2019年11月4日月曜日

ツイテいる話 ~斎藤一人さんのお弟子さんの本から



最近、斎藤一人さんのお弟子さんの本を2冊読みました↓









両方とも字が大きく、とても読みやすく

分かり易く、一気に読んでしまったのですが、

その中で印象に残った心の習慣が二つありました。


ひとつは、会った人に

すべての良きことが雪崩の如く起きますように

と心の中で祈るということでした。

私たちは、目にする人に対して、

色々な想念を抱くものです。

かわいそうな人たちに対しては、そのように幸せを願う気持ちも自然と生じてくるかもしれません。

しかし、これがテレビに出てくる成功者や、逆に犯罪者に対してはどうでしょうか。

成功者に対しては妬みの気持ちが、

犯罪者に対しては怒りの気持ちが沸き起こってくるのではないでしょうか。

その人たちに対して、

幸せなことがたくさん起こりますように

と心の中で祈る習慣をもつというのは、単純なようで、

もの凄い力となるような気がします。


チベット仏教のもっとも基本的な日常の修行に

慈悲の瞑想というものがあります。

あらゆる生き物は、かつての自分の父や母であったかもしれないから、

そのように大事に扱うようにする。

というものです。

これは輪廻の考え方が基本にあり、

また自分の両親に対して感謝の気持ちを持っていることが前提となっていますが、

そのような感情を抱けない人たちにとっては、少し的外れな修行となってしまいます。

しかし、単純に、目にした人に対して

この人にたくさんの幸せなことが起こりますように、

と願うのは、やろうとすれば誰にでもできます。

これは心の転換を促すうえで、ものすごい力を発揮するような気がします。

これを日常続けていたら、

顔相も穏やか、にこやかなものに変わってくることでしょう。



また、もう一つの心の習慣は、

どんな時でもツイてる、

と言ってみるということでした。

誰でも、運がいいことがあったら、

ラッキー、ツイテル、ツイテル♪

と言えるでしょう。

しかし、これが例えば、犬の糞を踏んでしまったとか、

目の前で、乗る電車が行ってしまっただとか、

財布を落としてしまっただとか、

そんなときに、

ツイテル

なんて、普通は言えませんよね。

でも、そこで敢えて、

ツイテル、ツイテル

と言ってみるのだそうです(笑)。

例えば、犬の糞だったら、釘を踏み抜かなくてよかった、

だとか、電車だったら、走っていい運動になったや、だとか、

財布だったら、命まで落とさなく良かっただとか、、(笑)

このように、あらゆる起こったことに対して

ツイテル

と言ってみるということでした。

つまり、これはあらゆることに対して、

ポジティヴに見る習慣をつける、ということでしょう。

どうせ同じ日常生活を送るなら、楽しく生きていきたいものです。

そのための訓練、心の習慣なのだろうと思います。

生きていくって、幸せになるためのゲームなんだろうとさいきん思います。

いかに楽しく、生き生きと、幸せに人生を過ごすか、

というゲームなんだろうと思います。

そして、その幸せになるための選択は、日々自分の目の前にあって、

自分で選んでいけるのです。

なんと素晴らしいことではないでしょうか!


一人さん流にいうと、楽しい、というのは、

自分だけが楽しいのではなく、関わる相手も楽しくて、

世間的にもよく、また神様が○をくれるような

四方良し

の生き方です。


人に幸せなことがあるように、

と願ったり、また

あらゆることに対してツイテル

といって見たりするのは結局のところ、

自分の波長を天に近づける

ということだと思います。

神様というのは、わけ隔てなく、すべての人を無条件で愛していて、

みんなに幸せになってほしいと思っている存在のようです。

そして、神様は、常に微笑んでいて、陽気な存在でもあるようです。

かつて、天理に行ったときに商店街を歩いていたら、

陽気は幸せの種

という垂れ幕を目にしました。

つまり自分も陽気にしていることで、

神様の波長に近づける、ということだと思います。

これは単純そうでいて、瞑想に匹敵するか、それ以上の

神様に近づくための重要な修行であるような気がします。


少し話がそれまして、

前に紹介した私の敬愛するジョセフ・マーフィー博士

著作で、日本人の人が対談している本があって現在読み進めているところなのですが↓









なぜ、マーフィー博士の方法が効果的なのかを

理路整然と、明快に答えていてマーフィーファン必読の本なのですが、

その中の記述に、

人を妬む気持ちがいちばん良くない

というのがありました。

潜在意識というのは、我と彼の区別をしないので、

人に対してネガティヴな想念を抱くと、

それが自分に起こってくるのだ、

と述べていました。

なので、社会的な成功者を目にしたら、

その人がさらに豊かになるように祈ってあげる習慣をもつことが極めて重要である、

ということを言っていました。

人を呪はば穴二つ

といいますが、本当に大事なポイントであるように思いました。


私は、毎日少なくとも、一日の中で会う10人の人に、

幸せなことがたくさん起こりますように、

と心の中で祈るようにしています。

またどんなことが起こったとしても、

ツイテル、ツイテル、有り難い、

と言ってみることにしています。

これのどこがついているのかわからない、

といったことに対しては、

想像も出来ないほどツイテいる!

というのだそうです(笑)。

笑えますね。


誰かの言葉で、

人が幸せになるのは義務である

というのがありました。

私は、それぞれの人は幸せになる権利はもっているけど、

義務とまでは言えないんじゃない、、

と思っていました。

でも、おそらく、天の視点からしたら、

私たちはそれぞれ、幸せになる義務があるのだ、

という気がしています。

つまり天は、私たちが幸せになるように常に見守ってくれている

ということでもあるように思います。

その期待に、ぜひ応えたいものです。


生きているだけで、

ツイテル、ツイテル!


有り難うございます。

<(_ _)>






1 件のコメント:

なんじゃもんじゃ さんのコメント...

この気持ちの持ち方が出来る時は、何か自分が、自由な気持ちで入られるようですね。