講演の最後に、ビッグなお知らせがありました。
それは、12/29(金)夜9時から神戸(かんべ)氏がラジオ番組に出るそうなのですが、
それにあたって植松容疑者との面会を予定しているとのことでした。
ラジオ番組に出ること自体は公表しているが、植松容疑者と会うことに関しては秘密にしておいてほしいとのこと。
それはその面会が実現するかどうかわからないから。
彼と会うために手紙のやりとりをしているといいます。その返事の中に、
あなたは自分の息子をいつまで生かしておくつもりか?
という内容が書いてあり、その返信をまだしていないという。
その返答次第では面会は実現しないかもしれないということでしたが、
神戸氏が植松容疑者と会ってどのような対話がなされるのか、興味深い所であり、ぜひ録音して聞いてみたいと思っている。
今回、このような障害児をもつ家庭の内面を知る機会を得ることが出来てとても良かったと思います。
では最終的に大事なことは、なんなのかということを考えてみました。
結論としてそれは
‘知ること’ ‘知っていること’ ‘知識’
なのではないかという思いに至りました。
障害のことを知らない世間の人もそうだし、娘に対して「私も子育てでは苦労した、一時のことよ」と言ってしまう母もそうだし、
結局のところ諸々の悲劇は知らないことに根差しているように思います。
自閉症や障害に関して知っていること、それを抱える家族の死を考える程の悩みの現実があることを知っていること、
また私たちは常に意識の上で線引きを行っていることを知っていること、それに目を開いていること、その重要性を学んだような気がします。
まずは知ること。そして知っているならばまわりに啓蒙すること、これが大切なのかもしれない。知は力なりである。
今回、この講演に参加できたことはまことに幸運でした。
今後もこのような催しがあった場合は積極的に参加したいと思うし、また今後の神戸氏の動向に関しても注視していきたいと思う。
最後に講演の中で映像とともに紹介された障害を持つ息子への詩(相模原事件後にフェイスブックにアップし拡散して有名になった)が、
翌日にヤフーニュースにアップされるとのことでした。
調べてみると確かにアップされており、その詩も参考として付しておきます。
ぜひ読んでみてください。
・・・・・・・↓
◇神戸金史さんが相模原事件の3日後にフェイスブックに投稿した文章(全文)
「障害を持つ息子へ」
私は、思うのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。
私は、考えてしまうのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。
何度も夢を見ました。
「お父さん、朝だよ、起きてよ」
長男が私を揺り起こしに来るのです。
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」
夢の中で、私は妻に話しかけます。
そして目が覚めると、
いつもの通りの朝なのです。
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。
ああ。
またこんな夢を見てしまった。
ああ。
ごめんね。
幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。
想像すると、
私は朝食が喉を通らなくなります。
そんな朝を何度も過ごして、
突然気が付いたのです。
弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、
人をいじめる人にはならないだろう。
生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、
この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。
それから、私ははたと気付いたのです。
あなたが生まれたことで、
私たち夫婦は悩み考え、
それまでとは違う人生を生きてきた。
親である私たちでさえ、
あなたが生まれなかったら、
今の私たちではないのだね。
ああ、息子よ。
誰もが、健常で生きることはできない。
誰かが、障害を持って生きていかなければならない。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
私の周りにだって、
生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。
交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。
私は、運よく生きてきただけだった。
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。
息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。
老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。
誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。
息子よ。
あなたが指し示していたのは、
私自身のことだった。
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。
私は、運よく生きてきただけだった。
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。
息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。
老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。
誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。
息子よ。
あなたが指し示していたのは、
私自身のことだった。
息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。
あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。
父より
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。
あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。
父より
新聞記事:
障害を持つ息子へ(詩)
https://mainichi.jp/articles/20171205/k00/00e/040/237000c
参考:
障害を持つ息子へ(詩と歌) (YouTube で‘障害を持つ息子へ’で検索)
約10分×全5回
連続で見る場合↓
連続動画再生ビューア TBS (←表題で検索し、HP上でCTRL+Fで「自閉症」で検索する)
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