精神世界のことを勉強していると、その中核となるものは“愛”であるから、優しいということが目標となりますが、
この現実世界で肉体をもって生きていくには、優しさと同時に強さが必要だな、、ということを時に感じます。
かつてチベットという国がありましたが、1949年、中国軍に侵略、併合され、中国の一部とされ、民族浄化のようなことが行われています。
侵略ではありますが、中国の一部とされてしまったので、どんな残虐なことがされても内政干渉とされ他国は介入できません。
いまのロシアによるウクライナ侵攻と同じです。ウクライナはまだ頑張っていますが、同じ論理でロシアは自国の一部と主張しようとしています。
優しさを説くのは、人間として大事なことで、それは正しいことだと思いますが、
その正しさを実行するためには、同時に強くあらねばならないというのが、残念ながらこの地上の現実といえるでしょう。
これは個人にも言えて、優しい人というのがいますが、その人の優しさにつけ込んでくる人というのはどこに行っても一定数いるものです。
国もそうですが、個人も優しさと同時にが強くなくてはならないと思います。
斎藤一人さんは、こういった場合、次のような言葉を唱えるといいと勧めています。
なめられない、えばらない、なめられない、えばらない、、、
普段から、この言葉を繰り返し言うことを勧めています。
なめられない、という言葉を脳にインプットすることで、脳がなめられないような方法を引き寄せてきて、自然になめられなくなるといいます。
他にも、
“圧” や “強気”
という言葉やをくり返し言うことを勧めています。
この世が愛に満ち溢れた優しい人ばかりだといいのですが、動物的な人や人のマウントを取ろうとする幼い魂の人達もおり、
優しい人達というのは、そういう人たちにやられない方法をしっかりと身につける必要があると思います。
江戸時代の武士みたいに、普段から刀を差しているくらいのつもりで、
いつもは優しく、笑顔でいるけど、いざとなったら刀抜くよ、というくらいの気持ちを持っている必要があるように思います。
優しいひとは負けちゃだめだよ!
とときに感じることがあるので、斎藤一人さんの言葉を紹介しつつ、今回書いてみました。
優しさと強さについてでした。
おしまい
<(_ _)>
1 件のコメント:
本当に、そうだと思います。
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