2012年12月14日金曜日

究極の真言とは、、、(その弐)

 

最近、身の回り、特に職場を中心として、

スピリチュアルな事を個人的に興味をもって学んでいる方々(それもかなり深く)、
 
あるいは半ばプロフェッショナルな感じの方々(たとえば“見えちゃう”ひと(笑))などなど、
 
ばたばたばた、という感じで知り合いになることがあまりに多く、

え、こんな身近にいたの?

などと、かなりびっくりしているのですが、
 
そんな中の一人、職場のある方から、小林正観さんという方の本を紹介されました。
 

私は結構本、特に精神世界や自己啓発に関わる本は読んできたつもりでいたのですが、まったく聞いたことのない名前でした。
 
その方から本をお借りして読んだのですが、

平易な語り口でありながら、物凄い核心をつくようなことを述べられていて、そのあまりのレベルの高さに驚いてしまいました。
 
こんなすごいことを説いているひとがいたとは、、、。
 
私はいままで学んできたことの総復習をさせて頂けた気がして、ホント感謝でありました。
 
なんと、この本を紹介して下さった方は正観さんの本を10代の頃から読んでいるということで、まったく恐るべしであります(笑)。
 
 
その方からお借りした本からの抜粋はゆくゆく当ブログで紹介させて頂こうと思っているのですが、
 
本日は、小林正観さんの以下の本から、
 
私が究極の真言と感じる「ありがとう」に関する記述を載せておこうと思います。
 
 
 
 小林正観氏書籍、楽しく上手にお金とつきあう
 
 
 
 
 
 
正観さんは、この本の中で、掃除、感謝、笑いというものを強調されているのですが、
 
ありがとう」という言葉は、
 
心をこめていわなくても、繰り返し言っているだけで効果があると述べられています↓
 
 



 

 
 
 
 
おそらくそういう事はあると思うんですね。
 
というのも、ありがとう、は日本語であり、私たちが普段、感謝のシチュエーションで使うものだからです。
 
つまり、意味のわからないマントラ、呪文ではなく、
 
私たちのイメージ、心にダイレクトに働きかける言葉だからだと思うのです。
 
 
 
ありがとう、というのは、そもそも神様に対する称賛だったようです↓
 
  


 
 
つまり、「ありがとう」というのはまさに神様を称える真言ということになりますね。
 
いや~、素晴らしいです。
 
 
 
 
日本人なら、もう一つ、私がオオスメできる真言は、
 
アマテラスオホミカミ

ですね。これもいいです。
 
これは、伊勢白山道さんが薦めているものですが、


瞑想中、そして普段の生活の中でも、
 

アマテラスオホミカミ、アマテラスオホミカミ
 
 と心の中で唱えると、透明で清浄な光にアクセスできる気がして、とても気に入ってます。
 

 伊勢白山道さんは、手垢が付いていない、ということを述べていますが、

他のよく唱えられているような念仏や真言などを比較して唱えてみると、その意味を実感できます。

 
アマテラスオホミカミの言葉に対して、伊勢白山道さんは、面白い事を述べています。
 
日本人が外国の神様の名前(真言)を唱えるのは、和食レストランでスパゲティを注文するようなもので、

いずれは出てくるかもしれませんが、ちょっと筋違いのことをやっているということです。

面白い譬えですね。


アマテラスオホミカミ

も日本語ですから、日本人の心に響きますよね。

伊勢白山道さんは、アマラテスオホミカミとともに、

 
生かして頂いてありがとうございます

という言葉も薦めています。いい言葉であります。


 正観さんが「ありがとう」を数多く唱えることで効果があると述べていたり、

伊勢白山道さんの推奨するアマテラスオホミカミ生かして頂いてありがとうございますを普段から唱えるのがいいのは、

それは日本語で、私たち日本人の心にイメージを喚起する力をもっているからでしょう。

このような言葉に限らず、普段の生活の中で、プラスの言葉を心がけることはとても大事だと思うのです。


たとえば、靴が欲しい、と思った時に、どこか靴屋ないかな~、と思って普段生活している町を見直すと、

あ、こんな所に靴屋があったのか~

と気づくことは誰もが体験される事かと思います。

これと同じで、言葉、問いかけによって、心はそれに該当する情報をピックアップしてくるようなのです。

従って、プラスの言葉をつねに口癖のようにしていれば、

日常生活の中のプラスのこと、プラスの側面を心にピックアップしてくることになり、

逆にネガティヴな言葉を発していれば、日常生活の中のネガティヴなものばかりに目が行ってしまい、

毎日がとても味気ないものになってしまうのです。


つまり、世界がどうであるかは、こちらの心次第だということです。


心が開いているとき、世界は美しい

(ゲーテ)

ということになるんでしょうね。


私は、宗教的な事、スピリチュアル的な事って、意外とシンプルで単純なものだと思うんです。

キリストは、子供のようなものしか天国に入ることはできないと述べていますが、

ホントそうだと思います。
  
 
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、

「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。 

そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 
言われた。

「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 

自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 

わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 
 
(マタイ18-1~5)
 
 
この世では能力が高いものが評価されますが、あの世では違うんですね。

むしろ能力が高い人は、落とし穴に落ちやすいのです。

それが、キリストが金持ちが天国に入るのは難しいと述べている理由だと思うんです。

その人の持っている能力(才能、権力、お金などなど)をどのような動機で、どのように使ったか、

が評価されるのであって、

それを自分のエゴを満足させるためだけに使うと、あちらに行ったときに物凄い後悔に襲われるそうです。

だから影響力を持っている人の責任は、とてつもなく重いようです

例えば、ある宗教家が間違った教えを1000人の人に伝えたとしたら、

向こうに行ったときに、その1000人が正しい教えに目覚めるまでずっと見守っていなければならない、ということがあるようです。

たいへんなことです、、。


因果の法則は厳然と働いているようです。


人は自分の播いたものを刈り取ることになる。
(ガラテヤ信徒への手紙6-7)

ということであり、

先なる者が後になり、後なる者が先になる
(マタイ19-30)

ということが生じるのも、うなずける気がするんですね。


ちょっと、話しがそれましたが、

普段からプラスの言葉、想念を心がけること、

特に、ありがとう、は究極の真言らしいということです。


では最後に、伊勢白山道のまねをして、私がよく心中でとなえることばを記しておきましょう。


こうして生きているだけでありがたいことです、
 
生かして頂いてありがとうございます

 
 
すべての存在にどうもありがとう、
 
すべての体験にどうもありがとう

 

参考:

アマゾン:
「そ・わ・か」の法則
 
伊勢白山道さん
 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou


 

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