いい神社だなぁ~、、と感じる神社には特徴があるように思います。
一つは、木が生えていること。
特に御神木のような齢を重ねたぶっとい樹があると、もうその周辺がただならぬ神気にみたされています。
また本殿の裏手に鎮守の杜があったり、山があって、それ自体が御神体であったりする場合も安らかな、あるいは厳かな空気が境内全体を包んでいたりします。
もう一つは、水かと思います。
水が湧いていたり、境内の中や近くを清らかな川が流れていたり、また池があったりする場合もあるかとおもいますが、
とにかく流れのある水があることで、その場が清められ、浄化されているような感じがします。
だいたい伊勢神宮をはじめ、ただならぬ神気が漂っていて、ひたすら素晴らしいな、、と感嘆してしまう神社には、少なくとも、このふたつの特徴があるように思います。
なぜこのようなことを書くのかというと、自分の部屋に、神棚を祀っており、榊(さかき)を瓶に挿して両脇に生けているのですが、夏だと榊が水を吸って、水が少なくなってきたり、また水が悪くなってきたりするのです。
だいたい今の時期だと1周間に2回は、榊の水は交換して、満水にするのがいいのかと感じていますが、
これを特に一日のはじめに、榊を新しいものにしたり、水を変えて減っていた水を満水にしたりすると、その日一日が、とても心の状態も含め、非常にスムースに流れていく感覚があるのです。
もしかしたら、これは単なる気のせいで、たとえば、部屋が散らかっているのを片付けてスッキリすると心も整理整頓されたような気持ちになり、
散らかっていることに心が煩わされることがなくなる、というのとも通じているのかもしれませんが、どうも神棚の榊と水にはそれ以上の何かがあるような気がしています。
それは、木には神気を寄せる依代(よりしろ)の役割があり、水は浄化と関わっているのではないかと感じる点です。
榊がアンテナのように、神気の依代の役割があるため、それが枯れていたり、少なかったりすると、心が落ち着かなくなるのではないかという気がしています。浄化を司る水に関しても同様です。
榊を新しいものに変えたり、水を取り替えたりするのは、一日のやることの優先順位としてはあとでもいいような気がしますが、
どうもこれを最初にやっておくことで、全体がスムースに動いていく感覚があるのです。
すべては神様のあらわれであると考えると、神様は土台中の土台であり、ここをしっかりメンテナンスすることで、心も含めた全体が支えられるという感じがあります。
神棚を置くことにの効用というものがあると思いますが、神棚の掃除を怠ったり、疎かに扱ったりしていると、逆に心身両面によくないので、むしろ置かないほうがいいのだろうなと私はこのところつよく感じます。
神棚を置くなら、しっかり管理して、定期的に掃除をし、清潔に美しく、清らかに保つべきで、そうしてこそ初めて神棚を置くことの効果が得られるような気がしています。
それと関係しているのか、スピリチュアルカウンセラーの江原さんが、海は浄化に関わっており、山には癒やしの効果があるということを述べていたように思いますが、これらとも共通するのかもしれません。
神棚から少し視野を広げて、家にある植物や水の流れというのも、運気と関係しているのかもしれません。
植物を育てているなら、緑が美しい状態を保ち、水回りはきれいにしておくというのが、精神衛生面から運気の点からもいいように思います。
ということで、神棚の榊が枯れてきたり、水が減ってきたら、優先順位の上位において、なるべく早めに交換するといいようですよ、ということが今回書きたかったことです。
神棚を祀られている方はぜひ参考にしてみてください。
タイトル:木と水と、、
でありました。
<(_ _)>
おまけ、、、
今年最後のユリです↓
↑斑入り、神がかりピンクカサブランカ
も一輪だけ咲きました。
今年もユリがたくさん咲きましたが、種類が減ってきたので、
また色々な種類を植えようかな、、と思っています。
おまけ2、、
今はユリは終わり、ミニトマトの収穫時期、真っ只中です↓
<(_ _)>
0 件のコメント:
コメントを投稿