2009年3月13日金曜日

建築に思う≪その弐:ガウディのことば≫



アントニオ・ガウディはスペイン、カタルニャ地方に生まれ育った建築家です


彼の代表作としては、前のブログに載せたカサ・ミラグエル公園、120年たった現在でも建築中であるサグラダ・ファミリア教会(上写真)など多数あります。

グエル公園


割ったタイルを張り付けた壁は自然に波打っている



グエル公園で有名なトカゲくん


グエル公園の下。木の根を思わせる構造になっている。

彼の建築の色彩や造形の美しさは人を魅入らせる何かをもっていますかが、それは単に人を魅了するためにだけデザインされたものではありません。

カサ・ミラ屋上の煙突。

よくありがちなデザインに溺れて実用向きではないものと違い、ガウディの作品は徹底的な機能性、合理性を追及しており、それゆえ現在でも多くの人に生活のなかで利用され愛されているのです。

ガウディの建築の美しさや奇抜さは単なるインスピレーションによる気まぐれの産物などではなく、彼は建築のデザインをする際に、徹底的な力学計算をしました。

彼の実験室におけるフニクラ(funiculas:逆さづり実験)は有名ですが、その結果あらわれる放物線を建築に多様したといいます。

フニクラ実験。

このようにガウディの建築に貫かれているのは徹底した合理性であり、それは科学的な分析によっています。

しかし単なる力学による分析からだけでは彼の建築は説明できません。ガウディは分析のあとには常に「総合」をおこなわなければならないとしています。

そしてこの「総合」というキーワードこそが現代に求められているひとつの視点であるように感じられます。ガウディは「分析」と「総合」について次のように述べています。


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分析を行う人々は、その後に総合をしなさい。分析のたびごとにあらゆる関連を断ち切る。そのために(せっかく分析し)発見した事柄に適応性がない。これは次のことからも理解される。関連は豊かさを産み、分離は不毛を産む。(p.90)


分析はただ壊すだけである。分析の総和は総合ではない。ここで言う総合とは完全なもの〔たとえば生きる機能をもつもの〕を指すからであり、またあらゆる分析を行うことは不可能である。分析とは〔ある性質だけに着目した〕比較である。(p.90)


分析と総合は、豊かさをうむために交互に行うようにもって行かねばならない。すなわち、考察と行動の2つのうちどちらが欠けても完全なものは生まれないであろう。(p.88)

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つづく、、

参考:

松倉保夫
『ガウディニスモ ガウディのことば・形・世界』九州大学出版 1984

ガウディの建築の画像はま、検索して拝借させて頂きました。
m(_ _)m 有難うこざいます。



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