前に紹介したコチラの本↓
の中から、また印象に残った個所を載せておきます。
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だけど、魂が学びたがっているときは、ハタが何をいっても絶対にやめないんだよ。どんなに“いい話”教えても、聞いてくれないの。
“いいこと”教えてくたらやります、っていうなら、人間は経験する必要がない、っていうことになっちゃうんだよね。
でも、人間っていうのは、大概のことは経験しにきているんだよ。経験したいの。経験して、学びたいの。
~ 中略 ~
親は、こどもに失敗させたくないから、
「あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ」
っていうけど、子どもだって、れっきとした人格もってるんだよね。
だから、子どもに失敗も何も経験させないっていうことなると、子どもの魂が耐えられなくなって、ある人突然子どもが暴れたり、親子断絶とかっていうことになったり。
親は、そんなことから学ぶんだよね。で、子どものほうも、何も経験させない親がどれだけ嫌か、ってことを体で学んでる。親子で、必死になって学んでいるんだよ。
じゃあ、何のために学ぶんですかっていうと、魂を向上させるため。要するに、人に対して愛のある言葉を話せる人間になるためなんだよ。
たとえば、ヤキモチ焼きの亭主をもったことがない人は、そんな亭主をもった人のつらさがわかんない。
だから、そのことで悩み、苦痛で顔がゆがんじゃっている人に、
「いいじゃない、愛されてて」
とかって、いっちゃうことがあるんだよ。
自分では、励ましのつもりなんだよ。だけど、苦しんでいるその相手には、冷たく聞こえるんだよ。経験したことがない人には、それがわかんないの。
だから、人に愛のある言葉がいえる人間になるには、ひとかど修行をしないとダメなんだね。
ただ、オレは、そういう人のことをバカだとは思わないよ。
「よーく学んでいる人だな、チャレンジャーだな」
って、思うのね。どうしてって、そう思っちゃうから。そういう性格なんだね。
それで、そういう目で見るとね、世の中、あっちも、こっちも、チャレンジャーだらけなんだよね。もう、みんな必死になって学んでるの。
なかには、
「うわぁっ、ス、スゴイ、学び方してる人だな」
って、感心しちゃうようなひともいるしね。
もちろん、オレも、チャレンジャー。みっちゃん先生も、チャレンジャーなんだよ。
それで、世の中ってね、自分が何を学んでいるのかがわかると、人生って楽しくて、楽なんだよ。(p.141-144)
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魂は学びたがっている、体験をしにきている、という視点で世の中を観てみると、
一般的な価値観とはまた違ったものの見方が出来るかなと思います。
臨死体験の人の話しなんかを読んでも、なんかそんなことらしいですね。この世での体験こそが宝のようです。
死ぬ時に後悔しないように、やってみたいと思うことは色々チャレンジしていきたいと思います。
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