2015年2月2日月曜日

カタチとリズム ~ホドラー展を観て、、~



いやいや、もう2月ですね~!


先月のことになるのですが、

1月に入って早々に美術館をハシゴしてきました。


ひとつは、

国立西洋美術館で開催されていた

フェルディナント・ホドラー展


で、もうひとつは、三菱一号館美術館で催されていた

ボストン美術館 ミレー展


です。


ミレー展もそれなりに良かったのですが、

ホドラー展にはとても、とても刺激されるものがありました。




ことの顛末を書いておきましょう。。


ホドラーというのは、1853-1918年に生きたスイスの画家です。

私にとってホドラーという人は、

スイスの山や湖を題材にした風景画を描く人というイメージがあったのですが、

















これが全然といってもいいほど違ったんですね、、。




ホドラー展に入って最初のうちは、

風景だとか、人物だとか、いたって普通だったのです。















(下の2つ、木を切る人草を刈る人は、スイスの紙幣のデザインとして使われたもので、

実際に使われたかなり大きめな紙幣が展示してありとても興味深かった、、、)







次第に人物に、妙な存在感、生命の躍動感みたいなものが出始めてくるんですよね。。





↑これなんか、なんだかマンガチック。ジョジョの奇妙な冒険を思い起こしました(笑)。





↑この全員一致という絵は、議会の壁に飾られているそうなのですが、

(さすが全員一致でものごとを決めるスイスらしいですね!)

真ん中に立っている人の立ち姿ばかりでなく、

手を上げている一人ひとりの姿勢がとても興味深いのです。







で、展示を進んでいくと、途中にこちらの絵が飾られていたんです、、






オイリュトミー 



えっ、オイリュトミー!?

オイリュトミーといわれて私が知っているのは、

ルドルフ・シュタイナーが唱えた「オイリュトミー」です。

シュタイナー教育の中で、オイリュトミーというのは、音楽や言葉にあわせながら、

体を動かすもので、ちょっと神秘的なダンス、体操のようなものです。

オイリュトミー(ウィキペディア)



え、なんでこんなところにオイリュトミーが、、、



美術館にあった解説を読むと、

オイリュトミーというのは、良きリズム、調和のとれたリズム

という意味で、ホドラーは自然の中にあるリズム(繰り返し)やそれが生み出すカタチ

非常な関心を寄せていたというのですね。。




で、人物の中にも、そのリズムやカタチというものを見出し、生の躍動を描こうとしたらしいのです。



私が今回の展示でもっとも惹かれたのは下の作品です。




恍惚とした女


足の構え方とか、少しひねった胴体、指先や顔の表情といい、

何か武術の演武をしているかのような迫力を感じます。





この人物に関する集大成が



無限へのまなざし



と題され、こうしてホールの壁面に飾られているそうです。








無限へのまなざしのための習作




な、なんなんだ、この人物の迫力は!!

と思い、展示してあった解説をよんでみました。


ホドラー展のHPより、その解説を抜粋しておきましょう。



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Chapter 3
リズムの絵画へ 踊る身体、動く感情

人間の内面や心理に惹かれ始めたホドラーは、単に暗鬱した世界に閉じこもったのではありませんでした。

良きリズム」という意味をもつ《オイリュトミー》(1895年)以降、ホドラーは、身体の動きによって表わされる人間の感情、そして運動する身体が織りなす「リズム」の表現に向かいます。

このようなホドラーの関心は、スイスの音楽教育家エミール・ジャック=ダルクローズによる「リトミック」など、当時生まれつつあった前衛的な舞踏の思想とも呼応するものでした。

ホドラーはまた、自然の世界にはさまざまな秩序が隠されており、類似する形態の反復や、シンメトリーをなす構造がいたるところに存在すると考えていました。

彼はそれを「パラレリズム」(平行主義)と呼び、絵画のシステムとして応用していったのです。

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後半に書かれている、自然の中の類似する形態や反復というのは、まさに今でいうフラクタルですよね。

すごいなぁ~、、

(フラクタルに関しては当ブログで何度も取り上げてきました。
興味のある方は左上にある小窓に“フラクタル”と入れて、記事を検索してみてくださいね♡)


ホドラーの解説を読んでいくと、

古代のギリシアにおいて、

リズムとカタチというのは近い意味でつかわれていた

そうなんですよね。


で、それを読んだとき、今まで学んできたことが色々とつながったような気がしたんです。


私は常々、人が幸せであるというのはどういう状態なのだろうか、

ということを考えてきました。


幸せな人、というのはある意味、大きな流れに乗っている

という状態を思い浮かべるのです。


で、それは別の言い方をするなら、いわゆる

調子に乗っている

というやつです。

(普段はネガティヴな感じで使われますが、、)


で、調子に乗る、というのはまさにリズムに乗っているということです。

私は常々、自分のカタチ、自分のリズムをもつことの大事さというのを痛感してきたのですが、

調子に乗る、というのは、自分のリズムを見つけること

マイペースのことであり、

これは、かつて取り上げた幸せのメカニズムのところでとりあげた4つの柱のうちの一つであるのです。


彦兵衛のブログ:

幸せのメカニズム~幸せになっちゃおう!~ Be Happy !


自分のペース、自分のリズムを見つけることって、大事だよな~

と改めて認識しました。


ジリツという言葉には、ふたつの漢字があてられます。

自立と自律

後者の自律は、他律に対して、自分をコントロールすることでありますが、

これは、自分のリズムとも読めると思うんですよね。

自分のリズムを見つけること = 自律 → 自分のカタチをつかむ→自立

と繋がっているような気がするんですよね。


その時に大事なのは、人と比較しない、ということなのでしょうか。

これは、周りの存在をまったく無視しているというのではなく、

むしろ逆で、ちょうどダンスのように、

自分のリズムを刻みながら、周りと調和している、という感じなんだと思うんですよね。


こうして、リズムに乗って自律している人、ノッている人というのは、

同じ直立した物体でも、積木のようなものが単純に立っている場合と、

コマが回って立っているぐらいの違いがあるんじゃないか、という気がするんですね。


つまり、長細い積木は押せば、ただパタンと倒れてしまいますが、

回転しているコマは、押されても、その力をバシッとはじき返し、

自分はその力に影響を受けながらも、くるくる立って回転し続ける。。。

こんなイメージが私の脳裏に浮かぶんですよね。


もう一つ、このこのリズムとカタチの説明から私が連想したのは、

炎火輪(えんかりん)

についてです。

私は当ブログでこの炎火輪を何度となく取り上げてきましたが、

炎火輪というのは、真言宗の経典の一つである大日経に説かれている言葉で、

物事の空性(くうしょう)を説明するたとえとして用いられます。


火をつけたものをグルグルと回すと、赤い円が出現しますが、

その赤い円は実体のあるものではなく、

炎が回転することによって、仮に出現する形です。


あらゆるものごとの本性は、この炎火輪の如く、実体がない、

という風に説明されているのですが、

ここで面白いのは、

グルグル回すというリズムによってカタチが生まれている、

という点です。


リズムによって、形が生まれる、、、

うーん、すごく面白いと思うんですよね。


で、人はどうやったら、自分のリズム、カタチを見つけられるのだろうか、、、

ということを考えてみると、

やはり、自分の興味のあることとかを色々試してみる、

トライ&エラーを繰り返しながら、見つけていく

ということになるんじゃないかな、と思うんですよね。


楽しいと感じると、人は自然に踊ったり、歌ったりするものですよね。

つまり、楽しい感覚→リズム-カタチ

と繋がっているんだと思うんです。


その時に大事なのは、人と比較したり、思い込みにとらわれないということなのかな、

とも思います。

つまり、まわりの人にどう思われるだとか、自分の歳だからふさわしくないだとか、、

そんな思いにとらわれないようにすることが大事なのかな~などと思います。

(人に多大な迷惑をかけるというのは考え物ですが、、、)


で、自分のカタチを見つけて、毎日の生活が楽しくなってくると、

そこからまた鼻歌(=リズム)なんかが出てきたりなんかするのかな~、なんて思います。


日本、その日、その日という、あの大森貝塚を発見したモースの本を読んでみると、







昔の日本人、といってもつい100年位前のことですが、

日本人はよく歌を歌いながら仕事をしていた、

という記述がみられるんですよね。


昔の人は、ちゃんとリズムというものを理解し、自分のカタチというものを身に着けて楽しく働いていたのかな~

なんて想像するのです。




仕事でも生活の中に置いても、自分のリズムというものが大切だと思うのですが、

自分のリズムを外すと、調子を崩すものです。

もっとも身近なところでは、それぞれには睡眠のリズムというものがありますが、

その睡眠が乱れると調子が悪くなりますよね。


また調子に乗りすぎると、また良くないもので、

英語ではこのことを

Don't push your luck.

と表現したりするそうなのですが、

luck つまり 運命、大きな流れみたいなものを

さらに自ら押そうとするとき調子を崩すというのは、

とても示唆的だと感じます。


今回のホドラー展には、とても、とても啓発されました。


奇しくも、この美術館に行く当日の朝、

家のポストを覗くと、教育学部時代に、まさにシュタイナー教育などのことについても教えられていた

ゼミのY先生から年賀状が届いていたのです。

なんたる偶然!

そのあまりの偶然の一致にびっくりでした。


自分のリズム、自分のカタチというものをみつけて、

毎日を楽しく過ごしていこーーっ

という思いを強くした彦兵衛でありました。



(-ω-)/ おしまい





興味深い道 (ホドラー1890年






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