2024年5月26日日曜日

あそび=まなび ~そもそも人が生まれてきた理由

 

今朝、朝食の前に、近くの公園に行っていつもの朝の散歩をしていました。


住んでいるところは四方を緑の山に囲まれているので、新緑が美しく、空気も新鮮でおいしく、朝の暖かい日差しにつつまれながら、誰もいない公園をぷらぷらと歩いていました。

あ~、幸せだなぁ~、、と。


その時に思い浮かんだのが、本日のタイトルである


あそび=まなび


です。あー、そういうことなんだな~、、と一人実感したのですが、ちょっとかみ砕いて説明してみたいと思います。


何から説明したらいいか迷うのですが、まず山登りを例に取って見ると、


最近は一歩一歩力を抜きながら歩く方法を身に着けたので、会話をしながら登れるぐらいの余裕があり、帰ってからも昔ほど筋肉痛にならないんですよね。


一方、結構、他の人たちは、はーはーひーひー言いながら登っていて、見ていて、楽しいのかな~、、と思うのです。


私は、一歩一歩を味わいながら、感謝しながら登っているので、道端の草花や、巨木や、景色をその場その場で存分に楽しめているのですが、


おそらく、はーはーひーひーやっている方々は、そんな余裕はなくて、ひたすら頂上に着くことを目指している感じなんですよね。。


私は、それはもったいないな、、と思うのです。今も楽しいし、目標である頂上に到達するのも楽しいというスタイルがいいなと、、。


これは人生全般にも言えて、一日一日の生活の中で、こまごまとしたやらなければならないことがたくさんありますが、


それらを疎かにせずに、登山で一歩一歩を楽しみながら感謝しながら歩くようにできるのではないか、、と最近とみに感じるのです。


そうすれば、今も楽しいし、目的としていることができている時も楽しいし、全体をフルに楽しむことができると思うのです。


そもそも人が生まれてくるのは、なぜなのか。

私は天国は暇すぎて退屈でつまらないからだと思います(笑)。


最初はすべてが一体で、神様というひとつの愛の意識しかなく、お花畑でほんわかとしているけど、とにかく何も起こらなくて退屈、暇、、


だから、神様は自分とは違う“我”というものを持つ方向で意識を分化させた、という気がするのです。


その究極の形が人間という存在で、したがって、我を持つというのは、神様が望んだことなんだという気がします。


それまでの進化の過程で他者とは違う我というものを確立はなかなか難しかったのではないでしょうか。


そこで、この我をもった存在である人間は、なぜわざわざこちらの世界にうまれてくるのかというと、それはあそび、ゲームをするためではないか、、という気がするのです。


つまり、わざわざ問題をつくって、それを克服するというゲーム、遊びをするためにきているのではないかと思うのです。


その遊びを学びと言い換え、学びとは魂の成長と置き換えてもいいと思います。人は、体験を通じて学び、魂を成長させるために生まれてくる、ともいえるのです。


学びととらえるか、遊びととらえるかは、どちらでもいいのですが、大きなところでは、人は暇だから何かを達成しにこちらの世界にきているのだと思うのです。


人が、わざわざ労力をさいて、問題を設定してあるゲームに興じるというのは、神様がもともともっているさがでもあるような気がします。


そこで、我々は、日常生活の中で、あれは大事、これはこうでなければ、、と色々かなり真剣に深刻にものごとをとらえていると思うのですが、そういったものも、実は、遊び心をもって楽しくできるのではないか、、ということです。


この世は、実は遊園地であって、本当は楽しくやっていいんじゃないかと。


仕事も遊び心をもってもっと楽しくできるんじゃないかという気がするのです。仕事も楽しくこなし、自分のやりたいことも楽しくやる。


我々は、それぞれが我というものをもっていると思っていますが、実のところ、本体は一つである、これは密教の核心の部分であり、公然の秘密でもあるわけで、


なぜ秘密としているかというと、映画を観てその世界に没入している人たちに、いま映画見ているよね、、と横やりを入れたりするのは無粋ですよね、、


そのような失礼にならないように、秘密の教えということにして、特定のひとにしかそのようなことを言わないというのが密教だと思います。


密教では、修行をして、ほとけになるのではなく、そもそもの初めから自分はほとけと一体だったことを思い出すというところにポイントがあります。


我というものを強固にもっていると孤独を感じたり、軋轢を生んだりするので、個を持ちながら全体と調和しながら生きていくのが大切なんだよな~、、ということを学んでいくのが、我をもつにいった人間の次のステップの学びなんだろうと思います。


少し焦点がずれましたが、そもそも私たちは、あそび=まなびのために生まれてきているのだから、


一つ一つのことを疎かにせず、今いるところを遊び心をもって味わい、感謝しながら生きていけば、ずっと幸せを感じながら、楽しく生きていけるのではないかな~、、と思うのです。


これが朝の散歩をしながら、あ~、そういうことか~、、と感じた内容です。


朝の散歩は5分ほどでしたが、深い満足感につつまれて、家に戻りました。


一人さんが勧める言葉、


私は愛と光と忍耐です、

私も神、あなたも神、みーんな神様です


これらは完全に密教の教えであり、人生が楽しくなるマントラですね。ぜひ日頃から唱えてみるといいと思います。


すべてに遊び心と感謝をもって、、。


おしまい


<(_ _)>

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