私も時に、イラっとすることがありますが(笑)
考えてみると人が怒るのは、
ものごとはこうあるべき、、
という自分の中の基準があって、それにそぐわないときに怒りを感じるように思います。
なので、イラっとしたときに、
自分はこうあるのが"正しい"と考えているけど、
そうじゃなくてもいいのかも、、
そうじゃないのもありなのかも、、
と少し間を取って、自分の中の基準を見直してみると、意外と自分の設けた小さな基準でものごとを推し量っていることに気づかされることがあります。
少し前のラジオ英会話のなかに、
One Minute of Patience, Ten Years of Peace.
「一分の忍耐は十年間の平和をもたらす」
というギリシアのことわざが紹介されていました。
怒りを感じた時に、即反応して感情を爆発されてしまうのではなく、少し一呼吸おいてから対応することの大切さを説いている諺です。
アリストテレスの残した言葉として
「忍耐は苦いが、その実は甘い」
というものもあるようです。
イラっとしても、すぐに反応するのではなく、少し間をおいて、冷静になってから対応するのが賢明なのかもしれません。
少し前のブログで、私の同僚が、
自分は常に丁寧なことばを使うようにしている。
そうすると、それを聞いている自分も安らかな気持ちでいられるから、、
と言っていたのを思い出します。
イラっとしたときに、その感情に任せて声を荒げ、暴言を吐くと、
その時は胸がすくようでスッとして気持ちがいいかもしれませんが、
実はそれを聞いている自分自身が、相手と同様にその乱暴な言葉を聞いていて、同じくらいの不愉快さを心の中に留めることになるのです。
斎藤一人さんは、人に注意するときは、
ちょっといいかな、いい話があるから教えてあげるね、、
と言って、周りに人のいないところに行って、やさしい言葉で注意するようにしている、と言っています。
同じ注意するのでも、それをいい機会と、自分のうっぷんを晴らしたり、人にマウントをとったりするために利用する人もいるのかもしれませんが、
もうそれは注意することが目的ではなくなっており、単なる嫌がらせであり、自分の運気を大きく損なうような気がします。。
斎藤一人さんは、すべての問題に対して、常に
愛と光と忍耐
で接するようにすると、すべてがうまくいき、自分の魂が成長するということを述べています。
怒りを感じたことに対しても、そのままの感情で即反応するのではなく、
やさしさ(愛) と 明るさ(光)
で忍耐強く対処するようにすれば、
それは暴言を吐いたりして、自分の運気が落ちるどころか、
逆に躓いていた石を踏み台として、階段を上っていくように魂を向上させていく手段として使えるようになるのかもしれません。。
言うのは簡単ですが、こういうのも繰り返しによる練習が必要ですね、、。
ただ練習をして習慣化すれば、自然と出来るようになっていくのだと思います、、。
愛と光と忍耐で対処しよう、、という心がけをもつだけでも全然違うらしく、一人さん曰く、それだけでもう神様から〇をもらえる、、とのことです(笑)
まずは発想の転換で、嫌なことが怒ったときも、レモンをレモネードに変える気持ちで
明るさとやさしさで対処していきたいとものだと思います。
タイトル:人が怒るのは、、
でありました。
<(_ _)>
おまけ、、
ギャラリー:会津駒ヶ岳に登ってきましたー♪ 《その四》
会津駒ケ岳を下山し、てくてくと舗装道路を歩いて旅館に向かいました。
会津駒ケ岳登頂成功のひとり大宴会でありました!
(ここで購入した日本酒を試飲♪)
つづく、、


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