2009年12月18日金曜日
鉄器と青銅器
これはブロンズ(青銅)製のガネーシャ像。
こちらは青銅製のツボのレプリカ。
最近、加古里子さんの絵本『ちえのあつまり くふうのちから』を読む機会がありました。
この本によると、まず人間は火と石器を使っていたのが、火を使った後の土が硬くなったことから土器を発明し、
また土器を作成し、土器で煮炊きするようになってから、ある土が高温によって溶けて固まることを発見し、青銅の存在を知るようになり、
さらに高温の温度を使うようになり、鉄の存在を知るようになったとありました。
そういえば、世界史などではどこの文明でもだいたい、石器→青銅器→鉄器というふうな流れになっていて、
私はこれをただ機械的に覚えていましたが、この絵本を読んで初めてこの流れには"意味"があったことを知りました。
つまりなぜ鉄器より青銅器が先に使われるようになったのかというと、溶け出す温度が違うからなのだそうです。
青銅の融解温度が1000度ぐらいである一方、鉄器はさらに500度高い1500度に熱しないと溶けないのです。
そのような高い温度を出すには、空気を効率よく送り込むシステムなどが必要になるのだそうです。
私は今になってはじめて、なぜ青銅器が鉄器に先行して使われるようになったのかを知りました。
これを習ったときに、
どうしてどの文明でも鉄器より青銅器の方が先なんだろうか?
という疑問を持てていれば、単なる表面的な知識に終わることなく、厚みのある応用のきく重層的な知識とて整理されたのだろうと思うのですが、
当時そのような疑問を抱くことはありませんでした。
学校の授業も、単なる表面的な知識を羅列するだけでなく、ちょっと遠回りになっても
そのあらわれている現象のもとをなす"意味"を教えてくれていればもっと興味の持ち方が違ってくるだろうにと思うのです。
私はなぜここにブロンズ製の写真を何点も載せたかというと、これも実は歴史を習ってから大分たったあとに知ったのですが、
実は青銅器というのは、黄金色に輝く金ピカの製品なのです。
↑青銅製の鎧兜(韓国)
私たちは歴史の資料集などで、たとえば銅鏡、銅鐸、青銅の剣などをみますと、どれも青さびが出ていてボロっちいものばかりですが、
実は銅鏡も銅鐸も銅の剣も、すべて当時は黄金の輝きを放っていたのです。
銅鐸を復元したもの
銅鏡なんかは、資料集では青錆の出た鏡の裏の模様ばかりが載せられていますが、実は鏡は表で本当にピカピカで鏡になるのです。
黄金色に輝く剣などは、単なる武器以上の意味があったのではないかと推測されます。
私はどこかの博物館で、復元されたピカピカの青銅の剣をみて本当にびっくりしてしまったのですが、
どうしてこういうことを学校で教えない!
とまず思いました。
中国の青銅器↑
こんな感動することを教えないなんて、とてももったいないことだと思うのです。
まぁ学校を卒業してしまった者としては、少なくとも、前にこのブログで紹介した細野真宏さんの提唱するように、
単に知識を y=X 的に並列に覚えていくのではなく、すこし立ち止まって、
これはなんでなんだろう?
と疑問をもつながら
y=X2 のような
応用の効く有機的な知識を築いていくように注意したいなぁと思うのです。
世の中には、知っているつもりで実はまったく知らない感動的なことがらが、まだまだたくさんあるんだろうなぁと思います。
おしまい
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