今回、北海道の山に登って感じたことを書いておきたいと思います。
一つは身体に関することです。
今回は4つの山に登ってきたのですが、移動の関係でちょうど一日おきの登山となりました。
一つ目の羊蹄山に登った後は、いつものような筋肉痛があったものの、
二つ目、三つ目となると段々と筋肉痛がなくなり、
四つ目のあとは、登山後であるにもかかわらず、もう全然普段と変わらない状態でした。
インターバルトレーニングとでもいうのでしょうか、
体が負荷に慣れていき、人はこうしてアスリートになって行くんだな、、
と実感した次第でありました。
今回栄養の点では、すべての登山において、アーモンド入りチョコとゼリー状のプロテインに加え、
伊藤園のパックの野菜ジュースと、ユーグレナ(ミドリムシの粉末)を持っていきました。
野菜ジュースは水分とビタミン、ミネラルを同時に補給できるので、
砂漠に水をおとすように、体がぐんぐん吸収していくのがわかりました。
ユーグレナは、企業として素晴らしいので定期便でとっているのですが、
今回はじめて登山に携行しました。
ユーグレナは必要なアミノ酸の殆どが含まれており、その吸収率も抜群とのことで、
今回少なからず疲労回復に役立ったのではないかという気がしています。
登山の際にどういったものが有効なのか、これからも色々と試していきたいと思ってます。
他に今回の登山で感じたこと、
それは、一言で言うと、
すべては生きている!
ということです。
私たちは、生物、無生物という風に分けてとらえますよね。
そしてコミュニケーションを取れるのは、生物の内の一部だと思っています。
でも私は今回山に登りつつ感じたのは、
すべては生きている、
ということ、そしてそれはこちらが心を開くこと、
すなわちこちらが語りかけることによって、実は向こうも語りかけてくれるということでした。
たとえば、私は歩きつつ、足元にある石に、心の中で声をかけるのです。
おぉ有り難う、こうして君と会えるのも一期一会ですよね、と。
また山を歩きながら、こうしてこの山の上を歩かせて頂いていること、
こうして地球の上をこうして歩かせて頂けることに感謝の思いを馳せるのです。
するとなんかある種の反応が返ってくるんですね、そして力が漲ってくるのを感じるのです。
実はすべてのモノは常に語りかけているのだけど、
私たち自身が、無生物=物=心をもっていないもの
という思い込みをもっていることによって、
自らものを見えなくしているのではないか、
ということに気付いたのです。
前に障害者の事件について書いた時に、私たちが意識の中で引いている線のことを書きました。
たとえばユダヤ人を豚だと動物のカテゴリーに落とし込むことによって、残虐なことを平気で出来るようになるように、
私たちは、現象に線を引くことによって、物事を解釈しています。
ヨーロッパ大陸の人たちは、アフリカで黒人に初めて会った時に、彼らを同じ人間と思わなかったから、あのような奴隷として扱えたのではないでしょうか。
彼らも同じ人間なんだと思うことによって、はじめて色々な人間的なものが見えてくるのではないでしょうか。
このように意識の中に線を引くことによって、ものごとが見えなくなっている、
思い込みによって、それ以上感じられなくしている、自らふたをしているのではないか、と気づいたのです。
私は北海道の山を歩きながら、そうか昔はここはアイヌの人たちが歩いていた土地なんだよな、、と思いました。
アイヌのような土地に根差した人々、自然と調和して暮らしていた大昔の人たちは、
そのような声ならぬ`声’を聴いていたのではないかという気がします。
小さな声、音として顕現していない声というものに耳を傾け、
コミュニケーションを取り、色々な情報を得ていたのではないかという気がします。
真言宗の僧侶で、夢日記をつけていたことで有名な明恵上人という方がいますが、
彼は瞑想のあとだったか、弟子に、
裏の水たまりで蜂が溺れているから助けてあげなさい、
と語ったというエピソードが残っています。
心を清澄にし、小さな声に心を傾けるとで、そういうことも可能になってくるのかな、と感じます。
そのような小さな声を聞くためには、心の静寂の領域に耳を澄ますこと、
意識の上で、すべては生きており、すべてのものは語りかけている、という思いをもつことなのかもしれない、、と思いました。
私は日常生活において、家に帰った時に部屋には家に語りかけたり、
自転車に乗った後は、今日もありがとう、などと語りかけ、
身の回りの物に語りかけるということを結構していますが、
もう少し色々なモノに語りかけてみようと思いました。
どんな`声’がかえってくるのか楽しみです。。
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