いまNHKの「100分 de 名著」でレヴィ―ストロースの野生の思考についてやっていて、
昨日が最終回だったのですが、
今回、全シリーズで初めて(笑)腑に落ちる感覚がありました。
野生の思考とは、たとえば土器づくりでいうと、自然の素材を生かして作ろうとするもので、
その姿勢は受け身であり、したがって予想していたものとは違ったものが出来てくるということが起こります。
一方、野生の思考に対するものは、西洋的な科学的な思考法で、
自分のプランを素材に押し付けるという方法で
出来上がるものは規格通りのということになってきます。
レヴィ=ストロースは日本を何度も訪問し、
日本は、野生の思考と科学技術が素晴らしく均衡している
と評価したそうです。
解説者の中沢新一氏が、日本にはいまだに野生の思考が生きづいていて、
たとえばゆるキャラなんかも、その土地の果物だとか動物なんかをもちだして、
これが私たちのシンボルだとするのは、
トーテムの思想と通じているという述べており、なるほどそういうことなのか、、
とすごくガッテンがいく思いがしました。
ゆるキャラってなんなんだ?なんであれほど熱狂するんだろう?
となんとなく思っており、自分もそのノリは嫌いではなかったのですが、
すごく腑に落ちるものがありました。
日本人は自然との境界をはっきりしておらず、
自然がふっと人間の方に入ってくる、また逆に人が自然の方に入っていく、
ということがごく“自然に”当たり前のこととして起こるのだそうで、
妖怪を自分のものにしてしまうポケモンもその流れだと解説していました。
西洋では、自然は人間が利用する為の材料であり、人間と自然の間には厳然とした峻別がなされているのだそうで、
レヴィ=ストロースは、野生の思考を持ちながら、科学技術をここまで発達させた日本を称賛しており、
世界の手本として、この絶妙なバランスを維持してほしい、という言葉を残しているそうです。
たぶん、どんなに科学技術が進んでいったところで、
おそらく、西洋のように完全に自然から切り離された表現というのは、日本人は美的感覚として好まない、
したがって、野生の思考は残って行くのだろう、思いました。
これは私たちが誇ることである一方、もろ手を挙げて賛同しかねるものもあるように感じました。
それは、自然と人間の境界があやふやというのを、
日本人があやふやな状態を好む、というところまで広げて考えた場合、
それが良い方向に出た場合は、
絶妙、良い加減、適当、
というところになるのでしょうが、一歩間違えると、
びみょー、いーかげん、テキトー
になってしまうような気がするのです。
いまの豊洲移転問題や、オリンピックの費用負担のことなど、その根っこには同じものがあるのかな、など思いました。
少なくとも、私たち日本人が好む思考形態、私たちの心の特性、
陥りがちな罠というものをしっかりと意識しておくことが大事なのかな、、と思いました。
野生の思考、昔ちょっと頑張って本読んでみましたが、
は?何それ?必要ないっしょ!
などと思っていたのですが、
今回分かりやすい解説によって、認識を新たにし、
改めて読んでみる必要があるのかな、と思った次第でありました。
今回のテキストでも買ってみようかなと思っています。
野生の思考について思ったことでした。
おしまい
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