時間程、ずっと歩きまわって主な観光名所をだいたい見て回れました。

しかし歩きながら、これを一日で見てしまうのはもったいないなぁと思いました。最低一泊して、腰を落ち着けてじっくり見たいものです。

帰りがけに観光案内所によると、安い宿では素泊まり3千円台であったので、次回は必ず泊まりがけてきて、

今回見れなかった、禅寺の庭と、安野光雅美術館のプラネタリウムは是非みたいですね。

あと、通りに何軒か古い酒屋さんがあったのですが、そのうちの一つのもっとも古い酒屋さんがちょうど閉まっていて利き酒ができなかったのが残念でした。

次回は是非そこも訪れて、心ゆくまで利き酒してみたいと思いました。


さて、そんなこんなで、あわただしく津和野観光を終え、





また電車に乗って移動しました。




次はどこへいくのか??



つづく、、、





参考:

西周〔ウィキペディア〕


森鴎外〔ウィキペディア〕

津和野観光協会HP(宿情報・見どころなど)
http://www.tsuwano.ne.jp/kanko/

彦兵衛のブログ:出現、数学の天才!
http://mshiko.blogspot.com/2009/04/blog-post_09.html