2024年3月24日日曜日

自分の機嫌は自分でとろう!

 

斎藤一人さんのお言葉に、


自分の機嫌は自分でとろう!


というのがあります。


私はまったくその通り、同感だと思うので、そのことについて少し書いてみたいと思います。


まず、一人さんは、いつも上機嫌でいることを説いています。


なので普段から、ツイテル、ツイテル!などの心が高揚するような言葉(天国言葉)を使おうと言っています。


この世の中には、類は友を呼ぶという法則があるようです。


上機嫌でいることで、いいことが起こるようになる、嬉しい、楽しい、幸せなことが引き寄せられるようになるということがあるようです。


これは、少し逆のことを考えてみると、ああそうかもしれない、、と思うのですが、


例えば、むしゃくしゃしてケンカしてぇ~、、と思っているとするじゃないですか、


そんな思いをもって、電車に乗ったり、繁華街を歩いていたすると、


やはり同じような気持ちを持った人と遭遇し、波長がバチっと合って、衝突が起こる、というシチュエーションがありえます。


これがまさに類は友を呼ぶということで、


要は、もし幸せになりたかったら、常に幸せでいたかったら、


上のシチュエーションの逆で、自分がいつも上機嫌でいましょう明るく、楽しい雰囲気でいましょうということになります。


単純に、笑顔でニコニコしている人と、ブスっとしてしかめっ面している人とがいた場合、どちらにより親切にしてあげたいと思うでしょうか。


やはりニコニコしている人に何かいいことをしてあげたいと思うのではないでしょうか。


ブスっとしている人には、もはや近づきたいとも思わないでしょう。。


では、それは分かったとして、ではいつも上機嫌でいるためにはどうしたらいいのか、、


日常生活を送っていれば、当然、ツイテいないと思うこと、嫌なことというものが起こるし、


先々のことを先取りして心配で心がいっぱいになってしまうこともあるはずです。。


そんな時にいいのが、もう一つの法則、


言葉が心を導く


という作用を利用するのです。


私は運がいい、ラッキー、ツイテル、ツイテル、

いいことがどんどん舞い込んできます♪

未来は明るい、前途洋々!


などなど自分の心が高揚するようなことばを普段から口ずさむことを習慣にしておくのです。


そういう言葉によって、ネガティヴになりがちな心の舵を自ら切って、明るい方向に、自分が上機嫌でいられるようにするということです。


一人さんは、天国言葉として、次のような言葉を挙げています。


ありがとう  感謝してます  愛してます  許します

嬉しい  楽しい  幸せ  ツイテル


このままでもいいし、自分に合った心に響く言葉、自分の心にヒットするポジティヴな言葉を見つけて、


それを常に自分に言い聞かせる習慣を持つことで、心を上機嫌にしておくことができるようです。


他にも、例えば、たいへんなことが起こった時には、


ああ、楽しいことになってきました、幸せだなぁ~


とか


このことがダイヤモンドにかわります


などの言葉も有用です。


私は神、あなたも神、みんな神です


というのもいいですし、歩いていてすれ違う人に


すべてのよきことが雪崩のごとく起きます


というのも良いようです。

これをやっていると人相がよくなるようです。


これは一見、他人に対する言葉では?と思うのですが、


心は主語を選ばないので、他人に掛ける思い、言葉というのは、そのまますなわち自分の心にも響くので良いようです。


これを逆に考えると、他人に対して発する負の思念、言葉というものも同様に作用するので、注意が必要なことが分かりますよね。


俗にいう、人を呪わば穴2つというやつですね。


まあ、そのような負のことはおいといて、他にも、一人さんが紹介している良い影響のある言葉は色々ありますが、


私は愛と光と忍耐です


というのもとてもいいです。


これは、私は、優しさと明るさと、そこに留まるようにすることを意味します。(我慢することではない!)


この言葉を言い続けて、涙があふれだした、という人がたくさんいるようです。(私も少しだけあったような、、)


私は、これに加えて、自分で最近いいなと思うのが、


私は太陽です、愛のかたまり、元気のかたまり、喜びのかたまりです。


ということばが気に入っています。


朝一で太陽に向かい、太陽の暖かさを感じ、感謝しながら、


私もまた太陽です、愛のかたまり、元気のかたまり、喜びのかたまりです、、


と唱えるととても気持ちいいです。


そもそも、天国というのは、愛と光の場所のようなので、類友の法則で言うと、


心を常に愛と光で満たしておくことで、心を天国に近づけておくことができるということになります。


睡眠の瞑想というのも、この方向に沿うものであり、入眠時のイメージ、心のありようがいかに大切かが分かります。


色々な宗教の修法も結局は、これを利用しているのではないかと思います。


ただ形骸化して本当の肝心の所、肝となっているところが忘れられているのではないかという気がします。


この世で、天国や神様に一番近い存在というのがおそらく太陽なので、


太陽を感じ、想像するというのは、一番手っ取り早く、理にかなっているように思います。


天照大神にしても、大日如来にしても、太陽のごとき光です。なので太陽を利用しない手はありません。


大日如来の真言に、光明真言というものがあります。

これは、伝統的には、


オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン


と意味を考えずにただ唱えるものとされていますが、実際のインドで唱えられていたサンスクリット語では、


オーム、アモーガ ヴァイローチャナ マハームドラ マニ パドマ ジュヴラ プラヴァリタヤ フーン


oṃ amogha vairocana mahāmudrā maṇi padma jvāla pravarttaya hūṃ


不空なる大日如来よ 大いなる印をなすものよ マニ宝珠(すべての願いをかなえる宝石)とパドマ(蓮の花:慈悲の象徴)とジュヴァラ(光)で転じなさい


となっています。私は、その意味に沿って、サンスクリットで真言を唱えています。


自分がこれを唱えるとき、外在する大日如来に対して唱える場合と、自分が大日如来であるとして唱える場合の2パターンがあり、それぞれ


外在する大日如来に対して唱える場合は、


すべてを生み出す大日如来よ、マニ宝珠とパドマとジュヴァラ(光明)で常に導いてくださっていることに感謝します


という感じで唱え、自分が大日如来であると観想する場合は、


すべてを生み出す大日如来よ、私もまた大日如来であり、マニ宝珠(自由意志)とパドマ(やさしさ)とジュヴァラ(明るさ)で光り輝く人生に変えなさい


と意味を感じながら唱えています。


おそらく、インドでは、そのように意味を感じながら唱えていたはずであり、


私もこのちらの方が気に入っているので、唯一、この真言だけは、毎日唱えています。


この真言は、一人さんの考えとも通ずるものがあるように感じています。


ということで、長くなりましたが、幸せになりたかったら、常に幸せでいたかったら、自分の機嫌は自分でとるようにすること。


そう、例えば、転んでツイテいないと思うようなことがあったとしても、


骨折らなくてよかった~、、ツイテル、ツイテルなどと、解釈を転じて、何が起ころうが、自分の心を上機嫌にもっていくこと。


上機嫌でいることで、自然と、まわりにいいことが、楽しいことが起こるようになってくる、というように


ことば → 上機嫌 → 幸せなこととが起こる


というこの三段論法が存在するようです。


自分に合ったポジティヴな言葉を使い、自らの機嫌をとり、上機嫌でいることで、楽しいことが次々と起こるようにしましょう、幸せな楽しい人生を送りましょう、という図式になっています。


この図式を常に心の片隅において、これからも楽しく人生を歩んで行きたいなと思っています。


自分の機嫌は自分でとろう!


でありました。


最近読んで、よく一人さんの教えのエッセンスがまとまっているな、、と感じた本があるので、参考に挙げておきます↓







おしまい


<(_ _)>








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