2016年5月22日日曜日

「キンベン」(=金・便、勤勉)について考えてみた、、

 
 
 
三菱自動車の不正が明らかになって、
 
またか、、
 
といった感じでしたが、私はこれは他人事ではなく、
 
もしかしたら日本人の陥りやすい過ちが何か現われているのではないか、
 
あるいは、人間としてして犯してしまいがちな問題を何か孕んでいるのではないか
 
という視点で、何か学ぶべきことがあるのではないか、
 
と考えてきました。
 
 
東芝にしろ、三菱にしろ、最近大企業の不正が続いていますが、
 
何が共通するのだろう、、
 
と考えていた時、ある健康番組をみました。
 
 
その番組で、ある腸内細菌の先生だったかが、
 
私は、バナナのようなしっかりとした一本のうんちが出るように気を付けてます
 
と仰っていたんですね。
 
まあ、それはそれでいいのですが、
 
そこに私は何か違和感を覚えました。
 
 
健康なうんちは、体が健康であることのバロメーターではありますが、
 
健康的なうんちを出そうとして、
 
たとえば、始終おなかをさすったり、あるいは
 
いい色、形のうんちを出すための怪しげなサプリを飲み始めたりしたら、
 
なんかそれは違うぞ、、
 
ということになってくるような気がするんです。
 
 
うんちは、食事、運動、睡眠、などの諸々の要素がそろって
 
体が健康であるときに
 
自然といいカタチのうんちが出るものであって、
 
良い色・形のうんちを出すこと自体が目的ではないはずです。
 
 
フロイトが確か、金と便との共通点を述べていた気がするんですが、
 
便のことと、金、すなわち企業の利益というものも
 
同じなんじゃないか、とその番組をみた時に思ったのです。
 
 
何かを作ったり、サービスを提供するのは、
 
本来そこにかかわる人みんなが満足するため、幸せになるためのもので、
 
その結果、対価として、お金として利益が自然と出るのであって、
 
利益だけにフォーカスして、その見た目を増やそうとしたりするのは、
 
どこかキレイなうんちを出そうとして、
 
あれこれ操作し出すのと似ている気がしたのです。
 
 
私は100分で名著という番組を録画して観てるのですが、
 
司馬遼太郎さんの回でとても心に残ったことがあります。
 
司馬遼太郎スペシャル
 
司馬さんは、日本兵として太平洋戦争に従軍した経験があり、
 
どうして日本軍はあんな理不尽な、非効率的なことをするようになったんだろうか、
 
と疑問を持っていたそうです。
 
 
日本の軍隊の黎明期、明治の初期の官軍は、
 
効率最優先で、服装など細かいかことにはこだわらず、とても理に敵った戦い方をしていたそうです。
 
それがどうしてこうも変わってしまったのか、、。
 
解説していた先生が、
 
日本人は、時として、手段と目的をごっちゃにしがちなのだ
 
と仰っていました。
 
本来、戦うのはみんなが幸せになるためであったのに、(真偽はべつとして、、)
 
戦うこと自体が目的になり、
 
しまいには、死ぬことが目的になり、
 
段々わけのわからない方向に進んでしまったのが、
 
太平洋戦争時の日本軍だったのだ、ということを述べていました。
 
 
でも、これって旧日本軍に限ったことじゃなくて、現代日本でもみられていることなんじゃないか、、
 
と思ったのです。
 
 
本来、物づくりというのは、こうなったらみんなが便利になるだろう、楽しくなるだろう、
 
という思いで製作に携わり、いい商品ができ、
 
顧客が満足したときに、結果としてお金が入ってきたはずです。
 
今の日本を代表するメーカーの創業者は、だいたいあまり学歴も
ないような、いわゆるいい意味でのバカだったように思います。
 
物づくりが好きで、好きで、
 
熱意と信念をもって、物づくりにあたっていたように思います。
 
最近読んだ本に、英語の熱意(enthusiasm)という語は、
 
神が中に入った状態という意味である、
 
ということが書かれていて、なるほどな~、と思ったのですが、
 
熱意をもって何かをするというのは、本来、その作業自体、没頭できて、浸れて、
 
楽しいことだったはずだと思うのです。
 
参考:
語源 古フランス語←ギリシャ語
enthousiasm (en-中に+-thous神がとりついた+-ia-Y3+-asmos-ISM=心の中に神がとりついた状態).
 
 
それが、だんだんそういった企業に、学歴の高いイイ子ちゃんたちが入ってくるようになると、
 
彼らの多くは、点数という結果のみで評価されるという教育を受けてきた人たちなので、
 
そういう人が企業の大半を占めるようになると、
 
起業の精神、物づくりの本質とかは二の次になり、
 
結果の数字を上げることに意識が行ってしまう、
 
そして、結果としていい数字を出すため、不正に手を染める、、
 
という、そういう構造になっているような気がするのです。
 
 
結果にフォーカスを当てるのも大事でしょう。
 
それは、健康のひとつのバロメーターですから。
 
しかし、そこにかかわる過程を疎かにしていたら、
 
その結果もあぶくのように一瞬で消えてしまう、、
 
ということが今回の事態であるように思います。
 
 
勤勉で、何かに没頭することはいいことですが、
 
時には自分のやっていることを振り返って、
 
人の幸せってなんだったのか、
 
目的と手段を取り違えていないか、
 
過程を大事にしているか、
 
結果ばかりに意識が行きすぎていないか、
 
などと時に考える必要があるのではないか、、
 
と私は今回のニュースを見て思いました。
 
 
少なくとも、自分とその周りの耳をもった人たちには、
 
こういったことを伝えていけたらな、、
 
と考えています。
 
キンベン」について考えたことでした。
 
 
おしまい
 
 
 
 
 

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