2016年9月8日木曜日

小説もいいかも、、


 
私は普段、本はノンフィクションの分野を読んでいるのですが、
  
小説に関しては、所詮虚構の話だし、あまり役に立たない?時間の無駄かな、、

などとずっと読んでこなかったのですが、最近、村上春樹をぼちぼち読んでいます。
  

最初に村上氏のエッセイ「走ることについて語るとき~」を読み、とても面白かったので、


 

彼の最初の小説「風の歌を聴け」を読んでみました。


  

なんだか全体としてけだるい感じが残る中、

最後の方になんとなくキラリと光るものがあったので、

もう少し読み続けてみようかと思っていました。
 

今回の北海道の旅のお供に「やがて哀しき外国語」というやはり村上氏のエッセイを持って行きました。



 

ハードカバーで厚さがあり、字もそれなりに小さかったのですが、

あまりに面白く、最初の2日位で一気に読んでしまいました。。

というのも移動時間が一日がかりということもあったのですが、、。

それでも村上氏の特に旅のエッセイは抜群に面白い!
  

で急遽、北海道の書店で棚に並んでいた「羊をめぐる冒険」を購入し、
 
 
 
 
 
 

これまた旅行中に一気に読んでしまいました。。。

本当は2作目の「1973年のピンボール」を読もうと思ったのですが、棚に置いてなかったんですね。。
 
 

  
  フィクションを読むことが、自分にとっていったいどんな影響?メリットがあるのか、、

と只今、自分なりに分析中なのですが、いま感じているのは、

まあ、アニメとかマンガと同じだな、、ということです。

  
これは決して低俗だとか言っているわけではありません。

アニメとかマンガは、すごく深いテーマをもっていたり、元気をもらえることが少なくないからです。
  

私が同じだと書いたのは、アニメとかマンガと同じく、非現実の世界を楽しむものなんだな、ということです。

願望の充足とでもいいましょうか。
  

日常生活でコリ固まっている精神を、空想の世界で遊ばせるという効用があるのかな、と感じました。

あとは、多少、何がしか人生で役立つ教訓的なものも得られるかもしれない、と思います。
  

小説ちょっとを読んでみようかな、、、と思ったきっかけの一つに、

ラジオ英会話がありました。

少し前のスキットで、オー・ヘンリーの短編が題材としてとりあげられました。  

その話がなかなか面白く、教訓的だったんですね。
  
話しはこんな感じでした。

  
ある中年の独身の女性がパン屋を経営しています。そこに、身なりの貧しい中年の男性がパンを買いに来るようになりしました(これは有名な話かな?)

で、その男性はいつも古いパンばかりを買って行くのです。パン屋の女性は、その身なりから、その人が売れない画家で、なけなしのお金でパンを買いに来てると思うのです。
  
ある時、女性が試しに店にを置いてみると、案の定、その男性はその絵に反応して、色々と解説するんですね。

そうすると、女性はますます自分の思いに確信を抱き、その男性に惹かれていくのです。そんな画家の男性と結婚生活が送れたら素晴らしいだろうな、、と夢想するんですね。


 ある時、いつものようにパンを買いに来た時に、後ろで消防車が走って行った瞬間に、隙を見て、女店主は男性の買ったパンにたっぷりのバターを挟んであげるのです。

女店主はもう、うきうきしてるのですが、翌日、知らない男と一緒に、例の男性がカンカンに怒って店を訪れるのです。

  ドイツ語なまりの英語でなにかをどなっているのです。

同僚と思わしき男性が言うには、彼は建築家で、市庁舎の設計のコンペティションの為の設計図を引いており、パンはその為の消しゴムとして使用していたそうなのですね。

もう少しで完成、というところで、昨日のパンを使ってすべてが台無しになってしまった、、ということなのです。。
 

意外な結末がいかにもオー・ヘンリーらしく、

Oh, Henry, not again (お~、ヘンリーさん、またですか!

というのが番組としての落ちなのですが()

これなんか、単なる空想の世界で終わるものではなく、現実の世界でも応用が利く()、示唆に富むお話しなんじゃないかな、、と思ったのです。
 

これを聞いた後、なんだか小説を読んでみるのもおもしれかもなー、などと思ったのです。
 

村上春樹を「羊をめぐる冒険」まで読んでみて、あいかわらず、

ビールとタバコと性描写、心の壊れた女の人が出てきて、なんだかなー、と思ってしまうのですが、

ストーリーの意外性にぐんぐん引き込まれ、一気に読み切ってしまいました。


  小説を読むことが役に立つのかどうかは??ですが、不思議な偶然で、この小説、北海道が舞台の小説だったんですね。

北海道が舞台の小説を北海道の旅の途中に読むってなかなかオツで良かったです。
 

しかし私がこういう小説を読むたびに思い出すのは、コナン・ドイル氏が向こう側にいってから語ったとされる言葉なんですね。


 


彼は、死後、向こう側の世界から、自分が書いたものに関して、

それが同心円状に波及していく影響をつぶさに見るんですね。

そこで彼は、自分がネガティヴなものを書いた影響がどのように人に影響を与えていたのかを知り、後悔しているのです。

能力には責任が伴いますが、力のある人、影響力のある人は、この世に与えた影響も大きく、

自分のなした結果を余すことなくすべて見なければならないので、

そんなことを知っていたら、書くことにも相当注意しなければらならないよな、、と他人事ながらに思ってしまうのです。

こういう小説を書いて、あの世で作者はどういう気持ちで振り返ることになるんだろうか、、と。

まあこれは、すべての人が、この世でなすすべての行為に関して言えることですがね。
 
もう少し村上小説を読み進めて、自分にとってどのような影響、メリットがあるのかを観察してみようと思っています。
 

おしまい


  

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