少し前に、奈良・京都方面を旅してきたことに少し触れましたが、
初日、奈良に行った際、奈良国立博物館で空海展を見て、若草山に登ったあと、
私の坊さん時代から親しくしてきた友人と落ち合い、奈良駅近くのベトナム料理店で夕食を一緒にとりました。
彼は、ずっと真言宗のお坊さんをされていていますが、もう30年も前からアメリカ株もやっていたりして(笑)、
私なんか足元にも及ばないほどの本を読んでおり、博学で明るく、ユニークな友人です。
そんな友人との会話の中で、自然と投資の話になりました。
私も最近はアメリカ株のインデックスをやってたりするんだよ~、emaxisより楽天S&P500の方が手数料が安いからそちらに乗り換えたんだよ~などと話していると、
その友人は、個別株をやっていもS&P500にはどうしても勝てないだとか、自分は最近エヌビディアの株を買って凄いことになっている、、などと楽しそうに話していました(笑)。
もともと真言宗の教えは生命全肯定の思想なので、特にお坊さんが投資をやっていたとしても私的には何の違和感もありません。
少し外れてしまうと、立川流やオウムのようなことになってしまう危険も孕んでいますが、
基本的にすべては大日如来の顕れであり、すべての現象を全肯定する真言密教の思想が私は好きです。
そんな話をしている中で、友人が少し声をひそめて、ある話をしてくれました。それはその友人のお寺の檀家さんのことのようでした。
その方もやはり株などの投資をやっていて、莫大な富を築いている方のようでしたが、
普段から不機嫌で、何かあると大きな声をはりあげて偉そうな感じにしている方のようでした。
その方がお坊さんである友人に語ったことによると、病気になって死にそうになった時、ある夢を見たのだと。
その夢の中で、自分の体から膿が出てきていて、取ってもとっても膿があふれ出てくる、、というものだったそうです。
私は、お金がたくさんあって、社会的な地位もあって、人の上に立っているような人たちでも、お金だけ、今だけ自分だけのような人たちがいて、
そういう人たちのしていることって、ガキと同じだよね~、5歳児だよ、5歳児、自分のやっていることが分かっていない可哀そうな人たちだよね~、、というようなことを話していたら、
友人は、そう、ガキだよ、ガキ、、と言っていました。
その発音をよく聞いていると、子供のガキという意味ではなく、餓鬼という意味で言っていました。
体から膿が絶えず出てくるって、もしかしたら、その人は死ぬと餓鬼のような存在になってしまうのかもしれない、、とその坊さんでもある友人は言っていました。
そうか、子供のガキではなく、餓鬼か、、と、、。
餓鬼というのは、仏教の世界観において人は六道を輪廻するとされていますが、
その六道、地獄、餓鬼、畜生、人間、阿修羅、天の6つの世界のうち、餓鬼というのは地獄の一つ上にある境地で、絶えずお腹をすかしている小鬼のような存在がすむ世界とされています。
その六道の世界観に会って、人間界は悟りを得るのに一番適した世界だとされていますが、
その悟りに一番近いはずの人間として生まれながら、死んだら地獄の次に低い餓鬼のような存在となってしまうというのはなんとも残念で可哀そうなことだ、、と感じました。
人間社会では、お金を稼ぐこと、富を築くことは良いことだとされていますが、
ただそれだけ、飽くなき富の追求、そして他者をかえりみない言動を続けていると、そのような末路に至ってしまうのかもしれません。。
一人さん的に言うと浮遊霊になる、、ということかもしれません、、。
友人は、お金だけを崇拝しているとそのようなことになってしまうということをホトケ様に見せられたのだ、、ということを言っていました。
以前書いたように、これは知識がなくて広い視野をもてないことにも由来しており、知識って大切だよな~、、と思うとともに、
せっかく人間に生まれてきたのだから、魂を成長させて、より輝く魂になりたいな、、と思ったのであります。
そうなるためには、そういう人たちがポリシーとしている、
今だけ、金だけ、自分ではなく、
それを包み込む、
今も未来も、お金も心も魂も、自分も他者も視野に入れて、
すべてが豊かになる方向で毎日を送っていけばいいのではないかと思うのです。(真反対をすると、それも薄暗く寒い境地にいく可能性あり、、)
毎日を明るく機嫌よく、また人に親切にするという気持ちをもって過ごしていきたいな、、という思いを新たにしたのでありました。
タイトル:餓鬼(ガキ)にならないように、、
でありました。
おしまい
<(_ _)>
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