2024年7月28日日曜日

夏はこれじゃなきゃ!

 

先週末は二泊三日で、北アルプスの    

白馬岳(しろうまだけ:2932m)


登ってきました。


登山の写真などを昔のようにこのブログでも解説付きでたくさん載せたいのですが、


それだとゆうに3回分位になってしまうので、


登山関係はLINE と Facebookにゆずり、厳選した写真だけを載せるにとどめておこうと思います。


<(_ _)>


↑天狗原



↑雪渓



↑白馬大池























↑白馬山荘でのヘリによる搬送




↑山荘近くにいた雷鳥




↓帰り




↑ 山荘から再び白馬岳に登ります






































↑白馬大池(帰り)





↑帰りにも見かけた雷鳥



山の写真はこれでおしまいです。。



さて、今年も例年にない猛暑になっていますが、周りで

暑いね~、、


という言葉をよく耳にします。


暑いから「暑い」というのは当たり前、、って思うかもしれませんが、でもこれって考えてみると、斎藤一人さんのいう所の地獄言葉ですよね。。


一人さんが紹介している天国言葉というのが


「ついてる」「ありがとう」「うれしい」「楽しい」「感謝しています」「しあわせ」「許します」「愛してます」


であるのに対して、地獄言葉というのは、、


「恐れているツイてない不平不満グチ・泣きごと悪口・文句心配事ゆるせない


です。


暑いね~、、というのは、そのあとに「やだね~、しんどいね~、早く終わってくれないかな~、こんな夏でこの先どうなるんだろ~、」


といった言葉、想い(重い)が隠れている気がします。


なので、あまりあいさつ代わりに暑い、暑いを連発しない方がいいのではないかと思うのです。


ではどうするのか?


同じ「暑い」というのでも、そのあとに、


暑くて気持ちいいね~、最高だね~、夏はこうじゃなきゃ!


といってみたりするのはどうでしょうか(笑)。

こう言うだけで雰囲気が全然変わってきます。


試しに一人でこういってみると、自分の感覚が変わるのがはっきりわかります。


もし、人からあいさつ代わりに、暑いですね~、といわれたら、このように返してみるのも面白いかと思います。


だいたい、サウナなんていうのは、好きな人は嬉々として入りますが、サウナは夏の屋外より暑いし、湿度も高く、まさに灼熱地獄ですが、


サウナ好きは、気持ちいいね~、サイコー、整う、ととのう、などと言っています。


これを真似して、


サウナみたいで気持ちいいね~、サイコー、整う、ととのう、、なんて言ってみるのもいいかもしれません。


私は人が暑いね~、暑いね~、、と言っているのを聞いて、一人さんが仰っていた言葉を思い出しました。


それは、普通の人は、あまりにもものごとをそのまま受け取りすぎである、という言葉です。


そのままでも楽しいこともありますが、そのままでは不快になるものも日常生活の中では起こってきます。


そういった不快になることで、心を左右され、波動を下げて、運気を下げてしまうのはもったいないことです。


こういったことも、ひと工夫加えて、自分や周りの人たちが楽しくなるようなものに変えてみるといいといいます。


それは丁度、レモンをそのまま食べると酸っぱいだけですが、それに蜂蜜を加えてレモネードにしたり、


なっている梅をそのまま食べると下手すると死んでしまいますが、それを漬けて梅干しにしたり、梅酒にしたりするようなものです。


そのままで美味しい食材というものもありますが、我々は多くの物を調理して楽しんでいます


それと同じことを日常生活の中でもしてみましょう、というのが一人さんの発想で、なるほどな、と私は大賛成です。


密教でも、煩悩即菩提という言葉があります。


密教の前の顕教では、煩悩はひたすら避けるものという発想で、煩悩の火を吹き消すという表現がされたりします。


しかし密教に至っては、煩悩は生命活動の発現、大日如来の発露であり、煩悩そのものが悟りの材料であると説きます。これはまさに一人さんの発想そのものだと感じます。


暑い夏が続きますが、


暑い、あつい、アツイ、、


とただ言うだけでなく、ちょっと自分なりのアレンジを加えて、暑さを気分のいいものに変えてみるのはいかがでしょうか。


夏はこれじゃなきゃ!


でありました。


おしまい


<(_ _)>




2024年7月20日土曜日

後ろに転んだ時は顎を引く!

 

先日、いつもの朝の散歩をしていたら、公園の近くの坂のところで、見かけないおじいさんが自宅の敷地から道路の方に出てきていました。


へー、あんな人も住んでいるだな~、と思って視線を逸らそうとした瞬間、


そのおじいさんが、敷地の外に段差をなくすために敷いているプラスチック製のスロープに足を乗せたまま、ずるっと滑って、見事に後ろに転倒していました。


見ていると、後ろに倒れた瞬間、本能なのか顎を引いていたので頭を打つことなく、そのまま立ち上がって、


この段差はだめだな~、、


などとつぶやいて、そのまま家の中に入っていきました。。


これを見ていて、合気道をやっていたときの後ろ受け身を思い出しました。そうか、受け身って、こういう転んだ時にも役立つのか~、、と思いました。


まだスノーボードが流行り出したばかりの時に、よくスキー場で、特に初心者の女の子が緩斜面であるにも関わらず、スノーボードをやっていて転倒して頭を打ち、重症になったり、亡くなるということを聞きました。


後ろに倒れた瞬間に顎を引くような習慣がない、またその筋力もないと、もろに後頭部を打ち付けてしまうということになるようで、重症になることが多かったようです。


そのおじいさんは、武道をやっていたのか、本能のなのか、自然と顎を引いたいたので綺麗にステンっと転んだあと、何事もなく立ち上がって歩いてました。


こういう習慣は、年を取るほど大切になってくるのかもしれません。


この関連で思い出しのが、以前、高齢者が転んだ時に大けがをしないようにと、実際に転ぶ練習をさせる講習をやっていた時、


その練習をしていた高齢者が大腿骨を骨折してしまうというアクシデントが発生してしまうということがありました。


年を取ってから練習するというのは危険を伴うので、やはり小さいうちから身にしみこませておくことが大事なのかと思いました。またその動きを出来る筋力の保持も大切だと思います。


転ばないようにすることがまず大切ですが、転んだ時にもどのような体勢になるかをたまにシミュレーションしておくことも大事かと思います。


どの本だったか、江原さんの本に、転んでもただでは起きない、落ちている餅を拾うぐらいの気概でいよう、というようなことが書いてあったのですが、(笑)


転ぶことを恐れない気持ちをもって好奇心を忘れず、日々生き生きと生きていくことが大事なのかもしれませんね。



少し話しがそれて、、


最近、アメリカの大統領候補が演説中狙撃され、うずくまったあと、顔に血が付いたまま拳をあげて叫んでいる映像がニュースで流れていました。


Fワードを何回か叫んでいるように見えましたが、、、


打たれ、倒れても、立ち上がって拳を掲げるというのはもの 凄いアピールになったのではないかと思います。


というより、咄嗟にそういうことができるというのは、相当なガッツの持ち主なのだろうと思います。


最近知ったのですが、このガッツ(guts)という単語は内臓という意味で、日本語で言う所の腹が決まっている、腹が座っているということで、内臓と意志の相関関係が英語にもあるというのは面白いですね。


それにしても、あれほど狙撃されながら、SPたちが体を張って止めているというのに違和感を感じました。


少なくとも盾ぐらい用意しておいて、守るようにして車まで移送すべきではないのか、、。なんか前時代的な感じがしました。


これで、同情票が相当集まるだろうと思いますが、私はなんとなく次の大統領は、現副大統領のハリスさんかな、、と思います。


朝のひとときに起こった出来事、プラスアルファでありました。


おしまい


<(_ _)>


2024年7月13日土曜日

外国から働きに来てくださっている方々、、

 

先日の土曜の朝、近くの公園にいつもの朝食前の散歩に行くと、大きなトラックや建設作業員のような人たちがぞくぞくとやってきていました。


普通は公園に車が入ることはないので、


なんだ、ナンダ、何事だ?!?


と思ってみていると、どうも公園の樹々の剪定に来てくださっている方々のようでした。


その中には、日本人の作業員に混じって、アフリカや東南アジアからきたと思われる方々もいるようで、


アフリカから来たと思われる方は、散歩をしている私に向かって、


「おはよごじゃいまーす」


人懐っこい笑顔であいさつをしてきたので、私も「おはよございーます」とお辞儀をしながらあいさつを返しました。


思えば、何気なく使っている公園、春になると満開の桜が咲き誇るこちらの公園も、人の手入れがあって初めて成り立っているんだよな、、と。


それもわざわざ、アフリカや東南アジアなど外国からきた方々の手助けがあって初めてこのような綺麗な公園が維持されているんだよな、、と思うと、歩きながら、


ありがたいことだ、アリガタイ、有難い、、


と涙が出そうになり、心の中で彼らにもう一度お辞儀をしていました。


これから急速に高齢化が進み、若者が減って人口減少が進行していく日本において、外国人の方々の助けは必ず必要になってくるし、


そういう方々が働いてくれないと、いままで当たり前だと感じていた生活も維持できなることでしょう。


先日は、クローズアップ現代で、大工さんがいなくて家が建たない、、ということをやっていましたが、


建物にしろ、公園にしろ、道路にしろ、ゴミにしろ水、ガス、電気にしろ、


当たり前と思っている生活が送れているのも、こうした見えないところで働いてくださっている方々がいて初めて成り立っているものであり、


しかも、この異常な猛暑の中、室外で働いている方々には本当にもう頭が下がります。


時に、そういう方々がいて自分たちの生活が成り立っていることに思いを馳せてみる必要があると思うのです。


日本は難民や移住してくる外国人に対して極めて冷淡だといわれ、国連からも指摘されている所ですが、


これからは、日本人だけで今の生活を維持していくのはほぼ不可能であり、


私たち一人ひとりが、外国から来てくださっている方々がいてはじめて今の暮らしが成り立ちうることを考えてみる必要があると思います。


朝の散歩をしながら感じたことでした。


おしまい


<(_ _)>



2024年7月6日土曜日

餓鬼(ガキ)にならないように、、

 

少し前に、奈良・京都方面を旅してきたことに少し触れましたが、


初日、奈良に行った際、奈良国立博物館で空海展を見て、若草山に登ったあと、


私の坊さん時代から親しくしてきた友人と落ち合い、奈良駅近くのベトナム料理店で夕食を一緒にとりました。


彼は、ずっと真言宗のお坊さんをされていていますが、もう30年も前からアメリカ株もやっていたりして(笑)、


私なんか足元にも及ばないほどの本を読んでおり、博学で明るく、ユニークな友人です。


そんな友人との会話の中で、自然と投資の話になりました。


私も最近はアメリカ株のインデックスをやってたりするんだよ~、emaxisより楽天S&P500の方が手数料が安いからそちらに乗り換えたんだよ~などと話していると、


その友人は、個別株をやっていもS&P500にはどうしても勝てないだとか、自分は最近エヌビディアの株を買って凄いことになっている、、などと楽しそうに話していました(笑)。


もともと真言宗の教えは生命全肯定の思想なので、特にお坊さんが投資をやっていたとしても私的には何の違和感もありません。


少し外れてしまうと、立川流やオウムのようなことになってしまう危険も孕んでいますが、


基本的にすべては大日如来の顕れであり、すべての現象を全肯定する真言密教の思想が私は好きです。


そんな話をしている中で、友人が少し声をひそめて、ある話をしてくれました。それはその友人のお寺の檀家さんのことのようでした。


その方もやはり株などの投資をやっていて、莫大な富を築いている方のようでしたが、


普段から不機嫌で、何かあると大きな声をはりあげて偉そうな感じにしている方のようでした。


その方がお坊さんである友人に語ったことによると、病気になって死にそうになった時、ある夢を見たのだと。


その夢の中で、自分の体から膿が出てきていて、取ってもとっても膿があふれ出てくる、、というものだったそうです。


私は、お金がたくさんあって、社会的な地位もあって、人の上に立っているような人たちでも、お金だけ、今だけ自分だけのような人たちがいて、


そういう人たちのしていることって、ガキと同じだよね~、5歳児だよ、5歳児、自分のやっていることが分かっていない可哀そうな人たちだよね~、、というようなことを話していたら、


友人は、そう、ガキだよ、ガキ、、と言っていました。


その発音をよく聞いていると、子供のガキという意味ではなく、餓鬼という意味で言っていました。


体から膿が絶えず出てくるって、もしかしたら、その人は死ぬと餓鬼のような存在になってしまうのかもしれない、、とその坊さんでもある友人は言っていました。


そうか、子供のガキではなく、餓鬼か、、と、、。


餓鬼というのは、仏教の世界観において人は六道を輪廻するとされていますが、


その六道、地獄、餓鬼、畜生、人間、阿修羅、天の6つの世界のうち、餓鬼というのは地獄の一つ上にある境地で、絶えずお腹をすかしている小鬼のような存在がすむ世界とされています。


その六道の世界観に会って、人間界は悟りを得るのに一番適した世界だとされていますが、


その悟りに一番近いはずの人間として生まれながら、死んだら地獄の次に低い餓鬼のような存在となってしまうというのはなんとも残念で可哀そうなことだ、、と感じました。


人間社会では、お金を稼ぐこと、富を築くことは良いことだとされていますが、


ただそれだけ、飽くなき富の追求、そして他者をかえりみない言動を続けていると、そのような末路に至ってしまうのかもしれません。。


一人さん的に言うと浮遊霊になる、、ということかもしれません、、。


友人は、お金だけを崇拝しているとそのようなことになってしまうということをホトケ様に見せられたのだ、、ということを言っていました。


以前書いたように、これは知識がなくて広い視野をもてないことにも由来しており、知識って大切だよな~、、と思うとともに、


せっかく人間に生まれてきたのだから、魂を成長させて、より輝く魂になりたいな、、と思ったのであります。


そうなるためには、そういう人たちがポリシーとしている、


今だけ、金だけ、自分ではなく、


それを包み込む、


今も未来も、お金も心も魂も、自分も他者も視野に入れて


すべてが豊かになる方向で毎日を送っていけばいいのではないかと思うのです。(真反対をすると、それも薄暗く寒い境地にいく可能性あり、、)


毎日を明るく機嫌よく、また人に親切にするという気持ちをもって過ごしていきたいな、、という思いを新たにしたのでありました。


タイトル:餓鬼(ガキ)にならないように、、


でありました。


おしまい


<(_ _)>