再び京都へ 。
母方の祖父が亡くなり、急遽京都へ行ってきました。
京都タワー〔Kyoto Tower〕
95歳でした。祖父は画家でした。私が8年間京都にいた間も、ちょくちゅく食事などに誘ってくれたり、師匠の堂本印象の美術館に連れて行ってもらったりしました。
今回も祖父を偲んで、堂本印象美術館によってきました。
印象さんの絵は何度見ても刺激を受けます。
≪印象代表作 交響≫
[Symphoney by Insho Domoto]
やっぱ天才です。見ているとこちらの心が浮き立ってくるように感じます。美術館を訪れた事はまた機会を改めて取り上げたいと思います。
ちょうど一ヶ月前、虫の知らせとでもいうのでしょうか、名古屋に来ていたので、ついでに18切符を使って京都まで足をのばしみるか、と思ったのです。
京都駅ビル(Kyoto Station Building)
そして、少し強引ではありましたが、寝たきりになって入院中の祖父に会いにいったのですが、今となってはあのとき会っておいて良かったなぁと思います。
もう半分意識が向こうにいっているような感じで、あまり先も長くないのかなという感じでしたが、私の顔をちゃんと認識し、別れ際に、動かない手を一所懸命上げて
「お互いがんばりましょう」
といって握手した手の感触をまだ生々しく覚えています。
95歳まで生きたわけですが、晩年はガンの再発で苦しんでいたようでした。右手が動かなくなり、最後は左手だけで絵を描いてました。
祖父は生命(いのち)を描きたいといっていたのをとても印象深く覚えているのですが、95年の人生の中で生命を描けたと思える作品があったのか聞いてみたかったなぁと思うのですが、それもかなわぬ夢となりました。
しかし彼の人生自身で生命(いのち)を描ききったなぁ、と思うのです。
戦争に行き、画家になるために苦労し、教職につき、ガンになり、と壮絶な人生だったと思います。本当に生き切ったなぁ、立派だったなぁと思うのです。
臨死体験の研究者であるキューブラー・ロス博士は、死とは、芋虫が蝶になるように単に状態が変わるだけでその人の意識が消滅してしまうわけではないということを言っていますが、
たぶん人の魂というのは、死後も肉体の無くなった別の状態で生き続けるのだろうなと思います。
だから葬式の場でも、私は亡くなって悲しいというよりは、重い身体から解放されてよかったね、という気持ちでいるように心がけました。
チベット死者の書にもあるのですが、死んだ直後の人は、意識が裸になったような状態になり、周りで人が泣いていると、その声が雷が鳴っているように聞こえるというのです。
目で見えなくなったから悲しいというのは、たとえば友人が旅行にいって目で見えなくなるから悲しいといつまでも泣いているというのと同じで、結構子供っぽいぞと思うのです。
葬式の会場では、
♪♪ わたしのー、おはかのーまえでー、泣かないで下さいーー
と例の歌が延々と流れていたのですが、祖父もおそらく“風”という目に見えない状態になってどこか私たちの知らない所を吹いているんだなぁと思います。
五月の風のように、かろやかな風となって吹いていたらいいなぁと思いました。
旅館の近くにあったお寺の置物
(猿寺正行院:SARUDERA SHOUGYOU-IN)
[Monkey Temple in Kyoto]
参考:
堂本印象美術館(Insho-Domoto Art Museum in Kyoto)
http://www2.ocn.ne.jp/~domoto/
キューブラー・ロス博士の著作
「死ぬ瞬間」など(Amazon)
http://www.amazon.co.jp/s/qid=1241051357/ref=sr_st?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&rs=&page=1&rh=n%3A%21465610%2Ci%3Astripbooks%2Cp_27%3A%83G%83%8A%83U%83x%83X+%83L%83%85%81%5B%83u%83%89%81%5B%81E%83%8D%83X&sort=reviewrank
猿寺正行院(猿寺正行院:SARUDERA SHOUGYOU-IN)
http://72.14.235.132/search?q=cache:WS4mlUpOR28J:raku.city.kyoto.jp/sight/new/view_sight.php%3FInforKindCode%3D1%26ManageCode%3D1000102+%E7%8C%BF%E5%AF%BA%E6%AD%A3%E8%A1%8C%E5%AF%BA&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
http://tuusyou.hp.infoseek.co.jp/t018.html
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