経営の神様ピーター・ドラッカーの本を紹介した流れで、前から紹介すると書いてきた
隗より始めよ―体験的・ホンダの人間学 (PHP文庫 ニ 3-1)
の中で私の心に響いた個所をとりあげておきます。(半分は自分の備忘録として)
まずは人間の長所と短所について。
ドラッカーは、人の強みを引き出し、弱みを薄めるのが人が集団となることの意味であるということを述べています。
著者の西田氏はもう少し別の視点から人間の特徴を捉えています。
それは人間それぞれが持っている特質=クセは、ある場面では長所となるが、別の場面では短所となるので、
まずそのクセ自体を矯正しない。
そしてそのクセのもった人間を長所として活かすということを述べています。
これは確かにその通りで、たとえばタレントの世界で長所となる特質は、サラリーマンとしてやっていく上で短所となる可能性は十分あり、
これは様々な場面でいえそうです。
あまり短所(としてその場では感じられるもの)に焦点を合わせるのではなく、その人の出来ることに焦点を当てるのがいいのかもしれません。
これは何も他人のことだけでなく、自分自身にもあてはまることです。
あまり短所だと思いこんでクヨクヨするのではなく、それは場面が変われば長所となりうるものだし、
まずはいま自分の出来る事をする、それを活かすというのが楽しく生きるための秘訣かもしれません。
しかしこの文章の中に、
様々なクセをもつ人間がいた方が活気のある組織になるのは、森の中に様々な木や草があるのと同じである
というたとえを用いている点はさすがだと思いました。
実は、この本の最初の方に、様々な分野の人との出会いが紹介されていたのですが、
なんと当ブログでも何回かとりあげたことのある森林づくりのプロフェッショナル 宮脇昭 さんとの出逢いが載っていました。
生物の生態と企業の経営は同じだ
と感じられたそうです。
やはり一流の人同士はどこかで繋がってくるんですね。類は友を呼ぶというやつでしょうか。
私はNHKの知るを楽しむという番組で宮脇さんの講義を連続で見ましたが、
ホンモノだなこのヒト、
と感じさせる迫力がありました。
当然講義は毎回とても面白く、今でもまだその時のテキストをもっていて、たまに見直したりすることがあります。
こういうシブイ番組をNHK教育はたまにやってくれるから好きなんだよな~。
さて西田氏の著作に戻って、
彼は"遊び"の大切さを説いています。
遊びをするとその分仕事が疎かになるというのは、足し算引き算の考え方ですが、
実は遊びをよくする人は仕事もできる傾向があるのだそうで、結局は掛け算のようになっている、すなわち相乗効果ということのようです。
遊びについては、このブログでも何回かとりあげましたが、結局人間は機械ではないので、
ワクワクすること
をしていると、湧く湧くと心のエネルギーが湧いてきて、色々なことが出来てしまうもののようです。
心理カウンセラーの河合隼雄氏は遊びの効用というものをとても強調していました。
よく、勉強するために遊びや睡眠を削るというのがありますが、そういうやり方は人間を機械としてとらえた足し算引き算の考え方です。
彦兵衛の勉強法では、常に睡眠は十分とり、遊びたくなったら遊ぶという、自分と対立しない勉強法を提唱しているのですが、
いまだ多くの人は、目先の勉強時間などに気を取られて、遊ぶ事を怠け?、
自ら自分のエネルギーをうまく使えていないように思います。もったいないな話しだなぁ~と思います。
でも遊ぶためには、心の水脈を掘り当てて、
これをやっているときがサイコーに楽しい、夢中になれる
というものを探さなければなりません。結局は色々と興味を持った事をやってみるしかないのでしょう。
遊びというのはホントに大切なことだと思います。
さて遊びとも関連があるのですが、西田氏はスポーツについて論じていました。
集団での協調を重んじる日本においてはスポーツは格闘技などの個人技が発達し、
逆に個人を大切にする欧米では集団競技が盛んであると指摘していいる点、
ナルホド言われて見れば、その通りだなぁ~と思いました。
ある社会に欠けているものは、遊びなどの形で補償されるのでしょうか。これは面白い視点だと思いました。
西田氏の著作の中で心に響いたものの一つは、
時を待つ
ことについてでした。
ものごとを変えようと考えても、すぐに実行するのではなく3年ほど待って熟成させるのがいいそうです。
やはりそういう意味では、政治の世界でもすぐにコロコロ政党を変えてしまうのではなく、少なくとも4年の任期をガッチリと与えて、
その中である程度自由に彼らの理想とする政治をやらせてあげたいなぁと思うのです。
これは対外的な信用にもかかわる事ですし。
さて政治の世界には、高齢の方々がたくさんおられますが、西田氏は
老害を戒めよ
と説いています。
これはとても厳しい言葉ですが、やはり年を取ると、様々な能力が衰えてくるのは否めませんし、
また年上がいなくなるのでそれを注意出来る人も激減してきます。
もちろん高齢の方でも柔軟な思考が出来て、元気な方も大勢おられます。
これは、年に関係なく、自分の行為を常にチェックする必要性を説いているのものと私は受け止めました。
最後に、企業の成長についての個所です。
百年続いてきて、同じ規模だというのは退歩だと述べていますが、
はたしてそうなのだろうか?
と私は感じました。
前にもこのブログで取り上げた、かんてんパパの社長塚越氏は、
成長には適正速度というものがあり、あまり早すぎる成長というのは良くない
ということを述べていましたが、それでは規模が大きくならないで創業時のままというのは、退歩ということになるのでしょうか。
私はそこに何か違和感を感じます。それは成長、発展に対する幻想とでもいうのでしょうか、
人は発展の先に何かイイコトが待っているというある種の強迫観念のもとに生きているように感じるからです。
たえず何かをすること(doing)に価値があると考えているように思うのです。
しかしそれに対して、ネイティヴの人たちの考え方、また東洋哲学では、いま、ここにあること(being)を大切にし、瞑想や祈りを重んじ、未来よりかは今、今日一日を大事にします。
それでは結局はどちらがより大切なのでしょうか。。。
おそらく、この世で生きている限り、両方が大切するのがお得なのではないだろうかと私は思います。
何かの先にイイコトがあると、絶えずあくせく、あくせくしていて人生が終わっていくのも寂しいし、
未来に対して計画も立てずに、その日、その日だけ楽しく生きる、という生活は事実上不可能です。
ある程度未来に対して計画をたてつつ、進歩・発展の恩恵を被り便利な生活しつつも、今を大切にする意識を常にもっておく、ということなのかなぁ、と私は考えています。
私達の生活は100年前に比べたら、格段に便利な機器に取り囲まれて豊かになっている筈なのに、人はいつまでたっても忙しいままです。
これはなんでなのでしょう?
これは、今の世の中が、欲を際限なく肯定する社会になってしまっているからだと私は思います。
その欲というものには、知識欲も含まれます。
たとえば、今回のはやぶさの帰還には多くの人が感動を覚えた事でしょう。
技術が進めば、より探索できる自然界のフィールドは広がって行き、その領域を探るための支出が膨大になっていきます。
極微の世界では素粒子の世界へと進み、極大の世界としては広大な無辺の宇宙が広がっています。
別にそういうところを探索しないでいれば、何兆円もかかる加速器やロケット・宇宙ステーションへお金を振り向けずに済むので、
その分、税金が浮き、人の暮らしを豊かにする方向に使えるのかもしれません。
しかしその分ワクワク感もなくなるので、社会全体で生み出すエネルギーも減るかもしれませんが。。。
私は知識欲も含めた、欲の無制限な肯定には、常に疑問符をもっています。ある意味幻想に踊らされているような気がしないでもありません。
でも新しいことを知るって楽しいから、この傾向は止まらないでしょう。
あまり思い込みの中で突っ走るのではなく、たまには立ち止まってみて、バランスをとりながら適正速度で進んでいくのがいいのかな、、と感じています。
この西田氏の本、とても面白かったので、目次も載せておきます。
分野が違う人でも、必ずひとつは役に立つこと、心に引っかかる個所があると思います。
興味のあるかたは、是非と手に取ってみてください。
参考:
隗より始めよ―体験的・ホンダの人間学 (PHP文庫 ニ 3-1)
世界を変える100人の日本人10/30 (宮脇昭)
http://www.tv-tokyo.co.jp/100japan/backnumber/0910.html
宮脇昭氏の著作
彦兵衛のブログ:宮脇昭氏をとりあげたもの
ユニクロでお買いもの♪♪
http://mshiko.blogspot.com/2009/11/blog-post_21.html
近所の神社をぶらり訪ねて
http://mshiko.blogspot.com/2009/04/blog-post_20.html
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