2009年5月12日火曜日
庭に花が咲いていた
庭にいつの間にか花が咲いていました。
サトイモ科の植物でカラー〔calla〕というらしいです。
植物って見れば見るほど不思議だなぁと思います。
五月になって風に新緑の香りがするようになりましたが、
たぶん植物って私たちの分からない色々なレベルで、植物同士、あるいは昆虫などと会話しているんだろうなと思います。
昔読んだある臨死体験者の話によると、魂の状態で地球を俯瞰した時、植物は地表にある植物全体で一つの意識を形成していることに気付いたそうです。
シャーマンみたいな人たちは、そのような意識にアクセスして、色々と自然と調和して生きる智慧を学んだのだろうなと思います。
お釈迦さんは菩提樹下で悟りを開いたと言われますが、昔から精神的な修行者たちは深山幽谷に入っていくことが多いように思います。
それは単に孤独になるためだけでなく、もしかしたらそういった植物の意識を利用して、自らの内にある植物的な意識の領域を目覚めさせるためだったのかもしれません。
前に人間の活動はガン細胞に似ていると書きましたが、
どうやったら人間は自然と調和できるのだろうかと常々考えてしまいます。
地球を人体と見たて、そのエネルギーの循環から、太陽が心臓で、植物が肺、水が血液だと仮定するなら、人間が筋肉か脳細胞か、その両方にあたるのかわかりませんが、
とにかく、人間も地球の心臓や肺のペースに合わせた活動をしないといずれ自滅してしまうのではないかという気がします。
まず心臓のペースに合わせるには、前にも書きましたが現在人間は地上に降りそそぐ太陽エネルギーの1.3倍のエネルギーを消費しているそうなので、
それを1.0倍に抑えるというのが当面の目標かなという気がします。
第二に肺のペースに合わせるには、熱帯雨林などの森林の保護とともに、人間自身もあまり結果を急がない、
植物のスピードと共に成長していくというのが健全なあり方なのかなという気がします。
社会も、植物が一定の速度に従って育って行くように、じっくりと、健全なスピードで成長していくということが大事なのだろうと思います。
逆に、社会において急激な伸び、急激な成長というのはガン細胞と同じで警戒した方がいいのかもしれません。
あと血液があらわしていることは、水をきれいにすることと循環という事だと思います。
人間の発明した物で循環していかないものは、使うべきではないと思います。
そういう意味で一番循環していないのが、原子力発電だと思います。
核廃棄物の処理は単に地中深くに埋めるという何とも幼稚な処理技術しかありません。自分たちの世代の享楽のために、未来の世代にどんどんゴミを蓄積していっていいのかなといつも思ってしまいます。
さてエコな生活をするために、太陽熱温水器や太陽光発電をつけるというのもありますが、太陽光を利用した安価でもっとも効率のいいエコロジー生活は、家庭菜園かなと最近思うようになりました。
ということで、今年は色々と庭のスペースで野菜を作ってみようと思っています。
まず手始めに、パセリを買ってみました。
さて、どうなっていくのでしょうか。
おしまい。
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