ホテルの朝食を早めに頂き、
ツアーバスの集合場所に8時に着かなければならないので、
スーツケースを引き引き、早足で15分ほど歩きました。
予定通りにバスに乗り、3泊4日のツアーに出発です!
まず目指すは、コリントス運河。
初めて聞く名前で、運河ねー、はいはい、
といった感じでいましたが、
如何せん、今回のギリシアの旅で
もっとも感動した場所の一つ
となりました。
アテネを出て、海辺をずーっと走っていきます。
ガイドさんによると、ここら辺は、あの歴史的な
サラミス海戦
が行われたところだそうです。
紀元前480年、ギリシア艦隊がペルシア艦隊を退けたという、世界史の教科書にも載っちゃっているあの海戦です。
そんな有名な海戦がこんな間近の海で行われていたなんて、、。
おー、すげぇーー、、。
しかし今はもう、ツワモノどもが夢の跡、、
雲間からさす神々しい光が、静かに海域を照らしているだけでした。。
さて、最初の目的地に到着、ここがコリントス運河です↓
あー、はいはい、橋を渡って、下にある運河を見るという訳ですね、、
ということで、橋を渡っていきました。
す、すると、地面をほぼ垂直に削りに削った遥か下に、青い運河が見えました。
ひょえー、、すげぇー、凄過ぎ、、
なんだこれゃ~!
であります。
あまりの高さに覗くのが怖く、足がムズムズしてきました。
これを掘ったんかい!
このむき出しの地層、この深さを人が地面を掘ったということですね、、。
解説によると、深さは80m、幅23m
紀元前7cに発案され、
ローマ皇帝ネロ(AD37-68)によって着工されたそうなのですが、
完成したのが1893年です。
ほぼ2000年かかってようやく完成したというシロモノだそうです。。
ペロポネソス半島って、下の地図の恐竜の足跡のような形をしているのですが、(アテネの左の方の半島)
陸と繋がっているのは、コリントスと書いてあるところの6kmほどのところです。(地図をクリック、拡大します)
ここに運河を掘れば、半島をぐるりと回らずに船で最短距離で通過できるという寸法です。
当該箇所をグーグルの地図の航空写真で見てみると↓
ちゃんとまっすぐ、清く正しく運河が走っていることが確認できます。(笑)
良かったら、ご自身で地図を拡大、縮小などして見てみて下さい。
さてさて、取り敢えず橋の最後まで行き渡り終えましたが、
また当然、元の場所に戻るために橋を渡っていきます。
ひゃー、すげぇー、、。
壮観、感動です!
これゃ、紀元前には掘れないでしょうね、、。
こうして、橋を何往復かして、
絶景と足のむずむず感を楽しんだのでありました。(笑)
ここは、夏の観光シーズンになると、
↑バンジーをして楽しむクレージーどもがいるようで、
下を覗きこむだけでも足がすくむのに、まったくイカレタ連中がいるものです。。(笑)
↑橋の全貌、
下の運河が見えません、、。
バスが停まった休憩所に行くと、
このコリントス運河を通る船の絵葉書が売られていました。
今でもこうしてちゃんと使われているんですね、、。
いやー、すごい、すごい、、。
世界的な運河というと、スエズとか、パナマ運河を思い出しますが、
このコリントス運河も、凄いじゃないですか、、
なんでこれを学校で教えないのか!
めちゃめちゃ感動するじゃないか、と思うのです。
ちなみに、 コリントスと聞いて何かを思い出す方もいらっしゃるかと思いますが、
そう、あのコリントス同盟はこの地で結ばれたのです!
紀元前337年、マケドニア王フィリッポス2世が
カイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍に勝利した後、スパルタを除いた、全ギリシアのポリスが加盟した同盟です。
やがて当のフィリッポス2世は暗殺され、アレクサンダー大王がその同盟を引き継ぎ、
ペルシア討伐のため、東方遠征に繰り出し、その結果、ギリシアの文化が東方に伝わり、ヘレニズム文化として花開くのであります。
ちなみに、そのアレクサンダー大王の家庭教師の一人が、アリストテレスでありました。
さてさて、脱線してしまいましたが、
コリントス運河を目にし、
しょっぱなから、カウンターパンチを喰らったような状態になり、
妙にハイテンションになって、またバスに乗り込みました。
↑これが、私たちのツアーバス。
メルセデス・ベンツ製、バスといいながらけっこう加速が凄いです。(笑)
今回のツアーのメンバーは全員で7名です。
メンバーについては、ゆくゆく紹介していきまょう。。
旅はつづく、、、
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