今朝起きた時に覚えていた夢は、
自分が何かのテーマパークにいる夢でした。
テーマパークの中で、誰かと待ち合わせをしていて、
なぜかチャリを飛ばして一所懸命になってその人を探していました。
観覧車の見えている向こう側に行きたいのに、
袋小路になっていて、ぐるっとまわってからしか行けないようになっていたり、、
とディズニーランド?にあるような数々の変な乗り物とすれ違いながら、
目的地に向かって急いでいました。
間に合いそうになかったので、下に谷?のようなところを見下ろしながら、
携帯を出して電話をしていると、
まわりの子供たちに羨望の眼差しをもって見守られていました。
そんな古い型の携帯を使っている人がいるんだー、すげぇーーって感じで(笑)。。
観覧車の所に行って、その人にようやく会える、、
という所で目が覚めました。。
なんかすんげー冒険をした気分で眼が覚めました。
目覚めてから、瞑想をし、体操をし、食事するまでに考えたのは、
この世も、時代と場所を決めたテーマパークで、
それぞれが目的をもってこのテーマパークに遊びにきているじゃないのか、、
ということでした。
3度の臨死体験をした木内鶴彦氏は、この世で体を持って生きているというのは、
ちょうどゲームの世界でキャラクターを操作しているのと同じである。
と述べていました。
多くの人は、たとえばマリオで遊んでいるうちに、
自分がマリオそのものである、と思い込んでしまっているのだと。
そこから抜けられなくなっているのだと。
私は今日の夢とあわせて、そうなのかもしれないな、、となどと思いました。
この世は、ある意味、移ろいゆく幻のような存在である、
と私は感じます。
すべてはニュートラルな光の顕現として生じているのに、
人によって、あれは大事なこと、これは悲しいこと、、
とものごとを固く、深刻にとらえます。
しかしこの世は、テーマパークのような世界、
ゲームのような移ろいゆく幻の世界であるとしても、
やはり一人ひとりが大事だとしているそれらのことは、
尊重してあげるべきなんだろうな、、
とそんなことを同時に考えました。
テーマパークにて考えたことでした。
おしまい
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