2016年9月13日火曜日

北海道の山に登って気づいたこともう一つ、、、



今回、北海道の山に登って気づいたことがもう一つありました。

頂上に登らなければ見えない景色がある、、

というちょっとカッチョいい表現がありますが、

本当にその通りだな~、と今回特に実感しました。


山の斜面を登っている途中では、

岩だらけの足元とか、仰ぎ見る山の頂き、通ってきた道ぐらいしか見えなかったのが、

頂上に近づくにつれ、次々と向こうの峰々が見えてきて、

頂上に立つと、今まで見えなかった山の向こう側の景色だとか、

麓の景色だとかが、遥か彼方まで一望できるんですね。

曇っていたとしても、果てしない雲海が、ぶぉーーっと広がっているのを見ることが手来たりします。

これには思わず、おぉ~、、と声を上げてしまいます。


でも今回登って感じたのは、頂上に登ってしか見えない景色がある一方、

遠いと逆にみえないものもあるということでした。


たとえば、頂上に登った時に、次に目指す方向に目をやると、道が延々と続いているのですが、

あの先は道が切れているようだけど、いったいどうなってるんだ??

とやや不安になることがあります。

ですが、実際にその道を歩いていき、その場に近づくと、しっかりと道が続いているのを確認できるんですね。


確かに山の頂上に立ってしか見ることのできない景色があるものの、

たとえば更にその上空10kmから初めて見える景色(飛行機から見えるような景色)があり、

更に上空にいくと、たとえば人工衛星からしか見えない地球の景色があり、

更に遠くに行くと、地球の所属する銀河が見え、宇宙の泡構造が見え、、

と離れれば離れるほど新たな構造が延々とあらわれてきます。

そう考えていくと、山の頂きからの景色が唯一絶対の価値があるものと考えると、

それはお山の大将になってしまうのではないか、、ということです。

逆に頂上に立たなくとも、実は自分の足元にもよく見ると一つの宇宙が広がっているのが分かったりします。


私は毎朝、雨の降っていない時は外に出て気功体操のようなものをやっているのですが、

目の前、足元の地面を覗き込むと、ダンゴ虫やアリンコが朝早くからいそいそと動いており、

コケやよくわからない小さな草花があり、

コンクリートの上にはナメクジの這ったあとが朝日に照らされてキラキラ光っており、

これはひとつの宇宙だな、、と感激してしまうのです。


つまり、頂上に立たなくては見れない景色というものが確かにありますが、

自然のフラクタル構造というものを考えると、実は必ずしも頂上に立たなくとも、

その縮小版のような構造を、よくよく注意してみると自分の足元に見ることができるのではないか、、

ということです。

遠くから俯瞰してしか見えな景色というもがある一方、近づいてしか見えないものもある

なので、必ずしもみんなが価値を置くようなこと(山の頂き)をガツガツと目指さなくとも、

自分のいる場所をじっくりとながめてみることで、

実は同じような、或いはそれ以上に素晴らしいものをそこに見つけることができるのではないか、、

ということです。

なんだか今回山に登って、特にそのことを強く感じました。


またもう一つ、頂上に立ってしか見えない景色がある関連で、

頂上に近づくにつれ、新たな峰々が現れる様子が、あることに似ていることに気付きました。

それは、私は自分のやるべきこと、やりたいことを常に紙に箇条書きにしてそれに優先順位をつけてからやり始めるのですが、

紙に自分のやること、やりたいことを書きとめることで、脳内がクリアーになり、

しばらく他の事をやっていると、さらにその裏にあった、やりたいこと、やるべことがぽっと浮かんでくるんですよね。

その様子が、山の頂上に近づくにつれ、新たな峰々、新たな景色が見えてくるのとにているなぁ~、感じました。

自分の感覚では、ものごとを書き留めることで、だいたい60-70%が達成されたかんじがありますかね、、。


登山と紙に書きとめることの両方に共通していることは、

あせらず一歩一歩、段階を踏んで進んでいくと、新たな景色が見えてくる、

ということでしょうか。

今日もかけがえのない一日、一歩一歩しっかり踏みしめて過ごしたいと思います。






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