私は前に日本の神話(古事記や日本書紀)とギリシア神話に共通する話が多いので、それはなんなのかと何冊かの本を読んでみました。
『日本人の心のふるさと-日本神話はなぜギリシア神話ににているのか-』吉田敦彦 ポプラ社 1990
『神話と日本人の心』河合隼雄 岩波文庫 2003
『神話の心理学-現代人の生き方のヒント-』河合隼雄 大和書房 2006
『マンガギリシア神話 1~8 神々と世界の誕生』 里中満智子 中央公論新社 1999
たとえば、
日本の神話では、死んでしまった妻のイザナミを連れ帰るために夫のイザナギが黄泉の国に行きますが、
イザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまったために、生き返ることはできない、という話があります。
これと似た話がギリシア神話にあります。
冥界に連れ去られたペルセポネーは、冥界の王ハデスにザクロの実をすすめられます。
ペルセポネーは12粒あるうちの4粒のザクロの実を食べてしまったために、一年のうち四ヶ月は冥界で暮さなければならなくなるのです。
ペルセポネーの母は、豊穣をつかさどる女神デーメーテルなのですが、娘が冥界で暮さなければならない4カ月は、地上に実りをもたらすのをやめ、それが冬になったというのです。
もうひとつあげると、
先の日本の神話の続きで、イザナミは黄泉の国の神様に、地上に帰れないか相談してくるから、その間決して覗いてはならないといいます。
しかしいつまでたっても戻ってこないことにしびれを切らしたイザナギはつい覗いてしまいます。
イザナミはウジにたかられた醜い姿をしていて、結局地上に妻のイザナミを連れ帰るのに失敗します。
これと似たギリシア神話は、竪琴の名手であるオルフェウスが蛇にかまれて亡くなった妻を追って冥界に下りる話です。
冥界の王ハデスに妻を連れ帰る許可を得たオルフェウスは、地上に出るまで振り返ってはならないといわれます。
しかし妻がついてきているか不安になったオルフェウスは、つい振り返ってしまい、妻は冥界に連れ戻されてしまうのです。
こういった共通する話はまだまだあり、とても興味深いのですが、
神話学者の吉田敦彦氏によると、これはヨーロッパから中東、アジアを経て日本に伝播したために類似しているというのです。
一方臨床心理学者の河合隼雄さんはユング心理学を学んだ方なので、伝播かどうかというよりは、
すべての人類が共通して持っている原型[アーキタイプ]という考え方から、神話が人間の心性にどのような影響を与えているかという視点で述べられていました。
この関連で河合隼雄さんが指摘していたことなのですが、
日本は太陽神を女性、アマテラスオオミカミとしていますが、このように太陽神を女性としてみる国は世界的に見て極めて稀有であり、
先進国の中でも唯一女神を太陽神としている国なので、国同士の協議などではこのことをよく意識していないといけない、ということを述べていました。
太陽とはすべての生命の源であり、その太陽を男性としてみるか、女性としてみるかで、その国民性がまったくことなるのだそうです。
すなわち、
男性原理を、切る、厳しさ、強さ、個の確立とするなら、
女性原理とは、包み込むこと、やさしさ、つながり、協調
として位置づけることができます。
太陽神を女性としてみる民族と、太陽神を男性としてみる国々と付き合う時には、
お互いがあたりまえだと思っていることが、実はそうではないことが起こりうるということでした。
たとえば、国同士のつきあいで前提になっている考えが競争原理であるところに、
他の国と協調することをまず第一と考えている国があれば、やはりその国は彼らにとって食い物にされる可能性があるということです。
今回のロボット開発の番組を見ていて、私はこの太陽神を男性とみるか、女性とみるかの違いが如実に出ているのではないかと感じました。
日本は、鉄腕アトムや鉄人28号の影響もあってか、
ロボットとは人間の友達のようなもので、社会に役立つために開発するものというスタンスでいるように思います。
そもそも鉄腕アトムなどの話もある意味太陽神を女性とみる日本人が新たに生んだ現代の神話なのでしょうが、
競争原理を根本とする欧米にしてみたら、ロボットはあくまでも相手に勝るためのひとつの道具に過ぎないという見方をしているのではないかと感じました。
この考えの違いが、軍事利用の問い合わせを受けた日本のロボットメーカの方たちに、戸惑いを感じさせる理由になっているのではないかと思うのです。
私は地上において、日本のもつ和の思想はこれからますます重要になってくると思いますが、
アメリカ先住民を見ても、中国に侵略されたチベット人をみても、日本のアイヌを見ても同じだと思いますが、
いくら倫理的にすばらしい思想をもって生活していたとしても、力のある無法者が難くせをつけて侵略してきたら、こちらに力がなかった場合それに従わざるをえなくなるのと同じで、
やはりそういう競争原理が第一と考えている人たちが世界の大部分を占めていることを認識した上で、それに備える必要があると思います。
太陽神の関連で、河合隼雄さんが指摘していたのは、
太陽の女神をもつ日本人の課題は、太陽男性神、すなわち男性原理をいかに受け入れるかがひとつの課題であると述べていました。
(同様に太陽男性神をもつ国々にとっては、女性原理をどう受け入れるかが課題なのですが、)
実は日本の神話において、一番最初にヒルコが生まれるのですが、ヒルコは不具だったために流されて捨てられてしまいます。
河合氏によると、太陽の女神がヒルメと呼ばれることから、
ヒルコ(昼子、日の子)というのは実は太陽男性神だったのではないか、と述べていました。
しかしこれからの日本は、この一度不具者として捨てられたヒルコ(男性原理)をどのように受け入れていくかが課題となると指摘していました。
河合氏によると、高天原から下ったニニギノミコトを案内した猿田彦がじつは流されたヒルコだったのではないか、という見解を述べておられてとても面白い見方だなと思いました。
いまこれを書きながら思いついたのですが、
猿田彦=去りた日子
として見るのも面白いなぁと思いました。
猿田彦の親戚である彦兵衛も、この点についてもう少し考えを深めていきたいと思っています。
おしまい。
参考:
『マンガギリシア神話 1~8 神々と世界の誕生』 里中満智子 中央公論新社 1999
『神話と日本人の心』河合隼雄 岩波文庫 2003
『日本人の心のふるさと-日本神話はなぜギリシア神話ににているのか-』吉田敦彦 ポプラ社 1990
『神話の心理学-現代人の生き方のヒント-』河合隼雄 大和書房 2006
以下、ウィキペディア↓
ペルセポネー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%9D%E3%83%8D
オルフェウス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%82%A6%E3%82%B9
イザナギ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE
ヒルコ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%B3
猿田彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6
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