2013年5月6日月曜日

中村天風の思想 ~自分とは何か、、? 壮大なかくれんぼ


前回紹介した以下の本より、 
 
 
 
 
 
もっとも印象に残った個所を紹介しておきましょう。
 
 
まずは紹介する前頁にあった、
 
神様にはお願い事はせず、感謝しかしないという個所から、、、
 
 
 
 
 
以下は、自分とは何なのか、についての
 
中村天風氏と、その師匠であるカリアッパ師との対話です。
 
とても興味深かったので、その対話の全文を載せておきます。
 
 
 



 
 
 
 












 
 
 
この対話の中で、多くの人は、
 
体=自分
 
と思いこんでいるが、それは間違いであり、また、
 
心=自分
 
というのも誤りである、と述べられています。
 
 
そして、私たちの本質とは
 
気=霊魂
 
であると語られています。
 
それはちょうど扇風機と電気の関係のように、
 
体や心は、この現象界で機能するための道具なのである、
 
というのが結論として語られています。
 
 
以下も同じことが述べられています。
 
 

 
 
心=自分
 
であると勘違いすると、精神至上主義に陥り、
 
やたら知性を増すことばかりに一所懸命になり、
 
その結果ますます迷いが苦しむ
 
というのは、とても印象に残りました。
 
 
 


 
 
 
さらに、この中では、
 
宇宙の本源は、真善美であり、本心、良心である、と語られています。
 
私たちの心の本源は良心であるということは、
 
良心に従って生きるというのは、
 
宇宙の本源=神
 
の御心に従って生きるということでもある訳ですよね。
 
 


 
 
 
以下、心を積極的にするとっておきの方法
 
というものが紹介されていました。
 
 



 
 
 
要は、自分をなるべく客観視する習慣をつけなさい、
 
ということのようです。
 
 
私は、本書を読み、
 
ナルホド、その通りだろうな、、
 
と思いました。
 
体も心も本当の私ではなく、
 
道具あるいは、通路のようなものである、
 
と私も思います。
 
と、同時に、中村天風氏が述べている、
 
私の本質は、
 
気=魂
 
というのも、もしかしたら危ういかも、、、
 
と思いました。
 
 
私は自分の本質というか、生命全体に思いを馳せるとき、
 
 
を思い浮かべます。
 
仮に樹についている
 
葉っぱ=体
 
と考えます。
 
葉っぱは枝から伸びていますから、
 
枝から葉っぱまで伸びている部分=心
 
とし、
 
枝=気(魂)
 
と考えます。
 
そして更にさかのぼって、
 
枝は幹へと繋がっています。
 
自分という存在をそこまで遡ってみると、
 
自分の本源というのが、他の人にとっての自分の本源ということになってきて、
 
自分というものはそもそもなかったのではないか、、、
 
ということになるように思うのです。
 
 
スピリチュアリズムでは類魂ということがいわれています。
 
私たちの魂は、同種の魂が集まって、
 
また一つの大きな魂を形成しているという考え方です。
 
 
天風氏は、私たちの生きている目的は、
 
宇宙の進化発展に沿って
 
魂を向上させていくことである
 
ということを述べています。
 
 
恐らくそれは間違っていないと思うのですが、
 
では果たして、最高に魂を向上させ、
 
魂の本源に到達したとき、どうなるのでしょうか。
 
そもそもなぜ、魂の本源=神様は、個という存在を生んだのでしょうか。
 
 
おそらくそれは、
 
暇だから、、、?
 
なのではないか、と私は考えています。
 
 
世の中、ゲーム産業が多いに流行っていますが、
 
どうして私たちはわざわざお金を出してまで、“問題”を買うのでしょうか?
 
それは、問題を解いていくこと自体が楽しいから、
 
レベルアップしていくことが楽しいからだと思います。
 
ここにすべての鍵があるように思います。
 
 
大いなる存在が、自らの分身として、
 
全体から切り離された“個”という意識を持つ存在をつくり、
 
その個が、自分とは一体なんなんだ?
 
幸せとはなんなんだ、、?
 
ということを、何度も何度も生まれ変わりを繰り返しながら、答えを探って行くのです。
 
で、結局、体も自分でないようだ、
 
心も自分でないようだ、
 
魂が自分なのか、、、
 
という結論にいたり、
 
最終的に大いなる存在と自分が一体であることに気づく、、、
 
という瞬間が訪れるのかもしれません。
 
 
そして一滴の滴が大海に溶け込むように、
 
個と思ってきた魂が大いなる魂の本源に溶け込んだあと、
 
その大いなる存在は、また個なる魂を分化させ、、、
 
と続いていくのではないか、という気がするのです。
 
 
そう考えると、この世は、
 
大いなる覚醒ゲーム
 
壮大なかくれんぼ
 
のようなものではないか、という気がするのです。
 
なんか笑ってしまいますが。
 
 
老荘思想では、
 
遊び
 
ということがひとつの重要テーマになっています。
 
人生の目的が魂の向上というのも、その通りだと思いますが、
 
それは丁度、川が大海に自然に流れ込むようにある意味必然のものであるとするなら、
 
そんなにムキになって、魂の向上などと叫ばなくとも、
 
結局、魂の行く末はループ状になって延々と繰り返すとするなら、
 
遊びくらいの気持ちでいていいのではないかなぁ、、
 
と私は思うのであります。
 
 
まぁ、なんか途方もなく壮大な話しになってしまいました。
 
すべての存在に価値があり、
 
あるがまま、すべてよし
 
という所に落ち着くのかな、などと考えています。
 
 
今回は中村天風氏の本に触発されて、
 
話しがあまりに壮大になり過ぎてしまいました。
 
 
次回はグウンディングをして、
 
もう少し地に足のついた話しにしたいと思います。
 
 
 
とりあえず、本日はこれでおしまい。
 
 
 
すべての存在にどうもありがとう、
 
すべての体験にどうもありがとう、、、
 
 
 
参考:
 
 
 
 
 
 
以下、おまけ。
 
如何に心が体に影響を与えるか、
 
心の持ち方がいかに大切かの例として、
 
糖尿病の患者とその心の持ち方のエピソードを挙げておきます。
 
笑いが糖尿病患者の血糖値を下げるのに効果がある、
 
というのが分かったのはつい最近ですが、
 
同じようなことを何十年も前から指摘しているのであるから、
 
中村天風氏はやはり偉大であります。
 
 




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