昨日の二本の映画を観て思いだしたのは、前にいつかここで紹介するとかいた本、
隗より始めよ―体験的・ホンダの人間学 (PHP文庫 ニ 3-1)
の一節、"失敗を怖がらない"ことについてです↓
コレを読んで初めて知ったのですが、ホンダには失敗した事に対して表彰する制度があるのだそうです。
これは嫌味、嫌がらせでやるわけでなく、トライして、コレはダメだと検証した事に対する真の表彰なのだそうです。
私はこれを読んだ時、
やっぱ一流の会社は違うなぁ~
とつくづく思いました。
失敗は成功のもと
と言いますが、少なくとも何かにトライしないと物事は始まらないし、
成功・失敗に関わらず、何かカタチを出してこそ次のステップに繋がります。
そしてそれが仮に失敗だったとしても、失敗にこそ多くの学びがあります。
本文によると、創業者の本田さんは常に
一パーセントの成功は、九十九パーセントの失敗の上に成り立っているんだ
とおっしゃられていたそうです。
また本文には、
失敗を怖れながらやった仕事は、迫力が無い。
という言葉がありました。
本当に、そうだなぁ~と思います。
今回のアリエッティはまさに、可もなく、不可もなくの迫力のない映画でした。
しかし一点だけつけ加えるとすると、昨日アリエッティの感想を書いてから思ったのですが、
"借り暮らし"というストーリーをチョイスしたことは、ナカナカ含蓄があると思うのです。
映画では、人間の住んでいる家の床下に主人公の小人家族が住んでいます。
彼らは人間のもの、角砂糖やクッキー、など様々なものを"借りる"ことで生計を立てているのです。
しかし実は人間自身も借りる事によってはじめて生きている、生かされています。
無尽蔵に与えられている太陽の光、植物が作った酸素、大地などすべて借りものです。
自分の所有物と思っている"体"さえも、長い目で見ると、何億年という気の遠くなるような時間の中で形成された地球からの借り物です。
そういう自然から借りているという謙虚な視点を思い起こさせる点で、このアリエッティの映画は評価できるかな、と感じました。
さてもう一方の、インセプションの方ですが、
こちらはアリエッティの対極で、かなりの秀作で、観た後、色々考えさせられました。
まさに失敗を怖れずに、果敢に挑んだ映画で、映像にも、ストーリーにも迫力がありました。
大筋は、マトリックスを彷彿とさせるものでしたが、その主題は、
現実とは何か?
ということにあったと思います。
荘子の中に、「胡蝶の夢」という話しがあります。
荘子が夢の中で蝶になってひらひらと舞っていて、目が覚めたときに、蝶であった時が現実だったのか、こちらが夢なのか、と自らに問うている話しです。
この映画はまさに荘子の「胡蝶の夢」のハリウッド版です。
主人公をはじめとするチームが何段階にもわたって夢の深層に潜っていくのですが、この映画の中で一貫したテーマとなっているのが、
現実とは何か?
ということです。そしてこれは私達が常に現実だと思っている"この世"も、果たして本当に私達が思っているほど確固とした現実なのかという問いともかかわってきます。
多くの臨死体験者は、臨死におけるライフレヴュー(人生回顧)において、自分が今まで歩んできた人生は壮大な"夢"であったことに気づくといいます。
ブッダは、"目覚めた人" という意味ですが、では彼は何から目覚めたのでしょうか、また一般の人たちはどのような"夢"の中に眠りこけているのでしょうか。
いい映画と言うのは、このように私達の固定しがちな考えに揺さぶりを掛けるものだと思います。
たとえば、ふつうに日常生活を送っていれば、
日が昇って、日が落ちる
という表現をしますが、正しくは動いているのは太陽ではなく地球の方です。
同じように、私達はこちらの世界が確固とした真実の世界で、夢の様な世界は不確実で実体のない幻の様な世界と考えてますが、
もしかすると、この考えも逆なのかもしれません。
私は最近、"演じる"ということに興味があります。映画もまさに演じられたものであり、昔から人は演劇を行ってきました。
なぜ人は劇を演じるのでしょうか。
おそらくそれは、私達一人ひとりの人生もまた劇であり、演じているものだからだと思います。
多くの人は、与えられた役のなかに没入し、演じているという感覚は無いと思います。
ある時代、ある国家の、ある家庭に、ある性別をもってひとは生まれてきます。人はそれを"宿命"というでしょう。
これはある意味、与えられた役であり、その役を私達は演じていきます。
しかし劇と違うのは、役を演じると同時に私たちは監督であり、脚本家でもあり、自らの役を新たに描いていくこともできるのです。ある人はこれを"運命"と呼びます。
運命は、自ら切り開いていける側面があります。
わたしたが架空の劇に引きつけられるのは、おそらく私達の生きていることそのものを劇の中に見出すことが出来、何がしかの刺激、ヒントを得ることが出来るからだと思います。
話しがだいぶ飛んでしまいましたが、
そういった意味で、インセプションはナカナカ考えさせられる構成になっていて、揺さぶりをかけられました。
マトリックスの二番煎じという感や、荒削りな部分もありましたが、果敢に挑戦して作ったという勢いが伝わってきました。
映像もとても迫力があり、映画館で見る価値は十分にあります。
私の評価は、
ストーリー:4.5点
キャスト:4点 (我らが Ken Watanabe も出てますよ!)
映像:4.5点 (CG、VFXは見ものです)
でした。
ラストのラストにまた仕掛けがあり、
どうなっているんだ??
と考えさせるようになってますが、これは2作目を作るための布石ともとれますかね。
いずれにしても、映画らしい映画でした。
映画館まで足を運んでよかったとおもわせるものでした。
日常生活に退屈している人は、是非映画館でインセプションを観てみてください。(ただし前で見ると首と目がホント疲れますよ!)
おしまい
0 件のコメント:
コメントを投稿