この前の土曜日に、近くの行政センターで
「懐かしのフォークソング」
というタイトルで、
ギター2本とバイオリンによるちょっとしたコンサートがありました。プロによる演奏です。
バイオリンとギターということで、自分たちがやっているバンドと近いものがあり、
どういう曲が演奏されるのか参考にしようと、無料ということもあり出かけてみました。
曲目は当日のプログラムで配られたのですが、歌う曲、歌う曲が、悲しい、寂しい、切ない、ものばかり、、
どうやら1970年代に青春時代を送っていた方々の為のコンサートのようで、
まわりもご年配の方々ばかりでしたが、それにしても暗い曲ばかり。。
歌われている曲の歌詞に使われている単語の統計をとったら面白いものが見えてくるだろうな、、聞きながら思ったのですが、
それほど悲しい、切ないものばかりです。
70年代のフォークソングといっても、そんな暗いものばかりではないはずです。
なんでこんな寂しい曲ばかりの選曲なんだろう、、
私は第二部の途中から、もうええわ、、と持参したコロボックルの本を読んでいました(笑)。
片耳で曲を聞きなつつ、演奏している人はあまり体調良くないだろうな、、と思っていました。
声に張りがないとか、音に元気がないとかいうのではありません。
それなりに元気よく歌ってますが、おそらく恒常的になんとなく体調が悪いだろうな、不定愁訴のようなものがあるんじゃないかな、、と思いました。
それは、これらの曲を選んだ当人の心が、そのようなさびしい気持ちにいつまでもとらわれ、留まっていると思われたからです。
無数にある歌の中で、チョイスされたのが、過去を振り返って、あのころは良かったけど、もうあのころには戻れない、はかないこの世を嘆いているものばかりです。
そんなことばかりに意識を向け、いつまでもとらわれていたら、心も体も落ち込んで行っちゃうだろうな、、と思ったのです。
太陽は毎日東から昇り、西に沈んでいきます。
その西に沈んでいく太陽ばかりを眺めて、あー寂しい、悲しい、つらい、、と嘆くこともできますが、
一方で、東から昇ってくる太陽に向かって、有り難いな、今日も楽しい一日が頑張るぞー、と元気を貰うこともできます。
要は、この世界のどこに焦点を当てるかで、その人が明るくもなれ、暗くもなれるのです。すべてその人の選択、こころの習慣です。
いま現在、与えられているものを思い浮かべ、有り難い、恵まれている、と感謝して生きていくこともできるし、
常に人と比較し、足りないものを思い浮かべながら、不平と不満の中で愚痴をこぼしながら生きていくこともできます。
すべてその人の心掛け、心の習慣次第です。幸福になるか、不幸になるのか、というのは、まさにここにあるんだろうと思います。本人が毎時選択しているのだと思います。
今回、ここまで見事に悲しみの境地に焦点を当て続けて生きている人がいるんだなぁ、、と妙に感心してしまいました。
また同時に、音楽が人に及ぼす力というものにも尋常ならざるものがあるように思いました。そんなわけで私は途中から音楽から意識をそらしたのです。。
少なくとも自分たちが演奏する曲は、時にしっとりしたものもありながらも、元気の出るような、楽しくなるようなものを心がけていきたいと思いました。
色々なことに気付かせてもらった今回のコンサートには感謝でありました。またこの手のコンサートなどがあったら積極的に聞きにいってみようと思います。
おしまい
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