2015年1月13日火曜日

常に微笑んでいなさい~心と体を積極的に使っちゃおう!~



最近、脳裏によく


常に微笑んでいなさい

ということばが浮かんできて、

そういえば当ブログで扱ったアランがそんなことを言っていたよなぁ~、

などと思い出していました。


微笑んでみよう ~アランの幸福論


で、せっかくなんで原著を読んでみようと思い、

彼の著書を少しずついま読んでいるところです。






読んでみると、執拗なほどにについて言及しているんですよね。


微笑んでいなさい、

ということの他に、


伸びやあくび、体操をしなさいなどなど

幸福論という題名のように、

心を健やかに幸福感に満ちた状態に保つためには努力が必要で、

その為に体の動作を意識して、積極的に取り入れていこうということを言っているんですよね。

私はこの考えにとても共感するんです。


心が不調になったときに、心理療法など心に直接取り組むという方法もあると思いますが、

とりあえず心は置いておいて、体を動かしてみるという方法もありだな、と常々思っています。


私は毎日、朝夕とチベット体操を含む軽い運動をしてますが、

それとは別に、2、3日に一回ぐらいの割合で筋トレをし、そのあとだいたい走っています。

現在走る距離は、その時の気分などにもよりますが、8キロくらいで、

それを1時間くらいかけてタラタラと走るんですが、これがとても気持ちいいんですよね。

なんか嫌なこととかあっても、


あー、なんかどうでもいいや、

みたいな気分になってきます(笑)。

ヨーガなんかも同じで、

緊張と弛緩、緊張させてまた弛緩という動作を繰り返すことで、

心がとても穏やかに、満たされた感じになってきます。


仏教では、人間のあり方を、身口意

すなわち体、言葉、心の三つの側面から考察し、取り組みますが、

心を穏やかに保つために、心はとりあえず脇に置いておいて、

体や言葉からアプローチしていくだけでも、かなり有効だと私は感じます。


たとえば言葉についていうなら、


疲れたー、疲れたー、疲れたー

と三回口に出してみた後の感覚と、


楽しいねぇ~、楽しいねぇ~、人生は楽しいことでいっぱいだね~

と言ってみた後の感覚を比べてみると、

自分が口に出した言葉によって、自分の心のあり様がガラッと変わることがわかります。


この言葉の心に対する効果を積極的に使うことを言い始めたのは、

西洋世界ではクーエかなと思うのですが、

クーエは、

私は日々、あらゆる点でどんどん良くなっています。

Day by day, in every way, I 'm getting better and better.

という言葉を寝る前に唱えることを勧めています。

寝る前に唱えることで、意識されていない心の深層に

言葉を浸透させるということなんですね。

意識されない心はタンカーのように力強くもゆっくりゆっくり動いていて、

それを寝る前の言葉によって方向づけるというイメージのようです。

彼の方法は自己暗示法などと呼ばれますが、






自己暗示などといわれると、


ん?なんかアヤシゲ、、

なんて気がしてしいます。

でも、私たちは自分の心を少し覗いてみればわかるように、

常に自分の中で内的な対話を行っています。

心の中で、あれはこうだ、これはこうだ、と常に言葉を自分に投げかけ、価値判断をしているのです。

つまり、誰でも常に自己に言葉を投げかけることで、自分にある種の暗示をかけているのです。

その言葉掛けというものは、たいてい無意識に、反射的に行われるものですが、

それをもっと意識的に、積極的に使わないともったいないよな、、と私は思うのです。


ある本の中のエピソードとして、医者が来た患者に、


机の上にある文字を大きな声で読んでみてください、

とお願いするんですよね。

で、そこには、


今日は、清々しい、さわやかな、最高の気分です。

なんか今日はいいことがありそう、、

と書いてあって、患者はそれを大きな声で読むんですね。

で、読んでもらった後に、


えー、今日はどこが悪いんですか?

と聞くと、なんだか気分がよくなかったから、帰ります、、、(笑)

という人が結構いるんです、ということが書かれていました。


でもこれを自分に実際に試してみると、ホントそうなんですよね。

清々しい、楽しい気分になって、元気が湧いてくるんです。


で、私はこれを読んでから、起き掛けに伸びをしながら、


うーん、今日も清々しい、さわやかな、さいこーの気分です。

今日もなんかいいことありそうだなー、、

人生は楽しいことでいっぱいです、今日も楽しいこといっぱいやっちゃおーーっ!

って言うことにしてるんですが(笑)、

一日の初めにこれを言うと、かなり爽快で気分がいいんですよ。(興味があったら試してみてね♡)

朝のスタートはこんな言葉ではじめ、夜は寝る前にクーエの勧めている言葉や、

特に感謝の言葉を述べ、感謝の念をもって眠りに入ると、

体の疲れの取れ具合が全然違って、すごいいい睡眠になるんですよね。

特に短い睡眠しかとれないときにこそ、この感謝の念をもって寝入るということをやると、

短い時間しか寝てないにも関わらず、翌日あまり疲れないんですよね。


こんな感じで、日中は日中で、仕事の合間なんかにも、うーん、と伸びをしながら、

あー気持ちいい、

とかいうだけで、かなり気分転換が図られるんですよね。


こういうことをやっていると、アランクーエも、

今まで学んできたことがすべてつながってくるように感じるんですよね。


真言宗には、たくさんの真言があり、僧侶は一通りそれらを覚えますが、

現在知られていのは、カタカナ表記で、意味の分からない呪文のようなものです。

しかし本来は、梵語、すなわちサンスクリットであって、

インドのお坊さんたちは、意味のあることばを繰り返し繰り返し唱えていた、ということなんですよね。

つまり、ことばの響きというよりも、

たぶん意味のある言葉を繰り返し唱えることで、

心をある種の状態に持って行こうとしたもの、それが真言、マントラだったんだとおもうんです、本来。

だからそこの根本の部分をくみ取って、

自分たちの文化、自分の身の丈、自分の生活感にあった自分の真言というものをそれぞれが作って、

日ごろから唱えるようにしたらいいのではないかと思うんですよね。


私なんかは、現在毎日唱えている真言は光明真言だけですが、

ちゃんと本来の意味を想起しながら唱えているし、

寝る前、朝にはクーエの言葉もそうだし、先ほどの清々しい云々のことばもそうだし、

中村天風さん小林正観さんが有効だと言っているような

「ありがとう」

などの言葉もそうだし、

(天風さんなんかは、布団に対しても、畳むときに「ありがとう」と声をかけていたんだそうな、、。


自分にあった言葉を使いまくってます!

それだからなのか、毎日がホント楽しいんですよね、、、。


アランは、楽しいから笑うんではなく、笑うから楽しいんだ、ということを言ってますが、

意識的に楽しくなるような行為をしてみることで、心が高揚するようなんですね。

笑顔を作ってみるというのも、実際笑ってみると楽しい気分になるものです。

これは科学的にも証明されていることなんですが、

口の端、口角をあげるだけで、免疫力があがるらしいんですね。

ということは、いまのインフルエンザの季節、確かに手洗い、うがいも有効なんだろうけど、

みなさん、笑って朗らかに過ごしましょう、なんてことを言ってもいいんじゃないかと、私は常々思うんです。

結局、勝負所は生体の免疫力ですから。


笑う訓練をするのに、割りばしを口にイッといった感じで横に加えるというものがあるんですが、

パソコンや本を読んでいるときなどに、そういうことをやると、脳が活性化されるような気がします。

ガムを噛むなんてのも、脳を活性化し、なんだか心を積極的にするような気がします。


あと、ことば関連でいうなら、最近あったフランスでの事件をあげておきましょう。

フランスでイスラム教を茶化すようなことを載せていた新聞社が襲われ、

12人だかが射殺され、結局犯人も最終的に銃撃線の末、射殺されてしまう

という悲惨な事件がありましたが、私はあの事件を多くの論調がそうであるような、

言論の自由が侵されたなどとはとらえていないんですよね。

あれは、言葉の力の大きさを物語る教訓だと私はとらえています。

(今回は風刺画か?まあいいや。ことばだと仮定しましょう)

ある人たち、ある文化が大切だと思っているものを、私はあまり貶めるようなことをいうべきではないと思うのです。

表現された言葉によって、人を殺そうとまでの衝動に駆り立てるのが言葉であり、

吐き出された言葉によって、人を自殺に追い込んでしまうなんてことも実際にはあるものです。

つまり、言葉にそれだけの力があるということです。

というより、言葉が心を動かすように、私たちは教育されてきたのです。


私は自転車が好きだからか、言葉とはチェーンのようなものだと考えることがあります。

言葉というチェーンが動くことによって、歯車が動いて、心が動く

というイメージを持っています。

教育における、言葉をおしえるというのは、本来丸い円盤だったところに、

歯車の歯を生やすことで、その歯車が言葉というチェーンによって、色々な人の心を動かしていく、

というイメージを持っています。


では、チェーンが動いたら即心が動くのかというと、

車で言うニュートラルというか、歯車がいくらぶんぶん動いていても、

心が平静でいることも、たぶん選択できるんだと思います。

たぶん、仏陀は、いくら悪口を言われても、どこ吹く風と、微笑んでいる気がするんですね。

ゾクチェンでは、心の本性は青空にたとえられたりします。

いくら雲がかかっても、空本来の清澄さ、広大さは失われることはないのです。


ちょっと、話がわきにそれてきましたが、

要は、心を楽しい状態にするのに、体と言葉というツールを意識的に、積極的に使うとお得じゃね、

という話なんです。


ツールなので、それらはやはり諸刃の剣であって、

今回のフランスの事件のように、体も言葉もマイナスな方向に使えば、心(魂)も落ち込んでいきますが、

テコのように、グイッと心(魂)を上昇させるツールとして積極的に活用してちゃおうぜ!

というのが私のスタンスなのです。


たぶん、この世に肉体をもってわざわざ生まれて、物質世界の中で色々な体験をすることを選択した、

というのは、

こっちの世界にきて、それらのツールを使うことで初めて心、あるいは魂が上昇されうるからなのかな、、、

などと最近思ったりするんですよね。


要約すると、

出来るだけ微笑んでみましょう、伸びや体操、運動などをしてみましょう、

自分の心に響くプラスの言葉を、自分あるいは、周りに使ってみましょう!


ということです。

小さな心がけなんですが、結構、効果大きいですよ、コレ!

ぜひ実践してみてください。


最近心と言葉に関して感じたことをまとめてみました。


おしまい






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