先日、職場でこんなことがありました。
ふだんパソコンを使わない部屋でZOOMによる会議に参加するため、ある職員がノートパソコンを設置しようとしていました。
その部屋には壁にLANケーブルの差込口がないため、その職員は別の部屋にあるwifi機器を持ってきて利用しようとしていました。
そのwifi機器は、壁のLANケーブルの差込口からLANケーブルで繋ぎ、電波にして信号をwifi接続が出来るようにするものであるとともに、その機器自体にもLANケーブルを差して有線でもパソコンと繋ぐことが出来るものでした。
その職員はあまりパソコンが得意でないこともあって、うまく接続ができないので手伝ってほしいとの連絡をしてきました。
自分もその時はめちゃ忙しいときでもあったので、ちょっとは見ることが出来るかも、、ということで、短いスキマ時間をみつけていってみると、
その職員は、そのwifi機器を持ってきて、コンセントに繋いだだけで、それにLANケーブルでパソコンと繋いでネットが出来ると思っていたようで、その接続の仕方をみて、えーー、と少なからず愕然としてしまいました。
その人としては、なんとなく、カタチが整っていれば使えるようになると思ったのでしょう。
しかし、その機器の原理を考えれば、まったくナンセンスであることがわかります。
どこかから壁まで来ているLANの受け口にその機器をLANケーブルで繋がないと、まずもって信号がきません。。
私達の周りには、いま、様々な電気機器があふれていて、よくわからないものも確かに多くあります。
内部がどういう仕組みになっていて、どのような原理でそのような働きになるのか、一般の人たちには知る由もないし、そこまで知る必要もないでしょう。
ただ、もし使うなら、その機器がどのような役割を果たすものなのか、その働きの概要はしっかり掴んでおく必要があると思うのです。
私はその職員が接続したwifi機器とパソコンのやり方を見て、あー、意味を理解していないな、、と思いました。
以前、当ブログで、カタチとチカラについて書いたことがありますが、そのことが頭に思い浮かんできました。
カタチというのは、必要などのチカラから生まれていると私は常々思っています。
従って、単にカタチを真似るだけでなく、そのカタチを生み出すに至ったチカラの方も同時に理解することが大切であり、そうすることで様々な応用が効くようになると感じます。
何かお願いするときも、単に表面的にやることだけを伝えることもできますが、
なぜそうしてほしいのか、その意味を同時に伝えると、よく理解してもらえるし、その思いを汲んで応用した行動を取ってもらえたりします。
また例えば、英単語を覚えるのも、単純にそのまま覚えるやり方の他に、語源まで遡ってその単語の成り立ちを知ると、ものすごく面白いし、応用が効くのです。
ラテン語由来の英単語は、日本語で言う漢字由来の言葉と同じで、漢字の意味がわかっていると、たとえ知らない漢字熟語でもなんとなく意味が取れるように、
知らない英単語であっても、その成り立ちからなんとく意味を推測できたりするのです。
昔、でる単、という受験勉強の単語帳がありましたが、これはまさに語源まで遡って、単語を覚えようとするもので、名著となっていたことを思い出します。
私がカタチとチカラに関して感じるのは、体操です。
たまにラジオ体操に参加してやってみると、これは体を心とはまったく関係のない単なる機械と捉えているんだろうな、、という気がします。
私のリズム、カタチと全く違うので、とても継続してやろうとは思いません。
私は毎朝、毎夕、自分が組みたてた彦兵衛体操というものをやっていますが、これは自分の心地よさ、体が必要としているものを自分なりに組み合わせて、自分のリズムでやるものです。
少し前のブログで、風邪を引きそうな感覚がしたとき、太陽光を浴びたいと思って外に出て歩きながら深呼吸した話をかきましたが、
実は、あれは単に深呼吸をしただけではありませんでした。太陽に向かって歩きつつ空気を吸い込みながら、
神の愛の光、黄金の光が体中のすべての細胞に行き渡り、体中の細胞が内側からどんどん若返ってくる、どんどん健康になっていく、、健康は神であり、輝くばかりの健康をもっています
というような言葉を頭の中で唱えつつ、イメージを描きつつ深呼吸していました。
私は体を動かすときも、このような言葉やイメージをともに使うことが多いです。こうすることで、その効用が、単に体を動かしているときよりも何倍もある気がしています。
wifi機器の話から、だいぶ飛んでしまいましたが、まとめますと、カタチというのは樹でいうと枝葉にあたるかと思います。
その枝葉を支えているのは幹であり、その幹を支えてるのは根っこです。
枝葉だけを表面的に知るだけでなく、それを支えている、幹や根の方まで遡って枝葉を理解すると、多少時間は掛かるかもしれませんが、なかなか忘れないし、物事の原理 = 根源を知っているので応用が効いてきます。
一を知って十を知る、という言葉がありますが、これはおそらくこのような構造を行っているのだと思います。
ただ単に、表面的な枝葉のカタチをたくさん知るというのではなく、枝葉の根源まで理解しているので、その樹が展開する360度にわたる枝葉の展開を理解し、対処することができるということなのだと思います。
世の中には、必要から生まれたカタチというものがたくさんありますが、時代を経て、その必要がなくなっているにも関わらず、慣習として、なぜそうするのかわからないけど、単にカタチだけ継承されているものもあるように見受けられます。
少し話がそれて、武術などもそうだと思います。創始者は、必要性からこのカタチが大事なんだ、と型を生み出しますが、
二代目、三代目くらいまではいいかもしれませんが、更に何代も経ていく内に、カタチの意味がわからなくなって、ただカタチを模倣するだけになっていることがあるかもしれません。
合気道の達人、塩田剛三さんは、合気道の創始者ではありませんが、
彼は、戦後、道端でヤクザっぽい人たちが賭け将棋をやっているのを途中まで眺めていて、敢えて、これはインチキだーといって、盤をひっくり返し、多数の荒くれ者を相手に、自分の技を試していたという逸話があります。
カタチにどういう意味があり、どのように役立つのか、何が必要で、どうすればよいのかというのを実践を通して研ぎ澄ましていったようで、それ故に、あのような達人になられたのだろうな、、と、そのエピソードを知って強く思いました。
wifi機器の話自体からだいぶそれてしまいましたが、カタチを知る、カタチを伝えるというときには、セットでなるべくそれを生み出すに至ったチカラ(必要性など)も同時に理解するように努めたほうがいいよな、、と感じた一件でありました。
話が膨らみすぎてしまいましたかね、、。
タイトル:カタチの意味を考えよう!
でありました。
<(_ _)>
おまけ、、
ギャラリー: 光岳(テカリダケ)に登ってきましたー ♪ 最終回
宿から 朝4時に タクシーに乗ること1時間半 、料金 2万円!✨で登山口の易老渡に 到着
橋を渡り、 薄暗い山の中を 3時間半 歩き、分岐となる易老岳に 至りました 😊