2009年12月4日金曜日

言語表現と数学的思考 ~ その参 ~



私は最近この二冊を読みました。


プルーストとイカ
―読書は脳をどのように変えるのか?




細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!



ここでこの二冊の本を紹介したのは、この二冊がとても対照的だったからです。

一冊目の本は、
前にも当ブログで紹介したもので、

文字を読む、文字が読めるとはどういうことなのかを人間の文字の歴史や幼児の発達、脳機能などから説明したものです。

書いてある内容はとても興味深かったのですが、全体として説明が冗長でわかりにくいという印象を受けました。


もう一冊は、大学受験の数学の参考書で有名な細野真宏さんが書いた本です。

たまたまアマゾンで本を検索していたら彼の本がヒットしたのです。

彼の数学の参考書は、ツボを抑えていてとてもわかりやすく、受験時にはたいへんお世話になったものなのですが、

最近は経済のことなどについて本を出していて、それが相当売れているようなのです。




そうかぁ、まあ数学の問題解説もわかりやすかったので、経済などについてもあのノリでわかりやすく解説しているのだろう、

と思い、では一冊試しに読んでみるかと、この本をチョイスしました。

私は本の題名にあるような数学嫌いではなく、どちらかというと数学は好きで、得意な方でした。

なにせ小学校の5、6年に高校数学ぐらいのことは勉強していた、いや、させられましたから、数学的な考え方は早いうちから身につけていたように思います。


この本はどのような考え方で情報に接するとより効率的に正しい情報を身につけることが出来るのか、

どのような説明の仕方をするとひとが理解しやすくなるのかを、とても基本的なことまで掘り下げて説明したものなのですが、

その説明の仕方自体がほんとうにわかりやすかったのです。

人に分かりやすくものごとを伝えるのに、「思考の歩幅」が大事だということを彼は本書の中で述べているのですが、

まさにそれを実践していので、彼の書いていること自体がをすべり下りるような勢いで理解できるのです。

このような彼の説明のわかりやすさは、おそらく彼の数学的な思考形態に根ざしているのだと感じました。(実際彼自身もそう述べています)


たとえば、彼は習い始めのことに関しては、他の人と比べるととても理解速度が遅いのだそうです。

しかしいったん興味をもって学び出すと、他の人よりずっと深くそのことに関して理解しているのだそうです。

彼はそれを、y=x と y=x2 のグラフを用いて次のように説明していました。








ただ知識を与えられるままに覚えていくのであれば、y=x 的に増えていくだけですが、

情報をより根本となるところまでいったん掘り下げて理解するように努めるとy=x2 的に知識が増えていくのだそうです。

私の理解でいうと、知識自体は無限にあるのですが、「枝葉」にある知識を収集していくのではなく、

その枝葉がついているもっと太い枝あるいは幹を理解しようとすることで、結局膨大な知識を体系的に網羅できるということなのかなと思います。

私はこのグラフを用いた細野さんの説明をみてなるほど、そうだろうな、と思うとともに、

こういう数学をモデルにした説明ができることの大切さを感じました。


数字自体、りんご5つも、人が5人もすべて5という数字で表してしまう抽象的な概念ですが、

その数字あるいは数式を用いてものごとを考えていくのはさらに抽象的な思考です。

しかしこの数学的な思考

すべての要素を取り上げ、それらを場合分けし、個々の要素がどのような論理でつながっていくかを考えるというのは、

あらゆることに通ずる思考形態だと思うのです。


この数学的な考え方を意識して文章を書くと、ものすごくわかりやすくなるのですが、

これをあまり意識しないと、文章がダラダラしたものになりとてもわかりにくくなるように思うのです。


「プルーストとイカ」の本でいうなら、もっといいたいことを簡潔に書けるだろうに、

やたら文学的な説明が多く、読んでいてげんなりしてしまうのです。

それはちょうどフロイトの本を読んだときに感じた感覚と似ているかもしれません。

私はフロイトの本を読みながら、

「え~、もっとこれは簡潔に説明できるだろ、なんでこれを説明するのにこんなに言葉を費やす必要があるの~」、

とその都度心の中でツッコンでいました。(フロイトに比べたら「プルースト~」の方が断然ましですが、、、)

しかし同じ心理畑の本でも、河合隼雄さんの本は極めて明快でわかりやすいのです。

私が思うにそれは、河合さんが数学科を卒業しているからだと思うのです。

徹底した理系的な思考を身につけたうえで、「こころ」という掴みがたいものを説明しようとしているのでわかりやすいくなっているのだろう、と私は感じます。


「プルーストとイカ」の話しに戻ると、本書においては、著者の読んだ文学作品がそこここに引用されており、

著者はその引用をすることでわかりやすくなると思っているようなのですが、

その文学を読んだことのないものにとっては、イメージを喚起できないのでさらに難解なものとなってしまうのです。

それと対照的に細野さんの本では、

ものごとを秩序だってしっかり分け、その章の最後などに、それまでにあげた知識がどのような関係にあるのかをまとめとして提示してくれているので非常にわかりやすいのです。

「プルースト~」の場合には、図を所々に用いているものの、文中の説明はダラダラと書き連ねてあるだけでとてもわかりにくくなっているのです。

「プルースト~」の著者は読むと文学少女だったようなので、説明もやはりこういうふうになるのだろうなと感じました。


結局、文章を書く、国語の問題を解く、言葉という抽象的なツールを使って人にわかりやすく説明するというのは、

その本質にあるのは数学的な考え方だとおもうのです。

従って数学が好きなのであれば、数学を通して抽象的にものを考える、

ものごとを場合ごとに分けてわかりやすく人に説明するということを身につけることが出来ると思うのです。

私が絵が描けるようになったのも、もしかしたら当時数学にふれるようになったことと関係しているのかもしれないと今にして思うのです。


つづく、、、



参考:

細野真宏さんの著作

↑彼の経済の本も読んでみているのですが、たいへんわかりやすくためになります。

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